「人間」と「動物」の違いはどこに

スイス放送協会のウェブサイト「スイス・インフォ」から配信されたニュースレターの中に興味深い記事(2月14日)があった。先ず、その概要を紹介してから今回のテーマについて話を進めたい。

人間と同じ基本的人権を求める霊長類?(「スイス・インフォ」のサイトから)

「スイス北部のバーゼル・シュタット準州で13日、人間以外のすべての霊長類にも基本的人権を与えるべきだとする発議案について、世界で初めて住民投票が行われた。同案は反対多数で否決された。同住民発議は2016年からのもので、『人間以外の霊長類の身体的及び精神的完全性に対する権利』を保障できるよう、州憲法の改正を要求していた。可決されれば霊長類が『もの』ではなく知覚のある『個人』として扱われ、例えば州内の大学では霊長類での動物実験ができなくなるとされた。13日の住民投票で、有権者の74.7%が反対し否決された。投票率は51%だった。同日に連邦レベルの投票で問われた動物実験の禁止も反対79.1%で否決された」

この記事を読んでこのコラム欄で先月報告した「スペインでは『動物』はものではない」(2022年1月11日)という記事を思いだした。スペインでは動物をもはや「もの」(Thing)ではなく、「感情のある存在」と規定する民法の改革が1月4日、承諾された。同改革によって、人はクリスマスにプレゼントに犬を買い、飽きたらどこかに捨ててしまうことはもはやできなくなる。なぜなら、動物は「もの」ではなく、我々と同様に喜怒哀楽を有する存在となるからだ。

スペインの法改正が動物世界にとって朗報か否かは動物たちに聞かないと判断できないが、昨年から今年に入り、動物の権利を擁護する報道が頻繁に報じられている。世界の動物愛護グループがグローバルなキャンペーンを始めたのだろうか。

スイスの場合、人間以外の全ての霊長類に基本的人権を与えるという発議案だ。ここでいわれる霊長類は類人猿(ボノボ、チンパンジー、ヒト、ゴリラ、オランウータン)のほか、ヒヒ、マカク、ワオキツネザル、オナガザル、マーモセット、ロリス、キツネザルなど、全部で300~500種が対象となっている。そして発議者の動機は、「霊長類は痛みに対する感度が非常に高く、亡くなった人を悼み、他の動物に思いやりを持ち、将来の計画を立てることもできる」というのだ。

同案は反対多数で否決されたが、大きな問題を提示している。人間と他の霊長類、動物の違いはあるのだろうかだ。生きている存在であり、喜怒哀楽を有し、外観も似ているとなれば、人間とチンパンジーの違いは限りなく少なくなる。だから「人間以外の他の全ての霊長類にも基本的人権」云々の発想が生まれてくるのだろう。

聖書の「創世記」によれば神は光から始まり地の青草・木を創り、空の鳥、海や水の動物や魚を創造しその度に「良し」とされ、最後に「自身の似姿で人を男と女とに創造し、地を従わせ命あるすべての生き物を治めよ」と祝福した。これを見る限り、人間と他の動物は神の共通のロゴスで創造されているが、全てを治めるのは人間に任されているということだ。

例えば、イスラム根本主義強硬派が支配するイラン議会は昨年11月17日、「有害で危険な動物から公共安全を守るための法案」を作成した。同法案によると、「ワニ、ヘビ、トカゲ、ネズミ、サル、カメ、ネコ、ウサギ、イヌなど」を保有している場合、多額の罰金が科せられ、イヌと散歩する場合も同様に罰金を受ける、といった内容だ。イスラム教の聖典などでは特定の動物は「不純」という理由で忌み嫌われてきた。だからイヌやネコを飼っている人に家を貸してはならない、といった具合だ。聖職者支配のイランでは人間と動物たちの違いをはっきりとしているわけだ(「イラン『動物保有禁止法案』の運命」2021年11月19日参考)。

ただ、問題は、動物ではなく、やはり人間だ。神の似姿であり、神性を持つはずの人間が堕落、腐敗し、互いに憎み殺しあっている。万物の霊長の位置から落ちた人間は、邪心がなく与えられた原理に基づいて生きる動物たちに逆に惹かれ、慰められているのが現状だろう。

「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」(「ローマ人への手紙」第8章19節)という聖句がある。動物たちの権利擁護を訴える運動は、人間が万物を治めるだけの愛と心情を復帰しない限り、法律が施行されたとしても難しい面がある。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年2月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。