ウクライナ問題を考える際にこれはいったい、誰と誰の争いなのか、そしてその被害者は誰なのかを考えていました。
日本が先の大戦であれほどの戦争をしたのはなぜでしょうか?いろいろな視点はあります。日本がそもそも日露戦争で勝ち、交渉で負けたことで海外に対して強い不満を醸成したことは大きいでしょう。若い将校たちは限られた情報をもとにほぼ単一民族の中という特性の中、ベクトルがブレず、突き進みやすい背景がありました。それに乗じるように軍部に乗っ取られた政権と大本営による情報操作で国民は戦争に引きづり込まれました。
終戦を迎え、国民の戦意はまるで空気の抜けた風船のように一気に萎みます。GHQが恐る恐る日本に上陸しても敵方だったアメリカ兵を襲うこともなく拍子抜けだったという記録誌もありました。
国家を牛耳る政権トップとは会社で言うCEOです。国民一人ひとりでは当然情報量も作業量も声の大きさも限界があります。国家に背けば厳しい仕打ちが待っているならば反論する意思は起きにくくなります。国民が国家という会社勤めならば会社を辞め、違う会社(=国)に転勤すればよいのですが、国家で言う転勤、転籍とは難民や移民といった手段しかなく、限られた人と限られたチャンスしかありません。
私はこの侵略戦争の最大の被害者はウクライナの国民と共にロシアの善良な国民も含まれるべきなのだろうと考えています。国際社会はロシアをあらゆる方面で駆逐しようとしています。一方でロシア系の移民は世界中で広く活躍しています。アメリカ内だけでロシア系と称する人は300万人、カナダにも60万人以上いるとされます。
今回の侵略はロシアという国家運営の責任者であるプーチン氏とその取り巻きや戦争の実行者であり、彼らを政権の席から引きずり下ろすことこそ国際社会が真に行わねばならないことです。そしてそのチャンスは遠からず、確実にやってくるだろうとみています。
ロシアはこの戦争を1週間程度に収める必要がありました。それが可能だったならばプーチン氏が笑い、できなければウクライナがよく耐えたと称えられる、そんな争いです。双方とも地上軍の長期戦などできません。冒頭に日本の戦争のケースを書いた理由はそこにヒントがあります。かつては情報など誰も持っていなかったのです。嘘か本当かわからないほんの一握りの噂話を信じるしかなかったのです。しかし、今は情報はダダ洩れだし、情報を世界に向けて誰でも簡単に発信できるのです。とすれば戦争が膠着すれば戦意は落ち、戦略は見直さざるを得ないのは当たり前です。
この戦争、誰と誰の戦いなのか、ご批判は覚悟のうえで敢えてわかりやすい例えを考えるなら、朝鮮半島の戦いに似たものを感じます。祖国統一という立場のプーチン氏とより自由と開かれた民主的社会を求めるゼレンスキー氏です。それぞれの国家のトップのイデオロギーのぶつかり合い、そしてブチ切れたプーチン氏の力による押さえつけがメインフレームです。ウクライナの大統領がゼレンスキー氏ではなく、もう少し政治力に長けた人なら違った展開もあったでしょう。が、国民が選んだトップです。それを言うのは禁足です。
プーチン氏の精神状態はおかしいのではないか、と報じられています。思想のベクトルは同じ方向なのですが、確かに急激に過激になり、おかしくなった気がします。が、誰も暴走するプーチン氏に逆らえない中、ロシアの地上軍が思った通りの戦果をあげないなら飛び道具を使ってでも明白な勝利を手にしたい気持ちは相当あるでしょう。それを押さえらえるのは誰か、といえばもはや、ロシアの現政権幹部か軍部かロシア国民しかいないのです。今、外国の特殊部隊がそれに介入することはできません。
早晩、どういう形にしろ戦争行為は止まるでしょう。ロシア軍部が政権の言うことを聞かなくなるかもしれません。政権の転覆、軍部による革命すら否定できません。プーチン氏が政権の座に留まることは私はもはや100%ありえないとみています。(本人もわかっているはずだし、それが逆に一番恐ろしいクライマックスになるとも言えますが。)その時、世界は気づくことがあるはずです。長期政権の弊害です。
今、この戦争の行方を固唾を飲んで見守っている一人は習近平氏です。日経の編集員記事に「ロシア暴走、中国の誤算 『全面侵攻ない』と油断」とあります。私はこの内容は違うと思っています。中国は侵攻する確率はある程度見込んでいたはずです。が、ロシア軍が弱かったことに衝撃を受けているのだと思います。併せて国際社会の猛烈な制裁の連続を目のあたりにしました。
一昨年、習氏は香港を舞台にした当事者でありました。今回、第三者として冷静に見て、世界を敵に回すしっぺ返しがどれだけ凄惨なものか、驚きをもって見ていることでしょう。私は台湾問題は当面消えるとみています。習氏に今、そんな度胸はないし、3期目の決定を約半年後に控える中、勝負が3日でつかない予期不能なチャレンジはできないということを悟ったからです。
今回の問題は国際社会、ひいては世界経済や社会秩序に大きな波紋となるでしょう。我々は、考え、反省し、そして正しい選択をする重要な機会を与えられたともいえるのでしょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年3月6日の記事より転載させていただきました。