北京五輪、スキージャンプ種目に男女混合での団体種目が生まれ、日本勢にメダルの期待が高まっていた。
しかし、1本目高梨沙羅選手の大ジャンプ103.0m、124.5点がスーツ規定違反となりDSQ(disqualified)失格、得点が無効となった。1本目の10チーム中上位8チームが2本目に進めるルールの為、2本目進出が危ぶまれたが、残り3選手の頑張りと、他チームでも同様の失格者が発生したので、ギリギリの8位で2本目に進んだ。
2本目はその様な状況で、重大なプレッシャーを背負った高梨沙羅選手も涙ながらの大ジャンプ、佐藤幸椰選手、伊藤有希選手、小林陵侑選手もチームとして支える大ジャンプを揃え、メダルまであと一歩の4位に食い込んだ。
このチームとしての競技継続力、奮起を支えたメンタリティーは、なかなか一般には理解され難いかもしれないが、トップアスリートならではのものだろう。人間だから少なからず、『なんでやねん』というマイナスのメンタリティーも発生するだろうが、アスリート気質と言うものは、自分のできる事は徹底的に自分が責任を背負って最後まで執着するが、自分の力の及ばない範疇に関しては、存外無頓着と言っても良い程、仕方が無いと受け入れるのである。
野球のイチロー選手が打席に入るまでに出来る事は徹底するが、結果は気にしない、気にしても仕方がないと発言したのもこれに通じるのだ。
そして、このチームは佐藤幸椰選手が「怪我が無くて良かった」と声をかけ、伊藤有希選手や小林陵侑選手がハグをした様に責任を感じている高梨沙羅選手を支える姿は感動も呼んだ。
何より、誰よりも一番傷ついているのは、失格された当人である高梨選手であり、彼女の責任ではなく、その状態でも最後まで戦った彼女を称えるべきであろう。
再発防止のために
この事態に対して一部で「ルールだから仕方がない」「他の競技でも厳しいルールの下、行われているから仕方がない」という主旨の発言も多数見受けられるが、確かに正論なのだが、しかし問いたいのは、ルールは公平であって始めて意味があるという事だ。
この規定は女子の場合、身体の各部位から2~4cm以内の余裕しか許されていないのだが、事前確認と事後の抜打ち確認があるとされている。実際、ゆとりがある方が浮力を生み有利なため、各チームルールギリギリで対応しており、この規定違反自体は高梨選手自身、昨年も経験している様で、さほど珍しくないとも言われるが、同一日の同種目、女子だけから20名中5名も発生しているのが異常なのである。
しかも、この五輪のジャンプ競技に限ってもこの様な高確率での違反は他種目で発生しておらず、異常としか形容のしようがない。
事後検査の必要性を指摘する向もある。競技後に失格ではなく、競技前に確認して是正させて公平な環境を作り出して競技をするという主旨だ。アスリートの対場からいうとこれが正論である。
但し、反論もある様だ。検査合格後に伸縮性のある素材を伸ばして余裕を生ませる不正があるから事後でないと意味が無いというのだ。
この反論を聞いて違和感を感じたのは、伸縮する素材を前提にするならば、身体との余裕をどうやって測定するのかまで定義しないとルールとしては不備だという事である。測り方に恣意性が入る余地があれば、到底公平と言えないだろう。
通常この様な国際大会では、レギュレーションチェックを受けた後の選手は隔離環境にあり道具を使った不正は困難で、出来るとしても自力で密かに引き延ばす程度だろうか。到底、均等に引き延ばすなどは出来ないだろうから、万が一あったとしても事前事後のシルエットチェック程度で済む話だろう。あくまで、検査後の不正を検出する目的ならば。
選手に公平な環境で競技をしてもらう前提ならば、事前の検査を予め定めた測定方法に従い測定し確認する。事後は、あくまで事後の不正検出で良いだろう。
更にもうひとつの問題は、抜き取り検査の頻度などのルールである。これも恣意性が働くと公平性を欠く。
今回の失格者続出を異常事態として、失格を受けた各国は連盟に提訴してでも、今回のジャンプ競技全体と比較して「検査方法」「抜き取り頻度」がどうだったのか実態を明らかにし、他のジャンプ種目と大きく異なる違反者数が発生した原因を論理的に説明する事で、再発防止に向かう必要があるだろう。
公平なルールの下の競技である大原則のために。