水素・アンモニア推進のおバカな政府は思考停止状態?

松田 智

経産省が、水素・アンモニアを非化石エネルギー源に位置づけるとの報道が出た。「製造時にCO2を排出するグレー水素・アンモニアも、燃焼の瞬間はCO2を出さないことから非化石エネルギー源に定義する」とか。その前にも経産省は22年度予算で水素・アンモニア普及に1000億円近い予算を計上するとの報道もあった

いやはや何とも・・・。ため息しか出ない。「製造時にCO2を排出する水素・アンモニアも、燃焼の瞬間にはCO2を出さないから非化石エネルギー源に定義する」という論理は、何重にも破綻しているのが分からないのだろうか?そもそも、作る時に出るCO2には目をつぶり、燃やす時にCO2が出ないから優遇するって、そんな理屈あり得ないでしょう?

もうこれは、ほぼ「詐欺」である(出ている物を出ていない、と言っているに近いから)。「カラスを鷺と言いくるめ」に近く、少なくとも、真面目な大人が振り回す論理ではない。これを日本国政府の経産省が大真面目に発表すると言うのは、由々しき出来事、異常事態なんじゃないか?と思わざるを得ない。この人たち、アタマ、大丈夫なの?

MissTuni/iStock

「非化石」エネルギー源との言い分も、ナンセンスの極みである。周知のように、現在の水素はほとんどが天然ガスを改質して作る。あるいは、褐炭などの石炭からも作られる。モロに「化石」である。水素からアンモニアを合成する際には、現状では高温・高圧を必要とし、その熱源は大半石炭である(一番安いから)。これまた「化石」。水素なら再エネ電力から作って「非化石」を言い張ることもできるが、アンモニア合成を再エネ電力だけで達成した例は聞いたことがない。出来たとしても、無茶苦茶高いアンモニアになるだろう。故に、アンモニアは水素以上に「化石」の産物そのものである。

これらのどこが「非化石」なのか? 彼らの論理では、燃焼時にCO2を出さない燃料を「非化石」と言っているようだが、物事の本質を見ない皮相的な見方としか言いようがない。見えない(or見たくない)ものは「ない」ものと見なす考え方である。

もう一つはエネルギー「源」である。以前から指摘しているが、水素やアンモニアなどは電力と同じ「二次(or三次以上の)エネルギー」であって、これらは真のエネルギー「源(source)」である一次エネルギー(石油等の化石燃料・自然エネ・原子力)とは画然と区別されなければならない。

二次エネルギーは一種のエネルギー「媒体(運び屋)」であって、それ自身からエネルギーを生み出す「源」ではない。この区別もつかないようでは、エネルギー政策を議論する資格がない。経産省のこの部署の人間は、エネルギー政策でメシを食っているはずだが、こんな初歩的なミスを犯すのか?(単なる言葉のアヤですよ・・などと誤魔化さないでね!)

前稿でも触れたが、水素・アンモニア等となると、スジ悪だろうが何だろうが日本政府は目の色を変えて飛びつく。これはなぜだろうか?

優秀な人材が多いはずの中央政府内部では、水素やアンモニアが科学的・技術的・経済的に問題点山積であることは十分認識されていると思うが、そうした形跡は少なくとも表面には出てきていない。批判的意見は、すべて封殺されているのだろうか? 科学的知識のない政治家には的確な判断は無理だとしても、専門的知識を有し国の政策を担っている官僚たちが、そんなことで良いのか? 御用学者にたぶらかされているとしたら、それも問題であるが。

最近の風潮で気がかりなのは、この種の「没論理」が平気で世の中にまかり通ることである。温暖化問題などもそうだが、かなりの論者が「気候危機がその中心だ。もはや科学的真実などどうでもいい・・」と言わんばかりの議論を並べる。政府の脱炭素に向けた経済活性化戦略の根幹にも、科学的根拠よりスローガン(「脱炭素で成長しよう!」のような)が先にあり、理屈はその後からついてくる、と言った観がある。

