東郷和彦氏(元外務省欧亜局長)の「世界は『ウクライナの正義』か『一刻も早い和平』かで揺れている」という題名の記事が話題だ。
「ウクライナの正義」対「一刻も早い和平」のどちらを選ぶか、という勝手な要求を設定しておいて、和平が大事だ、という主張をして、結果として、戦争の責任を、降伏しないウクライナに押し付ける。「親露派」の面目躍如の内容だ。
東郷氏と言えば、外務省で「ロシア・スクール」の重鎮であり、やはりウクライナを糾弾し続けている日本維新の会の鈴木宗男議員と交際が深く、北方領土をめぐる対ロ交渉でも大きな影響力を発揮していたことで有名な人物である。
「プーチンにある程度『お土産』を渡した形で収めない限り、戦争は終わらない」という東郷氏に従うと、「プーチンにお土産を渡していない」、という理由で、ウクライナが責められることになる。
それにしても「お土産」は、どこかで聞いたことがある言い回しだ。橋下徹氏である。橋下徹氏は、「中国にお土産を」という主張を揶揄されて、ジャーナリストの有本香氏らに、「お土産の人」と呼ばれている。
東郷氏が橋下氏に影響されたのか、あるいは逆なのか。それとも元祖は鈴木宗男氏だ、と言うべきなのか。
いずれにせよ、「お土産」は、「親露派」と呼ばれる方々の特徴的な言い回しになっている。
プーチン大統領のロシアは、核保有国の暴力を振り回してウクライナに侵略しているだけでなく、ウクライナの支援国に対しても第三次世界大戦を起こすぞという威嚇をしている反社会的集団である。暴力団が現れたら、とにかくひれ伏して、どこまでも「お土産」を差し出すしかない、という忠告は、あるいは日本社会の一部では「大人の知恵」のようなものとして尊重されている裏社会の常識のようなものなのかもしれない。
国際社会に厳しい現実があるのは確かだ。戦争を一刻も早く終わりにするための方法を皆が真剣に考えたい状況であることにも疑いの余地はない。しかしだからとって弱者に全ての負担を押し付け、国際秩序の崩壊を容認してでも、強者に「お土産」を渡すことだけを優先させるのは、賢い考え方だとは言えない。岸田首相が率いる日本政府のみならず、世界各国が採用している考え方でもない。
しかも大多数の日本人は、このような「お土産論」に接して、「いじめは、いじめられた弱者が泣き寝入りすれば、解決になるんだ!」、と事なかれ主義の教育委員会の偉い人に圧力をかけられているかのような気持になり、不快を感じている。
日本はもはや、バブル時代に高位の職にいた方々の「税金でじゃんじゃんお土産を買って貢いでいこう」論に同調していける余裕のある国ではない。それは国民もはっきり感じており、ロシアへの「お土産」を積み上げるくらいであれば、防衛費の増額のほうが国家への建設的な投資になる、と考えている。
親露派の方々の「お土産」論は、外交論として危険であるだけでなく、国内世論対策としても、暴走老人への道でしかない。