「NATO東方拡大」とは何か(前編)

篠田 英朗

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ウクライナ対するロシアの侵略戦争の勃発で、NATOの東方拡大が、日本でも大きな話題を集めるようになった。プーチン大統領は、NATO東方拡大に代表される西洋諸国の行動に反発していると、述べてきている。

これに全世界の反米左派系の人々が、アメリカ批判の材料として反応している。日本でも、NATOの東方拡大こそがプーチンを追い詰めて、戦争を誘発した元凶であるかのように語る人々が、後を絶たない。これらの反米左派の人びとは、「ウクライナにおける戦争に最も大きな責任を負っているのはアメリカである! アメリカは責任をとって早く戦争を収束させよ! そうでなければウクライナの代わりに自分が戦え!」といった威勢のいい言説を垂れ流している。

確かに、NATO東方拡大は、冷戦終焉後の時代における国際安全保障の大問題の一つである。識者の間で意見も分かれている。現在でも依然として東方拡大を支持する者が多いが、有力な批判者もかなり存在する。

批判者の代表格が、シカゴ大学の国際政治学者・ジョン・ミアシャイマーだ。2014年にウクライナで起こった「マイダン革命」によって親欧米系の政権が樹立された後、ウクライナも対象にしたNATO東方拡大は、ロシアの強い反発を招くと論じた。2014年に、すでにロシアは、クリミアを併合しただけでなく、ウクライナ東部地域における分離独立運動を支援して、継続的なウクライナにおける内戦の構造を作り出した。ミアシャイマーによれば、これはウクライナの中央政府が、NATOに近づきすぎた結果であった。

ヨーロッパにおけるNATOの拡大は、EUの拡大とも軌を一にして進展する。それは民主主義の拡大でもある。このNATO・EU・民主主義の三つの拡大は、ロシアにとって大きな脅威であり、いずれ過敏に反応するはずだ。だからロシアと長い国境を共有する「緩衝地帯」ウクライナには、西洋諸国は近づいてはならない。ミアシャイマーはこのように警告していた。

2022年にロシアがウクライナに対する軍事侵攻を開始すると、ミアシャイマーの「予言」はいっそう注目されることになった。ミアシャイマー自身も、あらためてNATOがウクライナに近づきすぎたことが戦争の原因であるという主張を展開し続けたため、今や時代の寵児のような存在になっている。

確かに、ウクライナに対するロシアの侵略戦争が、NATO東方拡大と全く一切無関係だと言うことはできないだろう。過剰な警戒心や誤解が介在しているかもしれないとしても、プーチン大統領がNATO東方拡大を糾弾し続けていることは、一つの大きな重要事実ではある。

ただし、だからといって単純に、NATOが拡大していなければ何もかもが問題なく平和であったはずだ、と仮定するのも、根拠のあることではない。「ワシントンDCの外交エリート」との間に大きな溝を持つミアシャイマーを、盲目的に世紀の大英雄として持ち上げるのは、決してリスクがない事ではない。論理的分析を省いて、反米主義でありたいという願望だけを先走らせてしまっては、もうあとは新興宗教に引っかかったかのように、陰謀論を唱え続けるしかなくなってしまう。

冷静にNATO東方拡大が何だったのかを理解し、そのうえでNATO東方拡大がウクライナに対して持つ含意を分析していかなければならない。

NATO東方拡大は、「力の空白」を埋めた作業

日本で陰謀論めいた主張をしている人々の中には、かなり真面目にNATO東方拡大はアメリカの勢力圏の帝国主義的な拡張のことであると信じているかのような人々がいる。だが、NATO東方拡大は、むしろ状況対応的な受け身の性格を持つ。それは、冷戦終焉を引き起こした現象、つまり東欧諸国における共産主義政権の崩壊という現象に対応した措置であった。

冷戦時代にNATOと対峙していた旧「ワルシャワ条約機構」を形成していた東欧諸国は、今は全てNATO加盟国になっている。それはアメリカの帝国主義的野心が強かったからではなく、東欧諸国の希望が強かったため発生したことだ。東欧諸国で共産主義政権が次々と崩壊し、遂にはソ連も消滅してしまってワルシャワ条約機構も消滅してしまった後、東欧地域は、いわゆる「力の空白」の状態に陥った。この東欧の「力の空白」を埋めるという作業を、NATOが行った。悩んだ後に、そうせざるをえないと判断して、行った。

そのことを歴史的背景から確認してみよう。

東欧の「力の空白」問題の歴史的背景

20世紀以前のヨーロッパの大国政治において、自らの力だけで独立を維持できた東欧諸国はなかった。ポーランドのような東欧の有力な国ですら、ロシアとプロイセンに分割され続け、遂には消滅してしまっていた。ウクライナはロシアに飲み込まれていた。特にプロイセンの力が卓越し、1871年にドイツ帝国の統一が果たされた後、ヨーロッパでは限られた数の帝国だけがにらみ合う時代に突入した。19世紀末の帝国主義の時代には、現在の東欧・中欧・南欧は、ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国によって統治される「少数民族」の地域でしかなかった。

例外はセルビアなどが独立を確保していたバルカン半島だが、異なる帝国の後ろ盾を持った小国のせめぎあいは、「火薬庫」でしかなかった。結局、伝統的な多国間の調整を目指した「バランス・オブ・パワー」のメカニズムが働かなくなり、上記の帝国群と大英帝国とフランス帝国が二極グループを形成して対立する硬直した構造の中で勃発したのが、第一次世界大戦であった。

