ブタの心臓や腎臓を人に移植:医療を取り巻く倫理を考える

骨髄移植、腎臓移植、心臓移植、肝移植、肺移植などの移植医療は免疫抑制剤などの格段の進歩によって、安全性が担保され、医療として確立した。しかし、移植を必要としている患者さんの数に比して、移植に提供できる臓器数は絶対的に不足している。

生体肝移植や腎移植などは、近親者から提供を受けることもできるが、心臓は脳死移植を待つしかない。そして、日本では子供の心臓移植の可能性は限りなく低い。

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そこで生まれた発想が、ブタの遺伝子操作をして、免疫原性を抑えて人に移植するアプローチである。最近、ブタの心臓の移植、腎臓の移植が相次いで報告された。二つのグループが操作した遺伝子や胸腺移植の有無など異なる。共通点は、どちらも糖鎖修飾に関連する遺伝子を改変して免疫反応を抑えようとしたことだ。血液型のA・B・Oも糖鎖修飾の違いによって起こっているし、腫瘍マーカーのCEAやCA19-9 も糖鎖修飾を検出しているものだ。血液型を誤って輸血すると急激な免疫反応によって重篤な問題が起こることはよく知られている。

日本では、人権無視と騒がれそうな二つの移植であるが、心臓の移植は、このままでは非常に限られた命であることを理由にFDAがゴーサインを出し、米メリーランド州ボルティモアのメリーランド大学医療センターで実施された。当初は順調とのことだったが約2か月後に急変して亡くなった。この間、米国で最も人気の高いスーパーボールも観たそうだ。

腎移植は、アラバマ大学で脳死と判定された患者さんに移植されたものである。倫理的な観点で、移植後54時間しか観察は許されなかったそうだが、移植された腎臓は尿を産生し、急性の免疫反応は認められなかったとのことだ。

たとえ脳死患者であっても、倫理的に問題があるという声も聞かれるが、心臓移植を受けて亡くなった患者さんの家族が、「終わりでなく、希望の始まりになることを望む」とコメントしている。希望のない患者さんが新しい治療を望んでも、安全性を確認してからという日本のメディアは、健康人の声ではなく、切羽詰まった患者さんたちの声をもう少し取材して欲しいものだ。

医療の進歩の過程で、必ず、倫理的かどうかという問題が生ずる。骨髄移植や心臓移植も最初は苦難の道を歩んでいた。日本の心臓移植は、倫理的な疑義が生じたために、大きく出遅れたのは致し方のない面もある。

しかし、生体肝移植という日本で生まれた方法で、これまで救うことのできなかった多くの患者が救われた。これも、健康人を傷つけることに大きな反対の声があり、メディアも当初は感情的な議論に終始した。自分の子供や家族がこのまま何もしなければ確実に亡くなるなら、自分の臓器を提供して希望を託したいと願う気持ちを直視し、向き合うことができない者が報道に携わっているから日本はおかしくなるのだ。余命3-6か月と宣告されたがん患者さんでも、安全性が確立されてからと宣う記者たちの神経は信じがたい。

私は救えないがん患者さんを救うために研究者人生を賭けてきた。医学研究者にとって、救えない患者を救うために何ができるのか、すべての原点はそこにあると思う。

研究費を獲得するためではなく、論文をいい雑誌に書いて自分の出世につなげるためでなく、患者さんに貢献できる研究者が育つことを切望している。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2022年6月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。