一見無味乾燥な減価償却ルールが株の過大評価、労働分配率の低下を招いている

こんにちは。

前回投稿した「裸の王様にされてしまったアメリカの消費者たち」についてご質問をいただきましたので、今回は久しぶりに「ご質問にお答えします」コーナーの第29回を書かせていただきます。

ご質問:減価償却ルールが慢性的な利益率の過大評価につながっているというところまでは理解できるのですが、それが本来労働の取り分となるべき付加価値を資本の取り分にしてしまって、結果的に賃金・給与の低下を招いているというところが、よくわかりません。もう少しくわしくご説明ください。

お答え:はい。それではなぜ現在ほとんどの企業がなんの疑問もなく使っている、何年もの期間にわたって使用される設備・装置を時価ではなく取得原価から毎年の損耗分を引いていくという会計ルールがおかしいのではないかという疑問が生じたのかというところからご説明させていただきます。

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財務諸表ベースの投下資本利益率は明らかに高すぎる

まず、次のグラフをご覧ください。巨額の資本を蓄積して運営されている企業の自己資本利益率を現行の会計ルールどおりに算出したものです。なお、以下のグラフでも薄い灰色のシェードをかけた部分は景気後退期です。

まず、景気の山や谷との整合性はだいたいにおいて合っています。ですが、平均値はとんでもなく高くなっています

株式市場で投資家が大型株に投資した場合の総合収益率(配当が出たら、その配当も同じ株の買い増しに回した場合に得られるはずの利益率)が約6%となっていますから、12%強という平均値は、いくらなんでも高すぎます。

ほんとうに大型株投資がこんなに儲かるものだったとしましょう。

それなら、株式市場での投資は増え、大型株の自己資本は拡大する一方で、同じような業種の大手企業による競争も激化して自己資本利益額は下がり、6%と12%のあいだのどこかで自己資本利益率と株式投資収益率が一致するところまで均衡点が移っていくはずです。

今度は、大型株の株価が1株当たり自己資本の何倍に評価されているかも見てみましょう。

自己資本利益率に比べれば、景気の山、谷との整合性は少し弱まりますが、やはり全期間を通じて過大評価されていることに疑問の余地はありません。

株式市場がほんとうに効率よく運営されているものなら、上場企業の大半は株価純資産倍率が1近辺に収束していくはずです。

なお、この倍率が1を下回っていれば、資産価値が十分に評価されていないことを意味しますから、そこから投資家の資金は逃げていき、自分の投下した資金が高く評価されている株に投じられることはわかりやすい話です。

ですが、上の図のように自分の投下した資金が実額の2倍にも評価されていれば、どんどんその株への投資が増えて、長期的には株価純資産倍率は1近辺まで下がるはずです。

なお、ここでは大型株だけを取り上げて、さまざまな側面から見て評価が高すぎるとの結論に達したのですが、それに加えて大型株は中小型株以上にありあまる資金の使い途にこまっているはずだという証拠も、いろいろ出てきています。

経済全体で固定資産利益率が下がっている

次のグラフは、純利益を企業の持っている固定資産総額で割って得られる固定資産利益率が、時代の変遷の中でどう変わってきたかを示しています。

一目瞭然、1960年代末までは景気の谷底近辺でだけ6%を下回り、それ以外の局面では6%を超えていた固定資産利益率が、1970年代以降では正反対になっています。景気のピーク近辺でだけ6%を上回り、それ以外の局面では6%未満にとどまっているのです。

つまり、アメリカ中の企業が固定資産から得られる収益性が下がって苦労しているのです。その苦労は、固定資産もふくめた資本の総額が大きな企業ほど大きいはずです。

今度は、株だけではなくさまざまな金融資産の長期パフォーマンスを比べてみましょう。

1920年代半ばから2017年までの長期間にわたって、小型株のパフォーマンスの良さが際立っています

この期間に小型株は約2000倍に成長しましたが、株式全体だと400倍前後、社債はわずか16倍、米国債だと10倍に届くかどうか、そして投資家が財布代わりに資金を出し入れしているマネーマーケットファンドだと2倍にも達していません。

これだけ小型株と株式全体の運用実績の違いがあれば、小型株と大型株を比べればその差はもっと大きいはずです。

正確に小型株と大型株の運用実績の差を示すデータではありませんが、毎年大きな投資をしている順に上場企業のトップ20%とボトム20%を比較したデータがあります。

もっとも少額の投資しかしなかった20%の株は、1964~2018年という期間で約8000倍に成長しています。一方、もっとも大きな投資をした20%の株は同じ期間でやっと30倍を超えた程度の低成長にとどまっています。

どうやら企業経営における投資の役割は慢性的に過大評価されているとわかってきました。その過大評価は、いったいどこから忍びこんでくるのでしょうか?

