偵察から武装へ:軍用ドローンの進化を追う(後編)

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プレデターが送ったコソボのセルビア軍戦車の画像は、NATO司令部(ナポリ)、米軍欧州司令部(シュツットガルト)、欧州連合軍最高司令官オフィス(ベルギー)でも見ることができた。が、モニターのないコソボ上空の戦闘機には見えず、GPS装備もなかったので攻撃できなかった。

(前回:偵察から武装へ:軍用ドローンの進化を追う(前編)

レイセオンの「フォーティーフォー・ボール(44B)」は最先端のレーザー照射器だ。機体に改造を施して44Bを搭載したプレデターにはワイルド=WILD(Wartime Integrated Laser Designator)の語が冠された。

その1年前の98年8月、タンザニアとナイロビの米国大使館が自爆テロに遭い、213名が死亡、4500名以上が負傷した。オサマ・ビンラディン率いるアルカイダの犯行だった。クリントン大統領は巡航ミサイル79発をスーダンとアフガンのアルカイダ拠点に打ち込み、報復した。

が、ビンラディンの姿はどちらにもなく、クリントンはCIAにビンラディン逮捕の権限を与えた。CIAはヒューミントにより居所を突き止めようとした。が、確実に彼がそこにいると断定できずにいたところへ、ワイルドプレデター完成の報がもたらされた。

難題はGCSの設置場所だった。プレデターはKuバンド(周波数12~18GHz)衛星パラボラアンテナを通じて操縦されたが、この衛星リンクでの離着陸にはリスクが伴った。操縦者がコマンドを出してからプレデターが反応するまで、静止衛星と地球の2.5万マイルを往復する時差があったからだ。

離着陸地の5百マイル以内にCバンド(周波数4~8GHz)GCSを置いて離発着させ、安定飛行に入った後にKuバンドに切り替えることで技術上の課題は克服できた。ビンラディン発見は、ウズベキスタンに置いたCバンド局と、バージニア州ラングレー基地の直径11mのパラボラアンテナをドイツに移設した衛星基地局を使って行われた。

だが、ビンラディンに向けて巡航ミサイルは撃たれなかった。インド洋から発射される巡航ミサイルが、プログラミングされてアフガンにいる目標に到達するまで数時間を要するし、ミサイル発射後に目標が動いても、ミサイル軌道の修正が効かないからだ。

コソボでプレデターが目標を見つけ出す能力が証明され、アフガンでワイルドプレデターが見つけ出した目標にレーザーを照射する能力が証明された。が、この能力を確実に攻撃へと結びつけるには、プレデターに撃つ機能も持たせるしかないことは、誰の目にも明らかだった。

開発指示がビッグサファリに下った。プレデターには軽量の兵器しか搭載できなかったが、調査の結果、陸軍に有望なミサイルが11,000発あった。98ポンドの重量ながら戦車を破壊する威力があり、レーザー照準器の反射光を探知して目標に向かうと、陸軍のヘリで実証されていた。

ミサイルの正式記号表示はAMG-114(AMGはAntitank Guided Missile=対戦車誘導ミサイルの頭文字)。が、それを良く知る者はヘルファイアと呼んだ。プレデターの翼下に格納でき、価格は1基48.5万ドルに過ぎない。

いくつか課題があった。技術上の課題は、ヘルファイア発射時に、それが空気力学的にデリケートなプレデターの飛行に与える影響、他の課題は87年に旧ソ連と締結したINF条約だ。条約が禁止する「地上発射型ミサイル」に武装プレデターが該当するかどうかという法的課題だった。

加えて、ヘルファイアは2千フィート以下で飛行するヘリからの発射を想定しているため、プレデターの標準運用高度15千フィートから発射するにはソフトの改良が必要だった。また44Bを改良して昼光カメラを付け加える必要があった。

技術上の課題は、ヘルファイアのロケット噴射炎も、発射の反動も、プレデターに影響を与えないと判り、補強などの改良を加えたプレデター3034は完成した。が、法的課題への国務省総合委員会の「最初の意見」は、「武装プレデターは巡航ミサイルと同等であり、INF条約に抵触する」だった。

数ヵ月経った00年9月、かつて国務省でINF条約交渉に関わった経験のある国家安全保障会議テロ対策責任者リチャード・クラークは、「定義上、巡航ミサイルには弾頭があるが、それのないプレデターはプラットフォームに過ぎず、INF条約に抵触しない」と指摘、法的課題もクリアされた。

プレデター3034が初めて殺傷兵器となった契機は、01年9月11日の大惨事だ。17日、大統領ブッシュJr.は「昔の西部劇のポスターにこう書いてあったのを思い出した。『お尋ね者:生死を問わず』」と述べて、アルカイダを崩壊させる致死的秘密作戦の権限をCIAに与える覚書に署名した。

28日、大統領はアフガンのアルカイダとタリバンとの交戦規則を決める国家安全保障会議を招集、2週間前に議会承認されていた「テロリストに対する軍事力行使の承認」法案に署名した。この致死的秘密作戦の主役が武装プレデターだった。

アフガンでの戦争は、小規模なCIA準軍事組織と特殊部隊が地上で爆撃とミサイル攻撃を誘導すれば、空爆だけで済むと考えられた。が、ブッシュはコラテラルダメージ(民間の巻き添え)、とりわけモスクへの被害を懸念し、これが中程度以上に予想される攻撃には大統領の承認が必要となった。

但し、CIAの作戦のために武装プレデターを操縦する空軍部隊が目標を発見した場合は、大統領承認必要なしとされた。目標にはタリバンの指導者ムラー・モハメド・オマルもいた。この極端なイスラム原理主義者はビンラディンの同盟者で、アルカイダに避難所と訓練キャンプを提供していた。

10月7日、カンダハル中心地にあるオマルの屋敷のはるか上空で、2時間前からそれをカメラの射程内に収めて旋回していたプレデター3034は、屋敷を出て北西に向かう、1台にオマルが乗ると思しき3台の車列を追跡した。

7千マイル離れたメリーランド州アンドリューズ空軍基地で操縦されるこのプレデター3034の画像は、フロリダ州タンパのマクディル空軍基地中央軍本部と、サウジアラビアのプリンス・スルタン空軍基地の連合軍空軍本部に置かれたCACC(合同空軍作戦センター)に共有された。

車列はカンダハル北西部にある、ビンラディンが提供した周囲に塀を巡らせた敷地に入った。多くの者が車列にヘルファイアが発射されるものと思ったが、そうならなかった。1時間たってもプレデターは敷地の上を旋回していた。敷地内の小さな建物がモスクであるか否か議論されていたのだ。

結局、敷地の入り口に停車しているトラックにミサイルを発射することになった。驚いてモスクらしき建物から人が出て来れば、オマルを狙撃するチャンスが生まれる。斯くてヘルファイアが発射された。複数の建物から武装した人影が四方八方に走り始めた。

が、誰一人として頭上を気にしていなかった。迫撃砲か携行式ロケット弾を撃ち込まれたと思ったのだ。この時、オマルは殺害できなかったが、これが新しい戦争の形の始まりを告げる歴史的瞬間だったことは間違いない。天才エンジニア、カレルが無人機を着想してから28年目のことだ。