人口減少社会の「消費」問題

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漂流する政治

この1年間で円安が進み、1ドル115円が145円にまで低下した。本来ならば、この円安への対応を筆頭に、7カ月過ぎたロシアによるウクライナ侵略戦争の停止と復興について、その侵略戦争が明らかにした国連の機能不全にたいしてどのような改革提言をするかの議論、そしてさらに東アジアの武力衝突の回避など山積する重要な外向きへの対処方針を決めて、実行する時期であった。

一方、敬老の日に発表された諸データが明らかにしたように、人口動態面では空前の日本新記録を更新し続ける少子化と高齢化への備えについて、速やかな内向きの取り組みを開始することが期待された期間でもあった。

まさしく内憂外患であるが、これら大型の近未来テーマに関する議論を一切放棄した政治とマスコミの現状に、失望を強めた国民は多い。私もその一人である。

なぜなら、とりわけ安倍元首相の射殺後の2ヶ月間の政治は、与野党とも「国葬」問題、「旧統一教会」問題の扱いに終始したからである。加えて建前として繰り返され喧伝された平和の祭典、すなわち青少年に夢と希望を与えるはずであった東京オリンピックが、底知れぬ贈収賄事件にまみれていたことが示された。これにも国民は驚きとともに、呆れてモノが言えないのではないか。

現代資本主義の「悪無限」

この状態はハーヴェイが終わりなき資本蓄積の「悪無限」(ハーヴェイ、2017=2019:239)とした「経済的理性の狂気」の政治版と解釈できる。ヘーゲル用語の「悪無限」を活用するハーヴェイは、現代資本主義の「終わりなき蓄積」にこれを当てはめ、資本主義が内蔵する「果てしのない高みの消費」と「際限のない浪費」を「狂気」とした(同上:241-242)。

この「経済的理性の狂気」に対して、「知的努力」と「研究生活の大半」をささげたマルクスやその成果を活かして業績を積み上げてきたハーヴェイの対極に、その「狂気」を相手に実際の企業活動で苦労する人々もまた大勢いる。

ここでは、「果てしのない高みの消費」と「際限のない浪費」に直面する企業活動が、日本新記録の続く人口動態をどのように取り込めば存続できるかについて、社会学の観点から考えてみることにしよう。

世界新記録の高齢化率

総務省が9月15日時点で行なった「人口推計」結果によれば、日本人1億2471万人に占める65歳以上比率(高齢化率)が29.1%になった。その時点での高齢者実数は3627万人を数え、日本新記録を更新した。2位はイタリア(総人口5904万人、24.1%)3位はフィンランド(総人口554万人、23.3%)であり、ドイツ(8337万人、22.4%)は8位になった。日本の数値は世界新記録の比率でもある注1)

合わせて75歳以上(後期高齢者)人口比率も15.5%に達して、こちらが2番目の新記録となった。その後期高齢者総数も1937万人になり、日本新記録となった。

さらに2021年の出生者が約82万人で、亡くなった人は144万人あまりだったので、総人口が約62万人減少した。これで、日本の総人口は13年間連続して減少したことになる。

にもかかわらず、世帯総数は着実に増加してきた。これは平均世帯人員の減少、単身者の増加によるものであり、高齢者の単身化も進んでいる(表1)。

表1 日本の世帯構成
出典:各年度国勢調査結果

「世帯消費財」商品の市場拡大の機会

要するに日本では、人口減少社会が世界一の高齢社会を伴いつつも、世帯総数は依然として増加して、単身の高齢者もまた増えているのである。したがって、消費財はますます「世帯消費財」と「個人消費財」に分かれるようになる。なぜなら、単身世帯として暮らすうえでも、基本的な「世帯消費財」はどうしても不可欠だからである。