まず考えられることは、「投資」というと、設備投資とか、研究開発投資とか、た企業の吸収合併とか、具体的な行動に遣った資金だけを考えて、内部留保として溜めこむ現預金は数えないことが原因かもしれません

特定の目的に遣わず、なんにでも遣える現預金というかたちで資金を持ちつづけていることも、もっとも流動性の高い資金の持ち方への投資だと考えるわけです。

ちなみに、経済学でも会計学でもその年度のうちに遣いきってしまわずに翌期以降に持ち越す資金や資産はすべて投資と見なします。これは、何かとそりが合わない経済学者と会計学者のあいだで比較的すんなり意見が一致する珍しい定義です。

ここではその年度のうちに遣いきらずに翌年度以降に持ち越した資金・資産を一括して、統合投下資本と呼ぶことにしましょう。ふつうは投資に数えないことが多い内部留保まで統合して投下資本の一部と見なしているからです。

そこで、純利益のうち配当や自社株買いに回さなかった資金はすべて投資と見なして、シミュレーションしてみますと、自己資本利益率でも株価純資産倍率でも、すでにご紹介したグラフと似たような過大評価が出てきました。

そこで、統合自己資本のうち、長期的に特定の実物資産に貼りついている資金を時価評価せずに取得時の額面金額から一定のルールで減価償却を重ねていることが、過大評価の元凶なのではないかという推測にたどり着いたわけです。

取得原価を時価評価すると事態は一変する

こうして、実物資産ごとに取得時原価をそのまま持ち越さずに、インフレで貨幣価値が目減りした分だけ残存価値は高まっているはずだという観点から、補正して算出した統合投下資本利益率が、次のグラフです。

なお、実物資産ごとに取得時原価を確認する作業は上場全株式ではできないことが多いので、対象企業はS&P500採用銘柄という財務諸表の詳細を捉えやすい企業に限定してあります。

先ほどご覧いただいた財務諸表どおりの自己資本利益率に比べるとまったく違い、全期間を通じた平均値が約3.8%に大きく下がっています

大型銘柄中でもとくに保有資本・資産の大きなS&P500銘柄ともなると、全体を時価評価した上での投下資本に対する利益率はこんなに低くなっているわけです。このほうが実態に近いことは一見しただけで納得していただけると思います。

しかし、そこに新しい問題が出てきます。

もし、S&P500全体として、こんなに低い投下資本利益率しか上げていなかったとしたら、直近まできわめて順調に上がっていたS&P500株価指数と個々の企業の業績とのあいだに、すさまじいギャップが存在するのではないかということです。

これは、すぐ上でご覧いただいた統合投下資本利益率のグラフに、S&P500を買って持ちつづけ、配当は買い増しに回していた投資家の得ていた総合収益率を上乗せしたものです。

同じ期間内のS&P500株価指数の創業収益率は、統合投下資本利益率の2倍近い7.3%でした。これは、どう考えても長期的に持続するはずがないほどの大きなギャップです。

その答えは、生存者バイアスです。

つまり、なんらかの投資から得ていた収益を計算するとき対象とするサンプルユニバースは、投資家として生き残っていた人たちに限定されます。

なけなしの資金を投じて、ときには相当巨額の資金を突っこんで、ほぼ全額損失となってしまったので、投資市場から寂しく消えていった人たちの損失率は計算されていません

その非対称性が長年にわたって積み重なると、生き残った人たちの収益率が投資対象となった企業が実際に稼いでいた投下資本利益率の2倍近い数字となっているのです。

このギャップ自体も、初めのうちは広かったり狭かったりかなり変動していたのですが、1960年代半ば以降は安定していることが、次のグラフでわかります。

おそらく、第二次大戦直後までぐらいは株式投資をする人たちのあいだで、いわゆるくろうとの方々が多かったことが最大の理由ではないでしょうか。

資金も比較的大きな額を突っこんでいたので、だいたいにおいて派手に負けて市場から消えていくけれども、ときに大勝ちをしてご自分が大富豪に成り上がることもあったでしょう。

