ウラジミール・プーチンによるウクライナへの軍事侵攻、その衝撃的なニュースを目にしたとき、私は激しい憤り、恐怖とともに、言葉にならない嫌悪をプーチンその人に感じた。
この理性を超えた嫌な感じ、感情的な拒絶感はいったい何だろう、どこからくるのか。どうやらそれは、レイプや性的嫌がらせなど性暴力事件の理不尽さ、そして何よりもその加害者に対して覚える感情に似ている。つまり、私には「プーチンはまるでウクライナをつけ狙うストーカー」のように映ったのである。
この侵攻の責任はプーチン大統領一人に帰せられるものではなく、こうした人物を大統領に選び、またアスリートのドーピング問題に代表されるような国家ぐるみの構造的な不正を放置してきたロシアの人びとにもあると思う。国家責任が問われることは言うまでもない。しかし、そうであっても、私にはそこにはプーチンという人物のキャラクラーが色濃く反映されているようにみえる。
ストーカー行為等の規制等に関する法律はストーカーの定義から始まるが、岩手県警のホームページに掲載されたものが分かりやすい。ストーカーとは「特定の人に対する好意の感情、またはその好意がかなわなかったことに対する怨念の感情によりつきまとい、まちぶせ、押しかけや無言電話などをする人」を指し、「異常なほどの執着心、支配欲に基づく行動で、なかなか歯止めが利かず、行動がエスカレートする」特徴がある(「つきまとい行為、ストーカー行為とは」より)。
ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)への加盟意欲が契機になった今回の侵攻は、NATOの東方拡大阻止と2024年の大統領選挙に向けた権力基盤の強化といった直接的な理由のほかに、その背景にはいまだにウクライナをロシアの一部とみなすプーチンの歪んだ歴史観があると指摘されている。ロシアを見限ろうと、欧米に急接近しようと、それは独立国家ウクライナの自由である。しかし、自分勝手な歴史観に固執する彼にはこうした現実は全く見えないようだ。
「矮小化も甚だしい」との専門家諸氏のお叱りを覚悟であえて喩えれば、このプーチンの行動様式、離婚をした妻に執着し、彼女に新しい相手ができるや、是が非でも別れさせようと卑怯な脅しをかけ、それが効かないとみるや、暴力的な実力行使に出る、ストーカー夫のそれと全く同じだ。しかも、被害者には何の落ち度もなく、責任は一方的に加害者にあるという点も共通する。
このような人物を大統領に選び続けるロシアとはいったいどのような国なのか。女性たちの置かれた状況が気になる。というのも、強権国家はジェンダー平等とは相容れないばかりか、女性への暴力を容認する傾向にあるからだ。
案の定、ロシアでは実に多くの女性が夫やボーイフレンドによる暴力(ドメスティック・バイオレンス、DV)の犠牲になっている。
まず驚くことに、少なくとも155カ国に存在するDVを取り締まる法律がロシアには未だ整備されていない。1991年以来、ロシア政府は40回以上にわたってDV被害者を保護する法案の成立に失敗してきた。
しかも、2017年には「たとえDVが発生しても、被害者が重大な傷害を負い、病院で治療を受けない限り刑法犯にはならず、5,000ルーブル(7,000円弱)程度の罰金で済まされる」という加害者を擁護するような法律が、大統領の肝入りで成立した(TIME, “Russia’s Leaders Won’t Deal With a Domestic Violence Epidemic. These Women Stepped Up Instead”, 2021年3月3日)。DVの犯罪性を軽視するのは、妻は夫の従属物であり、生殺与奪の絶対的な権力が夫にあるいう封建時代の考え方だ。
法の不作為は、警察の怠慢を引き起こし、暴力行為を止めさせるために通報しても警察は一向に動かず、警官が現場に来るのは殺人という結末を迎えてからのことも少なくない。調査によると、同国では毎年5人に1人の女性がDVの被害に遭い、うちおよそ14,000人がそのために命を落とすという。
ゾッとするような状況ではあるが、DV被害者を支援する女性団体などの粘り強い活動によって、DVの防止や被害者保護へと世論に変化も生じている。たとえば、先の加害者擁護法への賛成者は、制定時には59%に上ったが、2019年には26%に減少し、さらに70%のロシア人がDV防止法の導入に賛成するようになった(TIME、前掲)。
今回の軍事侵攻でも、心あるロシア人が戦争反対の声を挙げ、当局の厳しい取り締りの中で行動を起こしている。強権国家は国民の安全すら脅かす。女性や子どもはその最大の犠牲者だ。いつか、国民自らの手で、この妄想に憑かれたリーダーを排除する日が来るのだろうか。いや、必ず来てほしい。