競争入札の「適正な形」と「適正な中身」

「市としては、適正な形での入札が行われていたと考えているが、入札にあたって外部から関与できていた部分があったのだと思う。今後、どこに問題点があったかきちんと見極めて改善していく。」(NHK WEB記事より

これは、宮崎県小林市の市長が、先日発覚した談合事件を受けて発言したものだ。小林市が発注したごみ収集車の入札に関して、市内のごみ収集業務を受託するNPO法人の役員と自動車販売会社の従業員が、応札業者に対して特定の車のメーカーを指定するように指示したという。談合の疑いと報じられているので、罪名は談合罪(刑法96条の6第2項)なのだろう。

宮崎県小林市市役所 Wikipediaより(編集部)

ごみ収集業務を受託するNPO法人の役員が絡んでおり、この役員は同市の元職員だということなので、この役員がキーパーソンだったのだろう。市とのパイプも強かったと推測される。そうでなければ応札業者がその意向に従う力が働かないだろう。

ごみ収集車なのでスペックは当然、詳細に定められているはずだ。メーカー指定であれば、実質その自動車販売業者が仕切れるということになるだろう。安心してそのスペックに合ったごみ収集車の売り上げを確保することができる。後は応札業者に談合をさせれば応札業者にとっても不満は少ないし、販売業者も高値での販売が可能になる。実際、上記自動車販売会社従業員が落札業者に応札価格を指示したと報道されてもいる。それがローテーションなのか、談合金のシェアなのかは分からないが、いずれにしてもそんな構造なのであろう。

有名な独占禁止法の事件として、病院用ベッドをめぐる私的独占規制違反事件がある。これは東京都の病院用ベッドの発注に際し、あるベッドメーカーが事情を知らない東京都の担当者に自社が有利になるスペックを吹き込み、その結果、他のメーカーを排除した。応札業者は流通業者だったので、このベッドメーカーは応札業者に指示して、入札談合を行なわせた、そんな事案である。

このベッドメーカーは独占禁止法の私的独占規制違反として公正取引委員会から行政処分を受けたのだが、入札談合を行なった応札業者は不問に付された。というのは、応札業者はこのベッドメーカーに「支配」されたという認定がなされたからだ。

今回のケースは談合容疑なので、応札業者の談合が中心的な事実であり、それに上記の2名が関与したという構造になっている。96条の6第1項の公契約関係競売入札妨害罪も絡めた方が収まりがよいように思われるが、談合罪での立件を目指すのであれば、応札業者の扱いをどうするのか個人的には興味深く思っている。

また、この入札が何度も繰り返されているというのであれば、独占禁止法違反として扱ってもよいようにも思われるが(どこに情報が行くかという偶然にも左右されるが、この規模の事件だと警察マターになることが多い)、警察は業者側だけの問題ではなく、発注者側の問題としてもそのシナリオを描いているのではないだろうか。ごみ収集業務を受託するNPO法人の役員が絡んでいるので、そのシナリオはリアリティーを持つ。

ただ、ごみ収集業務を受託する業者からすれば、入札の度にメーカーが変わってしまう事態は避けたかったという事情があっただろうことは容易に推察ができる。慣れ親しんだタイプの方が業務遂行に都合がよい、ということは確かにいえる。

しかしそういう事情があれば、発注者がそれを明確にし、そのニーズを踏まえた形の発注をかけるべきであって、業者サイドが話し合って競争を制限することを正当化するものではない。そして高値での落札を話し合いで決めることは競争入札の根幹を否定する行為である。発注者が競争をさせる以上、そして競争の余地がある以上、競争に反する行為は許されない、というのが入札関連犯罪の基本的考えだ。

市長は、「適正な形での入札が行われていた」という。本件は指名競争のようなので、ある程度応札業者が固定化されていたと推察される。そして発注者側が指定していない特定のメーカーだけの納入が何度も繰り返されてきた、という。メーカーの特定化は自然な競争の結果という可能性もあるが、やはり不自然な部分もある。さらにメーカーが固定化されても、利幅を削るという意味での競争は残るが、価格の談合によってそれすらもなかったのだろう。「適正な形」だったかどうかも筆者は疑問に思うが、少なくとも「適正な中身」ではなかった。

では「適正な中身」を担保する契約のプロセスとは何か。これを追求するのが発注者の役割だろう。被指名業者の組み合わせを柔軟にする、あるいは参入要件を緩和した一般競争にする。これだけでも随分と変わるのではないか。

筆者は何でもかんでも一般競争という発想は好まないが、無批判な指名競争にも与しない。思考の結果、選ばれた方法であるかどうかが重要である。「手続は適正だった」という反応は「コンプライアンス上問題なかった」というエクスキューズと言い換えることができ、そしてのようなエクスキューズに「考える姿勢」を感じないのは、果たして筆者だけなのだろうか。