欧州の歴史問題:バンデラはウクライナ民族の英雄かナチスの協力者か

少なくともオーストリアでは今年の6月は観測史上最も暑い6月だった。7月に入っても暑さは続いている。隣国ドイツでも30度を超える真夏の日々だが、気温のほか、“熱い歴史的論争”が展開され、ますます暑くなっている。

ウクライナの民族主義者ステパーン・バンデラ(Wikipediaから)

バンデラをめぐる駐独ウクライナ大使の発言

今回のテーマはウクライナ民族主義者ステパーン・バンデラ(1909年~1959年10月)の歴史的評価だ。その論争のきっかけは、駐独ウクライナ大使アンドリーイ・メルニック氏の発言だ。

メルニック大使はドイツのメディアに最も頻繁に登場する駐独外交官だが、その発言内容が物議を醸すことが多いことで知られている。最近では、ドイツのシュタインマイヤー大統領が4月12日、ポーランド、バルト3国の国家元首と共にキーウを訪問し、ロシア軍と戦争中のウクライナに対し、欧州の連帯を表明する計画だったが、同大統領の外相時代、対ロシア政策で融和政策を実施してきた政治家だった、と最初に糾弾したのはメルニック大使だ。

その結果、シュタインマイヤー大統領のキーウ訪問計画は頓挫した。また、ショルツ首相が重火器の供給を渋っていると、「約束を迅速に実行すべきだ」とホスト国の独首相を厳しく批判した外交官だ(「ウクライナ大使の言動に憤る独首相」2022年5月5日参考)。

メルニック大使は今回、ドイツのメディアとのインタビューの中で、ウクライナ民族主義組織(OUN)に属し、民族解放運動のリーダーだったバンデラが生きていた時代のウクライナでのユダヤ人虐殺を「些細なこと」と指摘し、バンデラを擁護した。それが報じられると、駐独イスラエル大使はツイッターで、「ウクライナ大使の発言は、歴史的事実の歪曲だ。ホロコーストを些細なことと決めつけ、バンデラと彼のグループによって殺害された人々を侮辱した」と激しく非難した。

その上で「メルニック大使の発言は、ウクライナの人々が民主的な価値観に従って平和に暮らすために勇気ある闘いをしている時、(高貴な)その精神を弱体化させる」と強調した。

ウクライナ外務省は1日、「メルニック大使がドイツのジャーナリストとのインタビューで表明した内容は彼の個人的なものであり、ウクライナ外務省の立場を反映したものではない」と発表し、メルニック大使の発言から距離を置いた。

バンデラの波乱万丈な人生7

バンデラは1929年、ウクライ民族主義者組織(OUN)に入党し、民族解放運動指導者(UPA)となり、ポーランド政府が西ウクライナで行った同化政策とウクライナ人への弾圧に抗議する解放運動を推進した。バンデラは1934年、ポーランド内相殺害に関与した罪で有罪判決を受ける。

ポーランド第2共和国が1939年に滅亡、ナチス軍によって解放され、釈放されると、バンデラはナチス軍と協力し、ナチス政権の対ソ戦争を支援した。ソ連が当時、ウクライナを統治していた。しかし、バンデラのOUNが「独立国家」を宣言すると、ナチス軍はバンデラを投獄した。第2次世界大戦後、バンデラはドイツに逃亡したが、ソ連国家保安委員会(KGB)は1959年10月、ミュンヘンに潜伏していたバンデラを殺害した。

バンデラの50年の人生は、ウクライナの当時の情勢を色濃く反映している。ウクライナの民族主義組織に加わり、ポーランドからの民族解放を目指し、ナチス政権がポーランドを支配すると今度はナチス政権の擁護者として独ソ戦争に参加。ウクライナ民族の「独立宣言」に激怒したナチスから拘束され、最後は亡命先のミュンヘンでKGBに殺されている。波乱万丈の生涯だ。

バンデラの歴史的評価について、「ウクライナ民族の英雄」から、「ナチス政権の協力者」、「戦争犯罪者」までさまざまな評価がある。例えば、ポーランドのマルチン・プシダチ外務次官は、「メルニック大使の発言内容は絶対に受け入れられない。私たちは大使個人よりもウクライナ政府の立場に関心がある」と述べている。

ウクライナ国内でもバンデラについてはその評価が分かれている。ウクライナ東部ではバンデラはナチスの協力者であり戦争犯罪者と見なされる一方、ウクライナ西部では、彼は国民的英雄として多くのウクライナ人から尊敬されている、といった具合だ。

メルニック大使の立場

メルニック大使は明らかに後者の立場だ。メルニック大使は2015年、大使としてドイツに着任後、バンデラを称賛し、ミュンヘンのバンデラの墓を訪問し、献花している。その大使の発言がイスラエル、ポーランド、ロシアから批判されるのは致し方ないが、バンデラのような歴史的人物の評価問題は夏の論争テーマとしてはホット過ぎるのだ。

なお、ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻の目的として、ウクライナの非武装化と非ナチ化を挙げたが、ドイツのバンデラ論争を見ながら、バンデラがナチス政権を支援し、ウクライナ政府がバンデラを民族の英雄扱いしている点を指摘、「自分がウクライナの非ナチ化を挙げた理由は正しいだろう」と主張するかもしれない。

事実は、バンデラはウクライナ民族の独立解放を得るためその時々の外国勢力と組んだが、バンデラがナチストだったことを証明するものはない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年7月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。