企業のなかで、幹部職に登用されず終わる人は、昔は、窓際族として、幹部職との間に大きな処遇格差もなく、閑職について、なぜか窓際の席をあてがわれて、時を過ごすことができたのである。では、なぜ窓際族があり得たのか。
おそらくは、窓際族の背後にあったのは、出世至上主義という価値観であって、常に出世を目指すこと、今よりも上位の職位に登用されるべく努力することが規範として企業内に確立されるためには、企業の都合で幹部に選抜されなかった場合にも、経済的には幹部職に準じた処遇にせざるを得ないと考えられたのである。
そして、年功序列の本質は、この出世至上主義にあったのだと思われる。つまり、年功序列は、実は登用における年功序列ではなく、厳格な人材登用戦略のもとで、経済的処遇だけが年功序列になっていたのであり、逆に、経済的処遇を年功序列にすることで、厳格な人材登用戦略を可能にしていたと考えられるわけだ。
このとき、企業にとって重要なのは人材登用戦略だけであって、経済的処遇における年功序列は必要悪だったはずだから、平成になって経営環境が厳しくなったときには、いとも簡単に窓際族は窓際から追い出し部屋に移されたのである。
では、なぜ出世が目指されるのか。出世しても、しなくても、経済的処遇に大きな格差がなかったとしたら、出世には、少なくとも経済的な誘因はなかったはずで、今となれば、なぜ出世が目指されたのか、必ずしも明らかではないが、出世を目指すことと働くこととは、ほぼ同義だったのではないか、なぜ出世を目指すのかという問いは、なぜ働くのかという問いと同じように、問う意味を欠いていたのではないか。
さて、そもそも、出世とは何か。出世とは、企業組織の階層を一つ一つ登っていくことであり、究極的には頂点の社長になることだったはずだが、社長とは何だったのかといえば、それは現在の社会で想定されているような経営の専門家ではなく、端的に出世街道の終点であり、出世の最終目的地だったのだから、出世とは何か、なぜ出世が目指されたのかという問いは、循環して無意味に帰する。出世は不条理である。
森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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