安倍元首相銃撃事件は、「反安倍」メディアや言論人の責任だったのか?

私はアゴラに「誰がどんな理由で「安倍氏と宗教の関係がテロの原因」と言っているのか→犯人本人です」を寄稿した。今回の安倍晋三元首相の銃撃事件を、安倍元首相を批判してきたメディアや言論人の責任に帰すことに違和感を覚えたからだ(それは、何も、安倍元首相を口汚なく罵ってきた言論人を許容するものではない)。

すると、次のような反論が見られた。

八幡和郎先生の方が、はるかに説得的。首相への殺意を抱くものが少数なのは当然。問題は猛烈な批判を長期間、広範囲に行っていたことであり、教唆の達成確率が高まる。八幡先生のご指摘通り、殺人者の言説を無批判に受容し、個人へ矮小化することは、安倍氏へのプロパガンダの影響をかき消していく。

「殺人者の言説を無批判に受容」するのは危険というのは、事件以降よく聞かれることだが、確かに即断は危険だし、様々な調査は今後も必要だろう。

しかし、犯人も何度も銃撃の動機について聞かれているはずであり、それについては同じ受け答えをしているものと思われる(政治的動機ならば、既にその事を供述していてもおかしくないし、マスメディアや言論人の言説に影響を受けたならば、それについて、既に語っていてもおかしくはない)。

宗教団体(統一教会)に献金した母により、家庭が無茶苦茶になった、だから、統一教会と関係が深い安倍元首相を狙ったというのが犯人が現時点で述べる動機だ(もちろん、そこには、自分の人生が上手くいかない等、犯人本人の境遇が、動機に絡んでいる可能性もあるが)。

この犯人の動機は、前稿でも書いたように、逆恨みであり、妄想であり、明らかにおかしい。しかし、犯人自身はそう思い込んで安倍元首相を銃撃した。

そうした時、仮にメディアや言論人の安倍元首相批判がなかったとしたら、犯人は安倍元首相を銃撃しなかったのだろうか?

おそらく、そのような事はないだろう。昨年9月、宗教団体の代表らが設立した民間活動団体(NGO)の集会で安倍元首相のビデオメッセージが流れる動画がインターネット上に投稿された。その動画を犯人が見て、安倍元首相と統一教会に繋がりがあると思い「絶対に殺さなければいけないと確信した」という(犯人供述)。

メディアや言論人の安倍元首相批判が犯人の凶行に繋がった痕跡を探したくても、現時点では、犯人の供述からは見る事はできないのだ。

それよりも、安倍元首相のビデオメッセージがネットに投稿されなければ、犯人が動画を見る機会もなく、逆恨みは避けられて、安倍元首相銃撃事件が起きる可能性も減少したと思われる。

それに、安倍氏が首相退任して以降、森友学園問題や安保法制の時のような、大きな安倍氏批判は、管見の限りはなかったように思う。

何度も言うが、私は何も安倍元首相に罵詈雑言を浴びせた言論人の言葉を許容している訳ではない。それは許し難い言葉である。が、その問題と、安倍元首相銃撃を絡めて論じてしまう事は、犯人の供述から考えるに、問題の本質を見誤ってしまうように思うのだ。

今後、犯人の口から、メディアや反安倍氏の言論人の報道・言葉から影響を受けたとの供述があれば、話は別であるが。そうでもないのに、徒らにメディア等の報道の責任とし、その報道が教唆の達成確率を高めたなどと結論付けるのは、論理の飛躍であるし、陰謀論めいている。