失われつつあるクライアント・ベネフィット・ファースト原則

顧客に何かを要求するとき、その要求に従うことの顧客の利益を先にいうのは、顧客に単純な命令形を用いた表現など使い得ないからである。典型的な例は、乗客にシートベルトを締めさせる航空会社の要求であるが、これには、必ず、お客様の安全のためにという枕詞を先にいわなければならない決まりがある。

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同様に、銀行が滞っている融資の弁済の督促をするとして、債務者は顧客なのだから、単純に払えとはいえないはずで、相手の利益を先にいう、即ち、社会的信用を守るために、あるいは安定的取引関係の維持のために払うことを強く推奨します等の表現にすべきものである。また、交通機関などで、マナーに関する注意をうるさくいうことは、商人の立場として僭越なのだが、利用者全体の快適性と利便性の維持という共通利益を前提にしてこそ、許容されるのである。

官民を分かつ本質的な差異は、官においては、法律等の根拠を理由に国民を強制することができるのに対して、民においては、取引当時者の双方利益が前提になっているので、利益を提供することによってしか、相手を動かすことができないという点である。もちろん、政府の存在自体が国民の利益のためにあり、法令等に従うことも国民の利益のはずだが、そこに民間の取引のような直接的連関を見出すことは容易ではないのである。

この相手の利益優先という原則、英語でいうクライアント・ベネフィット・ファーストの原則は、全ての商業、あるいは全ての人間関係に通じるものだが、実際には忠実に守られることの少ないものである。例えば、銀行は、あちらこちらに記名押印を求めるが、その理由と顧客の利益を説明することはなく、組織の長は、所属員に勤勉や創意工夫を要求するわけだが、その要求に従うことの所属員の利益をいうことはないのである。

更に、最近の航空業界では、搭乗する前の安全検査に典型的にみられるように、安全確保という利用者の利益よりも、規制の強制力が前面にでているようで、商業の王道に悖る感がある。そもそも、規制自体が乗客の安全確保のためにあることを忘れてはならないはずである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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