ロシアのプーチン大統領は21日、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の主権を認める大統領令に署名した。ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州の親ロシア派が実効支配する南部(ドンバス)はここ8年来内戦状態にあり、1万数千人のウクライナ人の犠牲者が出ているとされる。
プーチンはドンバス「両国」との友好、協力、相互援助に関する条約に署名、外務省に外交関係を結ぶよう指示し、国防省には軍を派遣して平和維持に当たるよう命じた。これに先立つ15日、ロシア議会下院がドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を承認するよう大統領に要請をしていた。
ウクライナと台湾への新旧共産覇権主義国による侵攻が今日か明日かといわれてきた。バイデン政権が首都キエフが危ないと断じたウクライナで、プーチンは8年前のクリミア自治共和国の承認とほぼ似た手口を使い、かつて住民投票という形式を踏んでいたドンバス「両国」を承認した訳だ。
日本からは遥か遠い欧州東部地域の出来事ゆえ、筆者も台湾に対するような身近さを感じず、知識も持ち合わせていない。ドンバスの人々の心情も、多くの日本人は良く知らないだろう。そんな筆者としては、このドンバス問題が台湾にどう影響するかが気になってしまう。
彼我の相違点はいくつも挙げられるが、その最たることはウクライナが、30年前に崩壊するまでの何世紀にもわたってソ連邦(それ以前はロシア帝国)の極めて主要な一員で、配備されていた核をロシアに戻した経緯すらあったことではなかろうか。
一方の台湾はその400年余りの歴史で、中華人民共和国の一部だったことはない。西洋史に登場する17世紀までは原住民の島、そしてオランダ(北部は一時期スペイン)と鄭成功の短い支配時代を経て、満州族の清王朝後期にその版図(台湾省)となり、1895年から約半世紀の日本統治を先の終戦で終え、以降は中華民国となった。
ドンバス「両国」の今後がどうなるかは見当がつかないが、クリミアと似た状況になる可能性が高かろう。ウクライナ全土にロシア軍が侵攻し、両国の全面戦争になるようなことはあるまい。ドンバス内戦への軍派遣は今に始まったことではないが、キエフ侵攻などにはプーチンが重視する大義名分がないからだ。
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プーチンは「両国」を国家承認した21日にも、「ウクライナのNATOへの加盟のような脅威に直面したら、ロシアへの脅威は何倍にもなるだろう」とし、「同盟国の一つが攻撃を受けていると見做された場合、全ての加盟国はその一つの側で戦わなければならないことが明らかだ」とNATOへの脅威を繰り返した。
袴田茂樹青学大名誉教授が日本国際フォーラムのサイトに1月31日、プーチンが昨年12月23日の記者会見で「NATOに関しては、あなた方は90年代に、東方には1インチたりとも拡大しないとわれわれに言ったではないか。われわれは騙されたのだ。あなたたちは露骨に騙したのだ」と述べたことについてコメンタリーを載せた。
そこで袴田教授は「問題なのは、日本のメディアや専門家・政治家たちが、『90年代初めの口頭での約束』というロシア(プーチン)側の主張を当然の前提として、様々な情報や見解などを展開していることだ」として次のように述べ、ロシアの識者の意見を紹介している。
ここで私が述べたいことは、ロシア側が前提としていることは、全くの間違いまたは意図的なフェイク情報だということである。それを説明するために、西側の情報だけでは説得力が欠けるので、私の言わんとすることを立証するロシア側の情報や、当事者ゴルバチョフの証言、90年代初期のロシア政治家やまた今日のロシアの専門家などに耳を傾ける。
まず「露紙『新時代』(2016.1.18)掲載の国際記者B・ユナノフ」の記事が、92年のボスニア戦争によって「NATOの東方拡大」という概念が生まれたが、プーチンの主張とは逆に、その頃はウクライナやジョージアに拡大するなど誰も考えていなかった。皆が考えていたのは、崩壊したユーゴにおける民族浄化と「大セルビア」主義への対応であった、との趣旨を述べていることを紹介する。
