立憲民主党が今夏に予定されている参議院選挙の候補者の半数を女性にするために、2月8日より女性候補者の公募を始めた(NHK「立憲民主党 参院選に向け女性候補者の公募をスタート」2022年2月8日)。
さて、この参議選には衆院選で維新の新人に敗れ、議席を失った辻元清美さんが比例区で立候補するという。知名度の高い辻元氏は、立憲にとってジェンダー平等と得票数の伸びという一石二鳥の候補者なのであろう。だが、意気消沈、涙の落選からわずか2ヶ月後の1月31日、参議院に立候補する旨をマスク越しにも分かる満面の笑みで発表したことは解せない。
もっとも、衆院選落選者の参議院への鞍替えは、辻元さんに限ったことではない。自民、立憲、あるいは以前の民進党や民主党で運用されてきた。なかでも目立つのが、2009年、2012年の政権交代選挙で、思いがけず(?)議席を失った、前者では自民、後者は民主党の現職が直近の参議院選に立候補した事例だ。
しかも、参議院に転身しても腰を落ち着けず、機を見て衆議院に再転身という議員がいる。たとえば、2005年の衆院選で初当選した佐藤ゆかりさんは2009年の選挙で落選、2010年の参院選で当選したが、2014年参議院を辞職して同年の衆院選に立候補して返り咲いた。ところが、昨年の総選挙では維新の候補に敗れ、比例復活も果たせなかった。もしも佐藤さんがまたもや7月の参院選に立候補すれば、参議院はまさしく衆議院に返り咲くための飛石ということになる。
そもそも参議院と衆議院は機能も、議員の果たすべき責務も異なるはずだ。参議院の独自性とは何か。1988年11月1日に出された参議院制度研究会の「参議院のあり方及び改革に関する意見」(以下、意見書)が参考になりそうだ。
意見書は、参議院の機能は衆議院に対する抑制・均衡・補完であり、①長期的、総合的な視点に立つこと、②衆議院のみでは代表されない国民の意見や利益を代表すること、③非政党的色彩の意見を取り入れるため議員個人の意見を尊重し、反映させることだとする。
こうした参議院の特色を生かすために、参議院では政党に属さない各界の有識者や地方の無所属議員の選出が期待され、当初の選挙制度では都道府県と全国をそれぞれ1選挙区とする方法が採用された。
しかし報告書は、この期待通りの議員が選出されたのは最初の数回のみであり、その後非政党議員は選挙の度に減少し、「政党構成も衆議院と同様となり、かつ、その運営も衆議院と同様に政党の支配の下に」置かれ、参議院の独自性が発揮できなくなった、と指摘する。そして、衆議院と同じ立場と視点になれば、「第二衆議院に堕し、その存在意義を失う」と断じる。
本報告書が出されて30年余り、度重なる選挙制度の変更も手伝って、参議院の政党化は強まる一方だ。参議院議員242名(2021年10月3日現在)のうち無所属は7人であるが、うち山東昭子氏と小川敏夫氏は参議院正副議長職、橋本聖子氏は東京オリンピック・パラリンピック組織委員長に就任のための離党であり、正味は4人(安達澄、須藤元気、寺田静、平山佐知子)にすぎない。
無所属での立候補は余程の資金力や知名度がなければ当選は愚か、選挙運動すらままならないのも事実だ。しかも、参議院議員選挙は全国を1選挙区とする比例代表と都道府県ごとの45の選挙区(2015年の改正により鳥取と島根、徳島と高知は合区になった)によって行われるため、衆院選以上に候補者の負担は大きい。
候補者にとって政党がバックにいるに越したことはない。実際、上記の無所属4人のうち、須藤氏は立憲、平山氏は民進党の公認候補であったが、その後離党したのであり、安達、寺田の両氏は立憲、国民民主、社民、共産の推薦や支援を受けての立候補であった。
参議院の政党化は致し方ないことかもしれない。また、議員個人の活動には限度があり、政党主体のアプローチが有権者の利益になることもあるだろう。だが、そうであったとしても、衆院選で落ちたら参議院で凌ぐという安易な流れが蔓延ると、参議院は空洞化し、その存在意義さえも失いかねない。
政党自らが参議院を掘り崩すようなことは避けるべきだろう。まさか政党が率先して参議院不要論に与している、なんてことはないと思うが。
辻元さんには手近な参院選に飛び付かず、次の総選挙まで選挙区を隈なく歩き、有権者の些細な声にも真摯に耳を傾けて、捲土重来を期して欲しかった。せめて、参議院をステッピングストーンにだけはしないように願いたい。