たとえば、ウォッシュレット、ユニットバス、システムキッチン、応接セット、エアコン、テレビ、冷蔵庫や洗濯機などの白物家電、多機能プリンター、ゲーム機、世帯常備薬などの商品は、「一家に一台(一箱)」備えていた方が便利である。そのために、高齢単独世帯でも、これらの商品はほぼ揃っている場合が多い。

「個人消費財」は多様になる

他方、単身化の延長線上にある「個人化」されたライフスタイルでは、「個人消費財」が主流を占める。

現在もてはやされているデジタル関連の商品は、その部品も含めて「個人消費財」が多い。かつて「世帯消費財」だった乗用車やパソコンやiPadや電話などは、すでに「個人消費財」に変貌した。言い換えれば、個人にとってのオンリーワン商品がこれに該当する。

それは数百万円の高級腕時計やゴルフセットや宝石など誇示的消費財へと拡大することもあるが、単身者のニーズを満たすものであれば、売れ行きは堅調に推移する。

企業側は、単身者としての顧客の便益を優先した商品開発を行う意義があり、経営的にはその消費の回転期間を速くできるかが課題となる。なぜなら、「資本とは運動する価値」(ハーヴェイ、前掲書:110)だからである。運動だから中断も減速も嫌われ、一定の速度が求められる。

かりに資本の運動を「生産・広告・流通・販売・消費・廃棄」の循環過程だとみれば、どこかで動きが滞ったら、全体としては「価値喪失」が引き起されることになる。

限界消費性向の確認

一方で、「人は所得が増えると消費を増やす傾向にありますが、・・・・・(中略)その増分は所得の増分ほどではありません」(ケインズ、1936=1973=2012:158)。それはそうだろう。増えた所得分全部を使い切れば貯蓄ができず、近未来への不安が残ってしまう。

かりに「限界消費性向」(marginal propensity of consume)を0.8とすれば、所得が10000円増えたら、消費が8000円増えることになるが、経験則では0.3~0.5あたりに落ち着くように思われる。

一般的に人は狭い範囲でしか関心を持ちえず、加えて日常的に多方面の心配事があるため、すべてにわたり合理的判断で消費するわけではない。すなわち現実には「経済人」(ホモ・エコノミクス)というわけではなく、むしろ「社会人」(ホモ・ソシオロジクス)なのであり、損を覚悟の販売や消費もあり得る。

そのうえ「世帯消費財」でも「個人消費財」でも、画一化した商品での競争には限界があるから、戦略としては言葉や映像によるイメージづくりが重要であると考えられる。それによって、「限界消費性向」もまた左右される。

言葉と表現の重要性

これは販売戦略上では「キャッチコピー」の重要性を意味する。たとえば、一定年齢以上の日本人にとって、「月が出た出た」と「出た出た月が」では、浮かんでくるメロディーがまったく異なる。前者ならば、自然に手拍子をとり「炭坑節」を歌いながら、ボタ山や巨大煙突がイメージされるだろうし、盆踊りの情景も想像できる。

一方、後者は1911年刊行の『尋常小学唱歌』に掲載された文部省唱歌だから、小学生はもちろん保育園や幼稚園の童謡としても歌われてきた。それが醸し出す「お月さま」の雰囲気は「炭坑節」とは隔絶している。

イメージ戦略

同じ言葉でもその配列によって、受け手のイメージは大きく異なる。これを利用して、商品画像をいきなり前面に出すのではなく、イメージを先に出すという方法がある。これはいわゆるシンボル操作として、かなり前から業界では共有されている(パッカード、1957=1958:8)。たとえば「靴を売るのではなく、きれいな足を売る」(同上:36)などはその象徴的表現である。

地域コミュニティ研究でも「米は作らず、土を作れば米ができる」(越智、1982:141)が語られてきた。これを延長すれば、「暮らし良い社会を創るのではなく、いい人を育てれば、暮らしやすい社会になる」と応用できる。

逆に「今の人のレベルが低ければ、将来の社会は没落する」となる(森嶋、1999:14)。これは76歳の森嶋通夫が高田保馬の「人口史観」を応用して結論した方法でもある注2)