しかし、環境やエネルギーに関する政策が真に現実的であるためには、堅実な科学・技術的根拠があり、また経済性や資源調達性などの条件を確実にクリアできる、と言うことが絶対条件のはずである。それを無視して「屁理屈」だけで押し通せば、いずれ現実から手痛い「しっぺ返し」を食らう他はない。これは歴史が証明している。

本稿の表題を「思考停止状態?」と書いたが、上記のような状況は、それと違っているかも知れないとも考える。「思考停止」なら、それまでに何らかの思考をしているはずだが、冒頭に書かれたような「没論理」だと、最初から思考していなかったんじゃないか? とも思えるから。人間、アタマを使って考えなくなったらオシマイですよ。常時スマホを握りしめてSNSの断片的情報だけに接していたら、思考力が減退するのも無理はないのだが。

最近、死刑になりたいとか言って暴発する事件が多いけれど、その種の短絡現象が起きやすくなるのも、長い文章を読んだり粘り強く考える習慣で「脳の力」を鍛えなくなってきたことが背景にあると、筆者は考えている。何しろ「じっと我慢」している時、脳はフル活動しているから。犬が「お預け」で、じっと待っている時もそうである。子どもや老人が種々我慢できなくなるのは、脳の力が不足するからだろう。

霞ヶ関の官僚組織は劣化したと言われて久しい。しかし、筆者の知る範囲では、霞ヶ関の官僚には優秀な人材が多い。筆者の高校同級生に東大法学部から経産省(当時は通産省)に入った男がいたが、もちろん大秀才だったし、京大工学部の同級生で特許庁に入った男も、超優秀だった(よく勉強を教えて貰った)。仕事で知り合った範囲の経産省その等のお役人たちも、皆よく勉強し勤勉で有能だった。難関の国家公務員試験を突破する人材ばかりなのだから、エリートが集結するのもある意味当然と言える。問題は、そのエリートたちを腐らせているものは何なのか? だろう。

霞ヶ関の官僚たちも、本稿冒頭に書いたような内容は、もちろん理解しているはずである(理解できないようでは話にならない)。良心的な官僚の中には、上記のような「おバカな政策」に歯がみしている人も結構いるはずだと思う。筆者のような無名の論者に、こんなにまでこき下ろされたら、悔しいに違いない。エリートのプライドがズタズタだよ・・。「悔しい」のは大いに結構。その悔しさを「もっとマシな政策」の立案に活かしていただきたい。

筆者は、日本政府の没論理的政策をこき下ろして溜飲を下げて、満足している訳ではない。日本国の環境・エネルギー政策が、少しでもマシになることこそが本望なのである。

ついでながら、アゴラ等への筆者の個人的な執筆動機は、次の世代にいくらかでもマシな世の中を残しておきたい、に尽きる。孫たちの世界が、平和かつ持続可能で不幸な人間がなるべく少ない世の中であって欲しいと願う。特に、二人の孫が男子なので、戦争で兵隊などに取られないように、これだけは身体を張ってでも死守しなければと考えている(戦争を防ぐためなら、デモでも署名でもハンストでもやるつもり)。

野党の議員の皆さんも、官僚さんたちより、もっとよく勉強して欲しい。国会の論戦で、日本の環境・エネルギー政策の問題点をしっかり追及できるようにして欲しいと願っている。そのためには、不断の勉強を欠かさず、また他人の意見を鵜呑みせず、常に自分の頭で考えることが基本である。シャドウ・キャビネット(影の内閣)を充実させ、オレたちだったらこうやってみせるぜ、と言う政策を常に提示できる準備をしていただきたい。抽象論ではなく常に現実的・具体的に。

温暖化・脱炭素問題で、科学的根拠はやはり重要である。しかるに、脱炭素なら重視されるべき大気中CO2濃度変化についての考察は、マスコミ等にも少ない。これを見ずして脱炭素の理屈をいくら並べたって、どうしようもないはずなのに。

現在、筆者は大気中CO2濃度変化や地球上のCO2収支などの論文を集めて読んでいるので、次回以降、それらについても論じたい。