メルケル前首相が沈黙する理由:対ロシア・中国政策で大きな禍根を残す

恩師ヘルムート・コール氏(首相在任1982年~98年)を除けば、歴代のどの首相もできなかった16年間の長期政権を担当し、昨年12月、退任したばかりだ。本来ならば、政界の大先輩として前首相の発言が事ある度にメディアを飾っても不思議ではないが、退任後まだ半年も経過していないものの、前首相の言動はほとんどメディアに報じられずにきた。

その前首相がこのほど労働組合の集会で政治的な発言した、ということで独メディアが報道したばかりだ。アンゲラ・メルケル前首相(在任2005年11月~2021年12月)の話だ。

メルケル氏とプーチン大統領の長い付き合い(英日刊紙「ザ・サン」のユーチューブ・チャンネルのスクリーンショットから、2021年8月20日、モスクワで)

久しぶりのメルケル氏の発言

メルケル前首相は1日、労働組合の集会でウクライナ情勢について「野蛮な戦争」とロシアを批判し、ウクライナ戦争を「欧州の歴史にとってターニングポイントとなる出来事だ」と述べたという。メルケル氏の発言が報じられたのは久しぶりで、ちょっとした話題になった。

厳密にいえば、1日のロシア批判の発言は半年ぶりではない。ロシア軍がウクライナ侵攻した直後(2022年2月24日)、駐独ウクライナ大使館のアンドリーイ・メルニック大使が、「ゲアハルト・シュレーダー元独首相(首相在任1998年10月~2005年11月)とメルケル氏の手には血がついている」と指摘し、2人の政治家はウクライナやバルト3国(エストニア、リトアニア、ラトビア)の強い反対にもかかわらず、ドイツとロシア間で天然ガスのパイプライン建設「ノルド・ストリーム2」プロジェクトを推進した張本人だと批判した時だ。

メルケル氏は、「当時の情勢ではその決定は間違いではなかった」と弁明している。この発言がメルケル氏退任後、初めてメディアで報じられたのであり、1日の発言は2番目だ。

メルケル氏(67)が辞任を表明した直後、同氏を次期の国連事務総長にとか、欧州連合(EU)のトップに招請すべきだという声が聞かれたが、ウクライナ戦争後の“メルケル株”の急落ぶりをみると、そうしなかったことが正しかったわけだ。前首相も当時、引退後、いかなる政治的地位をも求めないと早々と完全引退を表明していた。

対ロシア政策、対中国政策で大きな禍根を残したメルケル前首相

メルケル前首相を「完全に忘れ去られた首相」と表現することは多分、正しくはないだろうが、対ロシア政策、対中国政策で大きな禍根を残したことは間違いない。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領とはほぼ毎年、会談してきた。中国とは16年間で12回も訪中し、人権問題は単なるメディア向けで、ドイツと中国間の経済関係の深化に腐心してきた。

輸出国ドイツにとってはメルケル前首相の対ロシア、対中国共産党政権への関与政策はメリットがあったことは間違いない。ただ、プーチン大統領がクリミア半島を併合した段階でメルケル氏はプーチン氏の本質に気がつくべきだった。メルケル氏の最側近の1人、内相を長い間務めたトーマス・デメジエール氏は、「プーチンという男の攻撃性を見誤った」と認めている。

プーチンという男の攻撃性を見誤った

ロシアが2014年、クリミア半島を併合した時、メルケル政権は対ロシア制裁に参加したが、ロシアとの関係に決定的な見直しはなかった。また、ベルリンで2019年8月、チェチェン反体制派勢力の指導者殺人事件が発生し、ロシア反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件(2020年8月)が明らかになり、メルケル氏の対ロシア政策の修正を求める声は上がったが、メルケル首相は最後まで関与政策を続けた。メルケル政権の対ロシア政策は「経済的パートナーとしてのロシア」と「政治的主体としてのロシア」の間に太い境界線を引いてきた。

ドイツ公共放送ARDのクリスチャン・フェルド記者は、ターゲスシャウ(独の人気ニュース番組)の電子版に掲載した記事の中で、「プーチン氏のウクライナ侵攻はドイツ外交の敗北を意味する」と指摘し、「メルケル氏はエネルギー政策が外交でも大きな柱となるという警告を無視してきた」と述べている。同パイプライン建設計画自体はシュレーダー政権が始めたが、メルケル政権の16年間、「ノルド・ストリーム2」計画を積極的に推進していったのはメルケル氏だからだ。

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は先日、メルケル前首相とフランスのニコラ・サルコジ元大統領の政権時代のロシア政策を厳しく批判し、メルケル氏には、「ブチャに来て何が起きたかを自分の目で見ればいい」と指摘している。同大統領によると、メルケル氏とサルコジ氏は2008年、ブカレストで開催された北大西洋条約機構(NATO)首脳会談でウクライナの加盟に反対したことを意味する。

その6年後、プーチン大統領はクリミアを奪い、14年後にウクライナに侵攻したわけだ。ウクライナがフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー独大統領のキーウ訪問を拒否したのは、同大統領がメルケル政権下の外相時代に親ロ政策を推進していったからだ(「メルケル氏はプーチン氏に騙された」2022年3月30日参考)。

中国にとっては理想的だったメルケル前首相

米国が中国と激しい貿易戦争を展開している最中、メルケル氏は16年間の在任中、12回、中国を訪問し、習近平国家主席とは友好関係を構築していった。ドイツは輸出大国であり、中国はドイツにとって最大の貿易相手国だ。

例えば、ドイツの主要産業、自動車製造業ではドイツ車の3分の1が中国で販売されている。米国からの圧力にもかかわらず、メルケル氏は中国との貿易関係を重視し、人権外交には一定の距離を置いてきた(「輸出大国ドイツの『対中政策』の行方」2021年11月11日参考)。

メルケル氏の任期が終わり、ショルツ現政権が誕生した直後、習近平主席は、「ドイツとの関係がメルケル政権時代と同じように友好関係が維持されることを願う」とポスト・メルケル政権にアピールした。それほどメルケル氏と中国の関係は中国にとっては理想的だったわけだ。中国にとって、ドイツは先端科学技術を取得できる拠点であり、欧州市場への進出する窓口であったからだ。

「EUの顔」といわれたメルケル氏はロシア軍のウクライナ侵攻を目撃することで自身の関与外交の敗北を痛感したかもしれない。それが退任後、半年余り、沈黙してきた最大の理由ではなかったか。そして台湾海峡で軍事衝突が生じた場合、メルケル氏は再び沈黙を強いられることになるかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。