そいうった理由で、株式投資から得られる総合収益率と実質統合投下資本利益率の差が広がったり、狭まったりしていたと想像できます。

それに比べて、1960年代半ばからは「大衆株主資本主義」化が進んで、個人投資家の大部分は慎ましく貯蓄していた少額資金を株に投じてほぼ全額失って市場から消えていく人のほうが圧倒的に多く、景気の山や谷での変動も小さくなっているというわけです。

同じような傾向は、表面的な株価純資産倍率と株価が実質統合投下資本に対して何倍になっているかの比較でも読み取れます。

こちらでは、表面的には純資産の2倍にまで過大評価されていた株価が、減価償却費を過大に見積もり続けてきたバイアスを取り除くと、じつは0.6倍と純資産価値の半分強にしか評価されていなかったことがわかります。

ようするに、アメリカ経済を代表するような一流大型株ばかり集めたS&P500に投資するのは、実質純資産価値の2倍近い高値で株を買っていることを示しています。

そして、1960年代以降のアメリカ経済の輝かしい発展形態と言われることが多い「大衆株主資本主義」とは、少額資金しか運用できない個人投資家を安定的にカモにする仕組みが確立された経済になったということなのです。

こちらももっと長期的視点に立ってふり返ってみましょう。

第二次世界大戦直後ぐらいまでは株式投資家もけっこう勝ったり負けたりのいい勝負ができていたけれども、1960年代半ば以降は一方的に高値づかみばかりさせられるようになっていることが、はっきりわかります。

個人投資家が巻き上げられたカネの落ち着き先

それでは、個人投資家が巻き上げられた資金は、最終的に巻き上げた企業のどこに落ち着くことになるのでしょうか。

これはもう、非常に形式的な論理を押し進めていけば、既存株主と経営陣に行くだけで、その企業に勤めている一般勤労者には回ってこないことがわかります。

まず、慢性的なインフレの中で減価償却を取得時原価に対しておこなっている企業は、それだけで帳簿上に資本・資産より大きな価値の資本・資産を蓄積していることになります。

これは、10%のインフレが続く社会で、100万ドルで取得した機械を20年間の定額償却をする場合を考えればすぐわかります。

20年定額で償却すれば毎年5万ドルずつ償却することになります。こちらはつねにその年のインフレによる貨幣価値の目減りがストレートに反映されるのでOKです。

ところが、取得時原価をそのまま持ち越した上で毎年の損耗分を償却すると、100万ドルで買った機械の当初の価値は何年経っても取得時原価の100万ドルのままに据え置かれるわけです。1年後の残存価値は95万ドルにしかなりません

実際には、毎年10%のインフレが起きているのですから、取得時原価をインフレ率によって割増しして元は110万ドルあったということにしてやらなければ、貨幣価値の目減り分だけ残存価値を過小評価することになります。

重要なのは、こうした取得時原価据え置きのままの減価償却をしている企業にとって、帳簿上はインフレで貨幣価値が目減りした分の残存価値の増加補正分はまったく存在しないことになっているという事実です。

存在しないものを勤労者に分けてやることはできないので、この残存価値目減り分から生ずる資本・資金の「増加分」(正確にはインフレによる貨幣価値目減りの補正分)のうちほんの少しだけでも勤労者に分けてやることはできません

帳簿上でも存在している投資分、配当分、自社株買い分を削らなければ勤労者への配分を増やすことができないからです。

というわけで、前回ご覧いただいたようにアメリカ経済全体における労働分配率低下のざまざまな要因の中で、最大の貢献をしているのは企業が現行の取得時原価からの損耗分差し引きというルールで減価償却をおこなっている事実だということになります。

いただいたご質問へのお答えとしては、以上のとおりです。

にもかかわららず近年表面上と実質の利益率が接近している

ですが、近年企業開示どおりの自己資本利益率が実質統合投下資本利益率に接近しているというおもしろい現象が見られます

まず先ほどご覧いただいた投資総合収益率と実質統合投下資本利益率の差を示すグラフのうち、オレンジ色の枠で囲った部分にご注目ください。

明らかに20世紀末から、両者が急接近していることが読み取れます。

アメリカの大企業経営者が良心的になってきたのでしょうか?

