役者から英雄へ
役者を経験せずにどうして大統領の仕事が務まるのか?
役者としての経験がアメリカ大統領としての能力にどう活かされているのかを問われたロナルド・レーガン大統領は上記のように答えた。
レーガンは大統領になる以前にカルフォルニア州知事という政治家としての経験があったものの、それ以前のキャリアのほとんどをB級映画の俳優として活動しており、そのイメージが大統領に就任してからも付きまとった。
最近筆者はウクライナを危機の中で牽引しているゼレンスキー大統領の姿を見てレーガン大統領の金言を思い起こさずにはいられない。ゼレンスキー氏は役者時代にドラマで大統領役を演じた経験はあったが、レーガン大統領とは違い政治経験が全く無いままウクライナという国のかじ取りを担うことになった。
しかし、ロシアの侵攻を前に国民を鼓舞し、国際社会まで魅了するゼレンスキー氏のリーダーシップは目を見張るものがある。そして、そのリーダシップを下支えしている発信力という観点から見たとき、間違いなく役者としての経験が生かされている。
西側からの催促、首都キーヴの陥落が秒読みだと目されているなかで、彼は断固として首都から逃れないとして、ロシアと徹底抗戦する姿勢を見せている。そして、強いリーダーシップ、SNSを有効的に活用した成果もあってか、ロシア侵攻以前は30%前半だった支持率は90%を超える勢いを見せており、彼は国民的英雄に昇華している。
さらに、連日のように西側からの支持を取り付けるために世界各国の政治家から支持を集めるためにオンライン対話を通じて奔走しており、英国議会でのチャーチルの言葉を引用した彼のスピーチに対し、議会は大喝采で応えた。ナチスに抗うチャーチルと似たゼレンスキー氏の境遇を意識してか、老舗のアメリカのニュース番組の司会者であるチャック・トッド氏は「我々はチャーチルと対峙している」とまで述べた。
日本の中では、ロシアに妥協する姿勢を見せないゼレンスキー氏が無責任であるとし、彼の役者としての過去を揶揄する声が未だにでてきている。しかし、ウクライナという国の正統性を信じておらず、政権転覆まで狙っているプーチンに対して、妥協などできるはずがないし、我々は危機の際に指導者の発信力がいかに重要かをウクライナから高い授業料を払ってもらいながら教えられている。
アメリカで高まる飛行禁止区域の必要性
そして、ゼレンスキーのヒロイズムは当初介入を忌避していたアメリカ世論を動かし始めている。相変わらず、アメリカ世論は直接軍隊をウクライナに派遣をしないことを望んでいる。しかし、ゼレンスキー氏の要請に呼応する形でにわかに高まっているのが飛行禁止区域の設置を求める声である。
YouGovの世論調査によると40%のアメリカ人が飛行禁止区域の設置に賛成しており、政治家の中からも施行を求める声が出ている。民主党中道派のマンチン上院議員は飛行禁止区域を選択肢から除外してはならないと示唆し、反トランプ派共和党議員であるキンジンガー下院議員は飛行禁止区域を施行しないリスクは、するリスクを長期的には上回るとの持論を展開した。それだけではなく、専門家たちが共同でバイデン大統領に対して人道回廊を守るための限定的な飛行禁止区域の設置を求める動きも出てきている。
飛行禁止区域とは何か。飛行禁止区域は文字通り敵対勢力の航空機が入ってはいけない区域である。そして、その区域を設定した当事者は仮に敵対勢力が進入すれば、それを撃墜する義務が発生する。つまり、武力を行使をする必要性に迫られるのだ。
ゼレンスキー氏はアメリカを含めたNATO諸国に対し、飛行禁止区域をウクライナに設定することを要求しており、それによりロシアの空からの攻勢を防ぐことを目指している。しかし、NATOが仮に飛行禁止区域を設定するとなれば、それはNATO諸国がロシアとの交戦状態に入る可能性を高め、その行為自体が事実上の宣戦布告とロシアに見なされ戦線がウクライナを超えて拡大していく懸念がある。また、戦線が拡大していき、事態がエスカレートすれば核兵器を伴う応酬にまで発展する恐れもある。
西側には慎重な対応が求められる
ウクライナが正規の戦争でロシアに勝つためには西側の軍事力が究極的には不可欠であり、ゼレンスキー氏の視点からすれば喉から手が出るほどその支援を欲しているであろう。しかし、西側が飛行禁止区域などを実施して実際に軍事力をロシアに対して行使すれば、その最悪の結末は核戦争である。
ウクライナの惨状を見ていて同情を覚え、ゼレンスキー氏のカリスマ性に魅了されることで、当初は考えられなかったような支援を許容する世論が出来つつある。しかし、日本を含め西側はその中でもロシアとの軍事的衝突をもたらすレッドラインを避ける方法を探らなければならない。 それゆえ、ロシアからの情報戦だけではなく、ウクライナからの宣伝工作に対しても批判的な目で観察していく必要がある。