外交評論家 エネルギー戦略研究会会長 金子 熊夫
遅ればせながら、新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて昨年は、真珠湾攻撃による日米 戦から80周年ということで、マスコミでさまざまな特集が組まれました。その中で、私が特に気になったのは、日本はなぜ、国力にあれだけ大差があることがはっきりしていた米国と戦争を始めたのか、日本の指導者たちはどこでどうしてあんな重大な判断ミスを犯したのか、という点に 心が向けられていたことです。
確かに「奇襲攻撃」という形で先に仕掛けたのは日本だし、しかも大敗を喫したのだから、「勝てば官軍」の世界では、しょせん日本が悪かったということになり、極東国際軍事法廷(東京裁判)で日本側の責任者は戦犯として処刑されました。
しかし、国家間の戦争は、人間同士の喧嘩と同じく相手のある事であって、一方がすべて善、他方がすべて悪ということはまれで、双方に言い分があるのが普通です。私が日本人だから日本の立場を殊更弁護する気はないし、東京裁判の判決自体を否定するつもりもありませんが、出来るだけ公正かつ客観的に戦争の原因や責任問題を考えてみることは必要だと思います。
そこで今回は、日米開戦80年周年の機会に、開戦に至った当時の国際政治状況を簡単に振り返り、そこから得られる教訓を日本の将来に生かすという趣旨で私見を述べてみたいと思います。とはいえ、膨大な歴史的事実を限られた紙面で綿密に分析する余裕はないので、私の独断と偏見でポイントをできるだけ絞って話を進めることにします。
ルーズベルトとチャーチルの「陰謀」
私は、一昨年8月、本紙への最初の寄稿「いつまでも『あの戦争』でよいのか?」でも述べたように、第二次世界大戦は非常に複雑なグローバルな性格を持っていたと考えています。真珠湾攻撃以後直接戦ったのは主に日米でしたが、アジアではその10年ほど前から日中戦争が始まっており、それがいわゆる太平洋戦争(大東亜戦争)にエスカレートして行きました。
また、ヨーロッパでは、日米開戦より一足先にヒットラーのナチス・ドイツのポーランド侵攻(1939年9月)により戦争が始まっていました。ドイツは破竹の勢いで、ヨーロッパ大陸(ロシアを除く)を制覇し、島国の英国だけが必死に抵抗していたものの、ドイツの猛攻の前にギリギリまで追い詰められていました。
そこで、英国のチャーチル首相は、親戚筋のアメリカのルーズベルト大統領に加勢を求めましたが、ドイツは、アメリカだけは直接攻撃しないように慎重に対処していたので、アメリカとしては、いくらイギリスを助けたくても、ドイツとの戦いに直接割って入ることはできない状況でした。元々アメリカには、建国以来の孤立主義(モンロー主義)の伝統があり、その上、第一次世界大戦(1914〜18年)に参戦して多大の犠牲を払った経験があったので、国民の間には厭戦ムードが浸透していました。ルーズベルトとしては、何とか国民を納得させてドイツとの戦争に参入するためのきっかけ(口実)が必要だったのです。
日独同盟が間違いの第一歩
ところが、そこへ日本が、ドイツ、イタリアと組んで三国同盟(1940年9月)を締結するという出来事が起きます。日本は、無敵のドイツと組めば、国際政治で優位に立ち、アジアで勢力圏を拡大しやすくなると踏んだわけです。ドイツがソ連を攻略してくれれば北からの脅威も無くなり、安心して兵力を南に投入し、マレー半島やインドネシア(当時ジャワ)の石油資源を確保しやすくなります。
事実、日本は、三国同盟締結と同時に仏領インドシナ(現在のベトナム)の北部に進駐し、一年後には南部仏印まで進出。フランス本国はすでにドイツに降伏していたので、日本軍は易々と進駐できました。サイゴン(現在のホーチミン市)からは日本軍の爆撃機がシンガポールやインドネシアへ出撃して帰還することが可能です。
そうなると、シンガポールに植民地経営の拠点を持つイギリスと、石油が豊富なインドネシアを領有していたオランダは重大な脅威にさらされます。そこで、チャーチルは、対日戦で悪戦苦闘中の中国の蒋介石と連繋して、一緒にルーズベルトに対日攻撃を強く訴えます。フィリピンを植民地化していた米国も、日本の急激な勢力拡大に危機感を感じて、それまでの日本人移民禁止などの排日措置に加えて、日本の在米資産凍結、石油禁輸などの経済制裁を強化し、ABCD(米英華蘭)包囲網を結成します(この辺は、現在の対イラン制裁のやり方に非常によく似ています)。
「しめた、日本が罠にはまった!」
この時点で突然、米国のハル国務長官が日本軍の仏印及び中国からの全面撤退を求める覚書を突き付けます。仏印はともかく、中国からの撤退は、日露戦争以来日本が営々と築いてきた利権(満州を含む)を全部放棄することを意味し、日本にとっては到底受け入れられないこと。米国もそれを承知の上で強引に突き付けてきたわけで、明らかに日本を挑発し、暴発させるためです。
