日本では最近学校でジェンダーレスの水着を採用するところが出始めている。
このジェンダーレスの水着と言うのは男女同じようなデザインで、要するに夏場に着用するラッシュガードをスクール水着にしたデザインである。昭和初期から20年代位までの、映画の中で見かけるあの昔懐かしいデザインに似ており、ある意味先祖帰りしている印象だ。
またスポーツセンターでアクアビクスに参加する70代の我が母の水着にもそっくりである。オリンピック選手が着用する全身を応用なフィット感のあるプロ用のあのお高い水着とも違う。
しかし驚いたことに、日本の学校でどう見ても競泳用ではない水着で授業をやるのだという。これはイギリス元欧州の感覚からするとドン引きである。
日本ではジェンダーレスや性的平等が進んでいると言い張っている人々がいるイギリスや欧州では、むしろ水着に関しては性差をはっきりとさせるデザインが一般的だからだ。
体の線を出したくないとかジェンダーレス云々と言う事は全く通用しない。学校の水泳の授業はあくまで「訓練」のためなので、伝統的な競泳用水着が当たり前だ。ダボダボの水着では技術が向上しない。また衛生面から規定以外のものは認めない学校も少なくない。
日本のジェンダーレス水着はまず認められないので、授業には参加させてもらえない上に親が厳重注意される。さらにイギリスだけではなく欧州では普段から男女の差と言うのをはっきりさせることが当たり前である。
日本では最近は制服もジェンダーレスにするべきだとか狂ったこと言っている人間がいるが、「ジェンダーレス」が進んでいると左翼が言い張っている欧州はその逆だ。
私が2021年12月に出版した「世界のニュースを日本人は何も知らない3 – 大変革期にやりたい放題の海外事情」という本にも書いたが、制服はもちろん男女別で、エリート校の大半は男女別学だ。特に「ジェンダー」で最先端のはずのイギリスはそうなのだ。
普段でも女性は胸や臀部を強調するセクシーな服を着るのが当たり前で男性は筋肉をバンバン鍛えてマッチョであることを主張するのが当たり前である。これは欧州は南下するほどそうなる。イタリアやフランスは、中年や高齢の女性でもセクシーさを強調するのが当たり前で、胸の谷間を見せるのも珍しくない。
ワンピースは日本で流行っているダボダボのではなく、体にフィットするボディコンが主流である。Aラインのスカートさえ履かない。オフィスではビシッとしてヒップのラインが丸出しのタイトスカートだ。だからTバックショーツが店に売っている。
私はピッタリした服が苦手なので、Aラインのスカートや緩めのトップを探すのに苦労する。(緩いと思うと今度は4Lなどでダボダボすぎて、しっくりくるものがない)
これは大人になるともっとそうで、ビジネスの場でも女性が女性らしくびしっとしたスカート、10センチ以上のハイヒールでオフィスを闊歩することが珍しくない。幹部クラスになっている女性もセクシーさを全開にしている人が目立つ。真っ赤な口紅に、ピッタリとしたドレスだ。髪の毛は長めでセクシーさを強調する。ジェンダーレスを叫ぶ活動家のショートカットや、ヒッピー系のダボダボの服とは正反対だ。
男女の賃金格差がどんどんなくなってきているイギリスでもそんな感じなのである。また、日本の左翼の人々が持ち上げるドイツですらドイツ女性は真っ赤な口紅を塗って髪の毛は金髪にし、結構挑発的な体にぴったりしたスーツを着て高いヒールを履いていたりする。
一方で日本のジェンダーレス水着のようなものも売っているが、それは誰用かと言うとイスラム教徒が着るものである。ところがこの水着は、欧州では大変な議論になっており、ビーチやプールにそぐわないとしてフランスでは禁止する自治体もあったほどなのだ。これは国を上げた大議論になった。
イギリスはフランスほど激しい議論はやっていないが、学校やプールの「服装規定」で、「遠回し」にイスラム教徒の水着を禁止している場合がある。
なぜ欧州でイスラム教徒の水着をこんなに嫌悪する人がいるのかというと、
- 男と女は元々違う
- セクシーさとは自然と神からの贈り物だ
- セクシーさを強調するのは良いことだ
- 我々文明人は中世以前の「禁欲」から解き放たれた存在だ
という考え方がその背景にあり、やはりかつて性に対する抑圧が宗教的な意味で厳しかったこと、1960年以後の性開放の影響があるからだろう。ここまで自由になった性の意識を、昔に巻き戻すのは許されないという確固たる信念がある。
したがって欧州のセクシーな水着好みには、歴史的な経緯や社会的背景、宗教観があるわけなのだが、日本はそのような事実を知らずに「想像した」ジェンダーレス云々を勝手に魔改造しているわけなのである。