パッカードの消費者心理

1950年代に、消費者心理の隠された要求をパッカードは8項目に整理したことがある。箇条書きでまとめれば、

  1. 情緒の安定を売る・・・・・・使う商品が安心安定を与える
  2. 価値の保証を与える……商品を使う人を評価し、尊敬されるようにする
  3. 自己満足を売る……商品を使いこなしたという満足感を売る
  4. 創造のきっかけを売る……インスタント食品に手を加え料理として完成させる
  5. 愛情の対象を売る……愛すべき人の代わりの映像や商品を提供する
  6. 力量感を売る……個人的な力の充実感が得られる商品を売る
  7. 根強いものを売る……古き良き時代から続いてきたイメージを示す
  8. 不滅を売る……保険は契約者が死んだ後も家族を守ってくれる

となる(パッカード、前掲書:81-93)。

これらは取り扱う商品次第で該当もしくは非該当の違いは出るが、70年後の日本でも十分通用する消費者心理であるから、工夫次第ではどの商品にでも応用できる。

その売り方から、新しい消費分野として、家事労働や自然なども価値をもつことに留意したい。家事労働はかつての大家族の中ではシャドウワークと見られたが、単身世帯が激増して、平均世帯人員が2.1人程度ではもはやその域にはなく、家事労働自体がビジネス化せざるを得ない。夕食宅配はもとより、庭木の剪定や草取り、家庭内の消毒や整理整頓片付けでさえも専門業者が増えている。

言葉とシンボルを利用する

イメージ戦略でも言葉を巧みに使うが、もっと積極的に商品の機能を強調することも行われてきた。

有名なものに、全くの偶然が重なったチョコレートの「キットカット」がある。これは言葉というよりも「語呂合わせ」に近いが、入試に「きっと勝つ」すなわち「合格」するというシンボルに昇格して久しい。実質的にこれを食べたから入試合格とはならないことは受験生も承知しているが、「困った時の神頼み」の範疇からすると、絶妙な語呂合わせに勇気づけられた受験生も少なくなかったであろう。

もっと「感情的な吸引力」をもつ言葉をシンボルとして使うこともある。たとえば地球の未来、近未来、母、父、友だち、仲間、故郷、SDGsなどはこの範疇に入るであろう。俗にいう「おふくろの味」はその筆頭である。

団塊世代が愛読した「巨人の星」や「あしたのジョー」などはスポ根漫画だが、そこにも「仲間」や「友だち」のありがたさや「指導者の教え」の尊さや「先輩のアドバイス」がもつ意味などが、ストーリーに散りばめられていた。

商品イメージにふさわしいタレント

さらに長く好まれてきたシンボルには、正直、清潔、誠実、気立てのよさ、団欒などがあり、商品イメージに合わせて今でも使われている。

台所洗剤や衛生用品にとって清潔さは文字通り命だから、それにふさわしい若いタレントが選ばれる。Tシャツならば活動的な雰囲気をもつスポーツ選手、落ち着いたスーツでは中年の俳優が着こなした姿がテレビ画面で大写しになる。団塊世代の経験では50年前のアラン・ドロンの「ダーバン」とチャールズ・ブロンソンの「マンダム」が双璧だが、当時でも俳優を入れ替えたら、2つとも売れなかったろうと話したものである。

またこの3年間のコロナ禍では、「時短」と「簡便」商品が適合することを指摘しておきたい。外出自粛が長期化すれば、ファミレスにも行かずに、自宅で簡単に調理できる冷凍食品やお惣菜が求められるのは必然であった。

資本家や経営者はそのあたりの事情を熟知していて、コンビニでもデパートやスーパーでも、短時間で調理しても美味しく食べられる商品開発を熱心に行った。その結果として、冷凍食品は数も種類も増えてさらにおいしくなった。

