ロシア専門家の大間違いが目立つウクライナ侵略の予測

Jakub Laichter/iStock

橋下批判などより大事なこと

ロシアのウクライナ侵略の残虐ぶりは目を覆うばかりです。首都キーウ近郊で地元住民ら何百人もの遺体がみつかり、地雷を仕掛けられていた遺体もあった。次々に流れてくる映像が示すのは、歯止めがかからず人間とはいえなくなった独裁者の恐ろしさです。

プーチン大統領によるウクライナ併合というより、正気を失った独裁者個人の集団虐殺(ジェノサイド)、戦争犯罪という位置づけに変わりました。侵略前にロシアに詳しい専門家が何を言っていたか振り返ってみました。

ロシア問題といえば、ソ連の崩壊(1991)をいち早く予言し、著名になった仏の歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏です。以来、日本でもベストセラーが多く、人口動態などをもとにした長期的分析で有名です。

同氏は「問題はEUなのだ/21世紀の新・国家論」(2016、文芸春秋)で「ロシアの関心は領土の拡張にはない。広い国土に対する人口の少なさだ」、「ウクライナ危機を理由とした西側の経済制裁にロシアは耐えられないという声を聞くが皮相な見方だ。ロシア国民は社会の未来に不安を覚えていない。ロシアは安定の極といえる」と。今やロシアは不安定の極です。

さらに「ドイツ中心で動くヨーロッパに嫌気が差した米国がロシアと融和していくというシナリオも考えられる」と。フランス人の同氏は徹底したドイツ嫌いで、それがこうした見方をとる理由の一つです。ロシアのウクライナ侵略、プーチンの集団虐殺に欧米は怒り、米ロ融和はあり得ません。

雑誌への寄稿原稿をとりまとめた「老人支配国家・日本の危機」(2021、文芸春秋)では、「感情に囚われすぎると、地政学的真実は見えてこない。資源エネルギーの面でも、安全保障の面でも日露の接近が合理的であるのは、明らかです」と。出版からわずか1年で真逆の結果になり、岸田政権がロシアとの北方領土交渉は「平和条約交渉は困難」と断言しました。

日本人では佐藤優氏(元外務省分析官)が対ロ外交の最前線で活躍した経験を生かし、多彩な執筆活動を続けてきました。「世界史の大転換」(2016、PHP)では、「ロシアは欧州、米国、アジアとは異なる論理と発展法則を持っている」と、ロシアに理解を示しました。

「国家の攻防/興亡」(2015、角川)では「安部首相とプーチン大統領の個人的関係が崩れ、日本は北方領土の交渉戦略を全面的に見直さなくなるという見方には組しない」と。現在の推移は真逆の流れです。安部元首相は、プーチンと2、30回に及んだ首脳会談は何だったのか考えているでしょう。

「ウクライナの政権に過剰な支援を行わないことが安定した日露関係を維持し、北方領土交渉の環境を整備する上で、死活的に重要になってくる」とも。敵対関係に陥っても、相手国とのパイプを持つ人物の存在が必要であるにしても、文筆活動でこうまで公言したことの総括が必要です。日本は欧米民主主義国と結束して、大規模な対ロ経済制裁を実施しています。

ウクライナ侵略でしばしば言及されるのが「新ユーラシア主義」です。ロシア文学者の亀山郁夫氏は「ソ連崩壊によって共産主義という大義が失われた後、プーチン氏が新たな国家的アイデンティティーのよりどころにしたのは新ユーラシア主義だ」(2/26 、読売新聞)と指摘しました。

「ロシアを中心とした文明圏の再構築を企図するこの立場では、旧ソ連圏に属していたロシアとウクライナは不可分の兄弟国で、ウクライナのNATO加盟は絶対に認められないという結論になる」とも。

問題はプーチンがそう考えても、ウクライナの国民がどう考えるかでしょう。また、プーチンの大義がそうだとしても、それを実現する手段の問題があります。「大義と手段」「目的と手段」の関係です。都市を廃墟にし、住民を虐殺までするというのは「目的のためには手段を選ばず」の類です。大義に言及するのなら、手段の残虐性を同時に考える必要がある。

元外務省欧州局長の東郷和彦氏は、月刊文芸春秋での特集「プーチンの野望」(4月号)で「ウクライナへの全面侵攻は強く批判されるべきだ」とする一方、「ロシア側の思考回路を知ることで事態に原因と打開策が見えてくる」と、指摘しました。その後者に重点を置くのが東郷氏です。

昨年7月にプーチンが発表した「ロシア人とウクライナの歴史的一体性について」と題する論文に東郷氏は言及し、「ロシア、ウクライナ、ベラルーシは『スラブ3兄弟』とする見方には説得力がある。相当な勉強を積んでいないと書けない」とまで評価しています。

プーチンがそう考えたとしても、相手国の考え方を無視していいわけはない。さらに東郷氏は「欧州秩序の本格的な再構築、特にウクライナの中立化はその道程の大切な入口です」とまで言い切る。「ロシアにとっては大切」であっても、ウクライナにとってはどうなのか。目的を達するための都市の破壊、民間人に対する虐殺が不可避とするなら目的自体が否定される。

ネット論壇では、元大阪府知事、テレビタレントの橋下徹氏が「政治家同士が殺し合いをしたらよい。国民は関係ないやん」「ウクライナに降伏を勧める」といった類の発言をして、炎上しています。

この人物はロシアやウクライナの専門家でもない。ネットで騒がれることを目的として、感情的な発言を乱発しています。橋下批判をすると同時に、ロシア専門家がどのような主張をしてきたかを振り返ることが有意義です。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年4月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。