20世紀の世界戦争は、帝国の崩壊を招き、ヨーロッパの大国間の伝統的な「バランス・オブ・パワー」を無効にした。代わって登場したアメリカ主導の国際秩序では、民族自決と集団安全保障が、原則となった。それは、崩壊した帝国の統治地域の処理という、第一次世界戦争後の大きな課題への対応策でもあった。東欧では「民族自決」原則が適用されて、帝国支配下の「少数民族」であった民族に、独立主権国家の地位が認められるようになった。小国の主権を守ることが、国際秩序を守ることとなる時代の始まりである。

その時、ウクライナにおいても、崩壊するロシア帝国から離脱して、独立主権国家になる気運があった。ウクライナは、ポーランドとも、ロシアとも、独立を賭けた戦争を行った。しかし最後はソ連の赤軍に席巻され、ソ連の一部としての地位が固まった。ロシアに次ぐ勢力を持つ民族共同体としてソ連に属することになったウクライナは、時には不当な圧迫の対象であり(ホロドモール)、時には優遇的な措置の対象であった。

さて第一次世界大戦後に独立主権国家となったポーランドのような東欧諸国は、国際連盟などによって代表される戦間期の国際秩序の維持に、大きく依存していた。戦争の一般的違法化が守られ、集団安全保障のメカニズムが働く限り、東欧諸国は独立を維持できる。それが働かなければ、19世紀の帝国主義時代に逆戻りとなり、東欧諸国は消滅していくだろう。

第二次世界大戦は、独ソ不可侵条約を背景にして、ポーランドがドイツに、バルト三国がソ連に渡される事態に至り、イギリス・フランスがナチス・ドイツに宣戦布告を行うところで始まった。東欧の新興独立諸国の消滅は、つまり戦間期の国際秩序の消滅であった。その国際秩序の維持に主要な責任を負っていた英・仏は、ドイツのポーランド侵攻を、レッド・ラインを越える行為とみなした。しかし結局、勢いにのったヒトラーは、オランダ、ベルギー、フランスまでをも次々と占領し、大陸中央部に覇権的な帝国を樹立するに至った。これを破壊するには、ソ連とアメリカの同盟化を通じた軍事行動が必要だった。

この第二次世界大戦の歴史の教訓は、以下の通りである。第一次世界大戦で起こった帝国の崩壊を処理する方法として導入された民族自決の原則は、ただ小国に自らの独立の維持してほしいと期待するだけでは、機能しない。そのため国際連盟の集団安全保障の後ろ盾が導入された。しかし普遍主義を掲げる国際組織は、機能不全に陥りやすい。結局は、地域大国によって東欧諸国は消滅の憂き目にあった。さらなる安全保障のメカニズムが必要である。

そこで第二次世界大戦後、西欧人はアメリカを引き込んで、NATOという集団的自衛権を根拠にする地域的な広域安全保障のメカニズムを作り出した。初代NATO事務総長イスメイ(イギリス人)の有名な言葉を引用すれば、NATOとは「keep the Russians out, the Americans in, the Germans down」、つまり地域外の超大国アメリカを引き入こむことによって、外からロシアが侵攻してくる脅威を防ぎつつ、内側ではドイツが帝国化して小国を脅かすことも防ぐ、という狙いがあった。

このNATOの狙いは、今日に至るまで、70年間にわたり、果たされ続けている。ロシアとウクライナの戦争にあたって、NATO構成諸国が武器供与を通じた強力な支援をウクライナに提供している現在でも、なおプーチン大統領はNATO構成諸国に手出しができない。今回のロシア・ウクライナ戦争を見て、NATOがさらに魅力を増して、北欧に拡大しようとしている理由である。

NATOに対抗してソ連が作ったワルシャワ条約機構は、外部的には、NATOの潜在的脅威に対抗しつつ、内部的には、東欧諸国の共産主義政権を維持し続けるという機能があった。ベルリン封鎖、ハンガリー動乱、プラハの春という負の側面が多々あるが、ソ連が達成したかった目的は、ワルシャワ条約機構によって果たされていた。そのため、冷戦時代を通じて、NATOとワルシャワ条約機構が対峙する仕組みは、緊張感のある安定をもたらしていた。

この冷戦時代の教訓は、以下の通りである。小国は、自国の努力だけでは、独立を維持できない。普遍的な国際組織への過度な期待も、小国の独立の維持には不十分である。しかし帝国主義時代への回帰は、新しい国際秩序においては、論外である。そこで補強措置として、集団的自衛権を根拠にした地域的な集団安全保障の仕組みが導入された。冷戦時代には、それが二つの超大国によるヨーロッパの分断を意味するとしても、再度の世界大戦の勃発よりは望ましい。

こうした歴史的経緯をふまえれば、冷戦終焉に伴うワルシャワ条約機構の消滅によって放り出された東欧全域における「力の空白」は、ヨーロッパの安全保障システムにとって、大問題であった。ロシアはもはやソ連のような帝国ではない。そもそも東欧のどの国もロシアを盟主とする地域安全保障体制に何の魅力も感じていない。そうだとすれば、「力の空白」は、NATOの拡大によって埋めるしかないのではないか。1990年代を通じて、欧米諸国では激論が繰り広げられ続けたが、最終的には、「力の空白はNATOが埋めるしかない」という結論が勝り、1999年からNATOの東方拡大が開始されることになった。

後編に続く)

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