今考えると、仏印と中国本土からは段階的に撤退し、満州は条件闘争に持ち込むという手もあったのではないかと思いますが、いずれにせよ、ハル・ノートを最後通牒と受け取った日本政府は、ついに堪忍袋の緒が切れたように一気に真珠湾攻撃を仕掛ける方向に突き進んだわけです。これはまさに、乾坤一擲のちゃぶ台返しにほかなりません。
しかし、日本の暴発で一番喜んだのは、ルーズベルトとチャーチルで、ルーズベルトは、待っていましたとばかり、翌日議会で日本軍の「卑怯な奇襲攻撃」に対する仕返しという形で対日宣戦布告を宣言。一方のチャーチルは「真珠湾攻撃は神の救いだ。これで戦争に勝った」とその日の日記に記しました。米国は日本政府や日本軍の暗号電報の解読に成功していたので、事前に知らなかったはずがありませんが、両人としては、「日本がまんまと罠にはまった。しめた!」と思ったことでしょう。日米が開戦すれば三国同盟で自動的に米国は、日本の同盟国であるドイツとも敵対関係に入れるからです。言い換えると、日本は真珠湾で戦術的勝利を収めたものの、戦略的には大失敗を犯したということです。
容共的だったルーズベルト
こうしたことは、現在では外交史の専門家でなくても、一般常識化していると言ってよいと思いますが、実は、当時の日本人もルーズベルトとチャーチルがつるんでいることはなんとなく感じていたことです。その証拠に、真珠湾攻撃当時まだ5歳の子供だった私たちでさえ、ルーズベルトとチャーチルには特別の憎悪と敵愾心を抱き、替え歌で“ルーズベルトのベルトが切れて、チャーチル散る散る国が散る、ヨイヨイ”などと歌った記憶があります。
また、軍人の中でも、硫黄島の戦いで戦死した市丸利之助海軍中将などは、「ルーズベルトニ与フル書」と題する遺書の中で、ルーズベルトの外交政策を痛烈に批判し、日本を負かした後は必ずスターリンのソ連が世界の脅威となるだろうと警告しています。今ではこの遺書のことを知る人はあまりいないようですが、まさに慧眼であると思います。
元々ルーズベルトは、思想的に共産主義に寛容で、スターリンとも良好な関係にありました。そのため、彼は、日独との戦争が継続中から、チャーチル、スターリンと頻繁に会って戦後の新しい国際政治システムについて協議していましたが、彼の頭の中には、米英ソ協調構想が基本となっていました。そのことが一番はっきりしているのは、日独伊と戦った「連合国]をメンバーとする「国際連合」(英語では共にUnited Nations)を創設し、その常任理事国は米英ソ(その後仏中を追加)に限り、それぞれ拒否権を持つとしていることです。
戦後国際政治を歪めた拒否権
第一次大戦後に出来た「国際連盟」が、大国同士の争いで機能不全に陥った反省に基くものですが、この拒否権制度こそが、第二次大戦後の国際政治を歪んだものしている最大の原因です。しかも、日独は未だに国連憲章上で「旧敵国」とされており、これを修正し、日独を常任理事国に加わえようとしても、拒否権に阻まれて実現しません。(ちなみに、1970年の核兵器不拡散条約でも、五大国だけが核兵器の保有を公認されており、しかも条約改正には5大国の同意が必要なので、彼らが持つ核を廃絶させることは永久に不可能です。)
歴史は皮肉なもので、日本と戦った蒋介石の中華民国は戦後、毛沢東の中華人民共和国に敗れ、1972年に国連から追放。代わりに共産中国が代表権を認められ、安保理の常任理事国の地位を引き継ぎました。これについては当時のニクソン米大統領と策士のキッシンジャー補佐官(その後国務長官)の判断が決定的でしたが、今になって、あの判断は間違っていた、中国を甘やかし過ぎたという意見がこの数年来米国でも大勢になっています。特にトランプ政権末期にポンペオ国務長官が行った演説が画期的でした。
がしかし、今さらどうにもなりません。中国は既得権である常任理事国の特権的地位と拒否権をフルに活用して、今後益々自国権益の拡張路線を驀進し続けるでしょう。これに対抗するためには、日本はあらゆる知恵を絞って万全の対中外交を展開して行かねばなりません。(この点で、昨年本欄に5回連載した拙稿「体験的対中外交論」は多少なりとご参考になると思います。)
日本人はもっと悪賢くなるべし
どうも日本人は、昔から黒白をはっきりさせる潔さを尊ぶ国民性があり、外交でぬらりくらり、巧妙に立ち回るのが苦手というか、そうした対応をさげすむ性向があるように思います。おそらく古来の武士道精神などの影響でしょうし、現行憲法のナイーブな「平和主義」の影響もあるでしょう。
しかし、それでは複雑怪奇な現在の国際政治環境の中では通用しません。誤解を招くことを覚悟で敢えて言えば、日本人はもっと国際社会でズル賢く、巧妙に立ち回る術を身につけるべきでしょう。ルーズベルトやチャーチルのようには中々行きませんが、彼らの爪の垢でも煎じて飲む必要があると思います。
(2022年1月16日付東愛知新聞令和つれづれ草より転載)
編集部より:この記事はエネルギー戦略研究会(EEE会議)の記事を転載させていただきました。オリジナル記事をご希望の方はエネルギー戦略研究会(EEE会議)代表:金子熊夫ウェブサイトをご覧ください。