どうも彼らの言動を見ていると、そうは思えません。ですが、このふたつの指標のあいだのギャップは、確実に、しかもかなり急速に狭まってきているのです。

いったい、なぜでしょうか?

まず言えることは、アメリカ企業全体として、近年設備投資だけでなく一般的に投資を絞りこむ傾向が顕著だということです。

設備稼働率、つまり既存設備の何パーセントが実際に稼働しているかを描いた次のグラフをご覧ください。

1960年代末に比べて、最近では設備稼働率が顕著に下がっています。稼働率が下がれば、毎年の損耗分も小さくなり、拡張したり更新したりの必要性も薄れていきます。

したがって、最近のアメリカ企業はめったにその年の当期利益総額を超えるような設備投資をしなくなりました

2001~02年、2010~11年に突然設備投資額の当期純利益額に対する比率が上がっています。ですが、これは設備投資が増えたわけではなく、経済危機によって当期利益総額が激減したための比率上昇です。

前のグラフと見比べていただくと、1990年代初めごろまでは景気も良く、企業収益も高いので、「もっと投資をすればもっと儲かる」と設備投資を増やしていたのに比べると、まさに様変わりです。

どうしてそうなったのでしょうか?

最大の理由は、経済を牽引する業種が設備投資が重要な役割を果たす重厚長大型製造業から、あまり設備投資は重要ではないサービス業に変わったことでしょう。

重厚長大型製造業の典型である、コモディティ製造業と付加価値の大半をハードではなくソフトウェアというサービスによって稼いでいるハイテク産業とのあいだで、設備投資のレベルがどう変わってきたかを見てみましょう。

一見、コモディティ製造業者は落ち目で、ハイテク業者は上昇基調に見えます。収益全体としてはまさにそのとおりなのですが、設備投資に関しては金額の絶対水準にご注目ください

ハイテク産業大手は、これだけ業績が順調に伸びて設備投資を急拡大しても、まだ50社全体で1000億ドルにも達していません

一方、コモディティ製造業者はつい最近のロシア軍によるウクライナ侵攻まで延々と不況続きで設備投資を縮小してきたのですが、それでも50社で4000億ドルから1000億ドル強にまで下がった程度です。

直近でも、時価総額では比べものにならないほど大きなハイテク大手より多額の設備投資を続けているのです。

経済を主導する産業がサービス業に移ったという事実は、インフレが企業利益を底上げし、見かけ上の高収益を演出する作用の重要性を低めているのです。

そして、基本的にサービス業主導の経済になると、重厚長大型製造業主導の時代よりインフレ率一般が低下する傾向があります

ご覧のとおり、これまたロシア軍のウクライナ侵攻をきっかけとしたエネルギー資源の価格暴騰以前には、アメリカ経済にしては珍しくインフレ率が1~2パーセント前後という時期がほぼ10年続きました

私はこの傾向がますます顕著になり、「低インフレ、低投資が続く今の世の中に、そもそも企業が巨額資金を調達しやすいようにという理由で存在している株式市場なんていらないじゃないか」というところまで世論が変わってくれればいいなと切実に思っています。

次の表でご覧いただくとおり、比較的低めのインフレ率でも長年にわたって累積すると、企業の利益率をとんでもなく過大評価させるからです。

もちろん、正直な減価償却ルールを励行して表面的な利益・株価指標と実態との差を縮めることも重要でしょう。

でも、そもそも投資があまり重要性を持たないサービス業全盛の今、そういう百年河清を待つようなまだるっこしいことをするより、「株式市場なんていらないよ」と言ってしまうほうがよっぽど手っ取り早い解決策だと思います。

増田悦佐先生の新刊が出ました。


編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年7月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。