次は露紙『独立新聞』(2015.12.15)が掲載したN・グリビンスキーの論文の一部で、論文は「NATO拡大に関し『欧米はゴルバチョフに拡大しないと約束した』というのも神話だとし、ゴルバチョフ自身が2014年10月16日に『当時はNATO拡大の問題そのものが提起されなかった』」などとし、こう続けている。
当時ロシアは西側諸国にとって敵ではなく、彼らの同盟国やパートナーとなると期待されていた。必然的に、ロシアがリベラルな民主主義の路線から離れれば離れるほど、ロシアにとって「NATOは敵」というイメージが強まるのだ。
そしてロシアの安全保障問題の権威で、世界経済国際関係研究所安全保障センターのA・アルバトフは次のように述べる。(『独立新聞』2022.1.17)
(略)今日においては、NATO諸国の半分と、米国のエスタブリッシュメントの大部分は、ウクライナとジョージアのNATO加盟に反対している。(略)NATO非加盟の中立国フィンランドやスウェーデンは、ウクライナを巡る戦争が始まったとしたら、直ちにNATOに加盟するだろう。そうなるとロシアは、ウクライナとの国境の代わりに、フィンランドとスウェーデンとの間に、陸上、海上を含めてNATOと数千キロメートルにわたり国境を接することになる。つまり、バルト海沿岸諸国は黒海沿岸諸国と同じく、全てが敵国になるのだ。
そして袴田教授は、「以上、プーチンが『西側は、NATOは1インチたりとも拡大しないとの約束を破った』と呪文のように唱える被害者意識について、90年代初期のロシア側当事者や関係者、また近年の露メディアなども、それが事実ではないと否定していることを紹介した」と結ばれる。
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袴田教授とロシアの方々はこのように述べるが、筆者が最近読んだ吉留公太神奈川大学教授の「ドイツ統一交渉とアメリカ外交―NATO東方拡大に関する「密約」論争と政権中枢の路線対立―(上)(下)」(国際経営論集No.55 2018年)なる論文(以下、論文)に異説が述べられているので以下にその要旨を紹介する。
論文はまず、米国あるいは西独が「NATOを東方拡大しないなどソ連の利益に配慮することを約束したことと引き換えに、ソ連が、当初反対していたはずのドイツ統一と統一ドイツのNATO残留を容認したという取引」を「密約」と表現し、「その存在が大きな論争の的となっている」とする。
つまり「密約」は東西ドイツの統一が議論された90年前後に統一ドイツのNATO加盟に係る出来事ということ。ドイツ統一は90年10月(ベルリンの壁はその前年の11月に取り払われた)、そしてソ連崩壊は91年12月だから、ユナノフ記者のいう92年の「ボスニア戦争」よりも2~3年前の話ということになる。
90年代後半に入ると、旧東西ドイツとロシア(旧ソ連)の史料に続き、英米仏のドイツ統一交渉に関する史料が公開され始め、これらの関係各国が「いかなる論理で、どのような譲歩」を行ったのかの研究が深化していった。これらの研究は主に次の三つの論点を検証することで進められている。
- ヨーロッパ安全保障秩序を軍事同盟(集団防衛)中心のものから、集団安全保障組織(CSCEなど)を中心としたものへと変化させる何らかの約束を含んでいたのか、否か。
- 上述のa)と連関して、NATOの不拡大や、統一ドイツの旧東独部分をNATOの管轄の外に置くなどの「合意」・「密約」が米ソ、 独ソ間で存在したのか、否か。
- ソ連を事実上「買収」したのか、否か。もし買収したのであれば、誰が、いつ、いくら渡したのであろうか。
a. とb. は90年代後半以降に米ロの緊張が増す中で、プーチンをはじめとするロシアの首脳が、ソ連によるドイツ統一の容認の引き換えに米国はNATO東方拡大を行わないと約束をしたはず、と繰り返し返し指摘し、米国が約束を反故にした以上、ロシア側も旧ソ連諸国の領土保全や軍縮問題に関する合意を尊重し続けることは困難であると主張した。
(後編につづく)