潜在的機能としてのカラオケジム

コロナ禍の初期に、スナックの昼間カラオケが感染源になったこともあり、カラオケ施設は閑古鳥が鳴いていた。しかし、スナックではなく純然たるカラオケボックスでは、若干ではあるが昼間の格安時間に、一人カラオケ(ヒトカラ)のリピーターがみられた。

もちろん好きな歌を繰り返し歌うのだが、全国レベルで得点を競うために、遊びの域を超えて腹式呼吸を心がけて真剣に歌う。2時間のうち最初の30分で完全に腹式呼吸で歌えるようになると、歌の得点が上がり始める。終盤に十八番の歌に挑戦して、その日のランキングを確認する。

これだけだと、単なる歌の得点競争のようだが、実は「腹式呼吸」の訓練が隠された目的なのである。すなわち呼吸筋を鍛えて、喘息を予防して、日常的に呼吸を楽にするために週に2回のカラオケを本気で行う。それでカラオケジムと称している。

これは歌がうまくなるという顕在的な機能目的もあるが、むしろ呼吸筋を鍛えるという潜在的機能に重点がある。カラオケ施設もその利用法を承知しているようで、機能売りの一環として「ヒトカラ」でも喜んで迎えてくれる。なお、自宅では練習しにくい吹奏楽器やエレキギターなどを持ち込んで、カラオケとコラボする音楽好きも散見される。

機能売り

この「機能売り」の事例では、単なる照明器具ではなく「あかり」を売るという戦略もある。白熱電球や蛍光灯からLEDに照明器具が転換した際には、LEDは発熱しないことや寿命の長さが特徴とされた。その後はLEDのもつ低い動作電圧、高い輝度、速い応答速度、長寿命、振動にも強い特徴をもつために、用途に応じてさまざまな「あかり」が開発された。照明器具ではなく、この多彩な「あかり」を売るのである。

お菓子は和菓子でも洋菓子でも、「甘さ」「やすらぎ」「団欒」の情景と切り離せない。これは「食べておいしい」ことを超えて、家族、友人、恋人同士の共有時間を彩る機能を持っている。お菓子は笑顔を連れてくるからである。ここではお菓子という商品がもたらす仮想空間の情景が売られている。

ただし、血糖値の上昇や糖尿病患者ならば食べにくいという潜在的逆機能も発生する。これに対応して、カロリー控えめで血糖値への配慮がなされたお菓子の開発が進んでいる。

価値が高いもの=差異化

「新しいもの、稀なもの、個性的なもの(これらは、明らかに、同じ根本現象の三つの異なった側面にすぎない)が価値の高いものという意味を持っている」(ジンメル、1917=1979:53)。そのために「差異」は、ここにいわれる「新しいもの、稀なもの、個性的なもの」から派生し、高い価値を帯びるのである。

資本主義活動において、イノベーションを除けば、価値を高める差異化は経済活動の速度維持から得られる。それは企業間競合または顧客との協働で可能となる。21世紀における身近な例は、流通の費用節約と期間短縮を世界的に達成したamazonの成功例であろう。私の経験でも、新本古本の区別なく、発注すれば数日で確実に送られてくる。

これは資本活動の通常過程として想定される「生産・広告・流通・販売・消費・廃棄」の6過程のうち、「流通」と「販売」と「消費」に関連が深い。amazonの成功は、この3過程におけるイノベーションの成果といってもいいであろう。

もちろん「生産」と「広告」と「販売」面でも、冒頭から前半で説明したように、イメージやシンボルづくりに成功して、「消費」が拡大した事例も豊富にある。いずれもどの過程かでイノベーションが発生して、「差異化」が実現しているところが個性となっている。製造でも物流でも販売の方式でもいいが、ともかく新しさを感じさせる個性がなければ、商品に高い価値が付与されない時代なのである。

中小零細企業では合理性に経営家族主義を組み込む

生産工場、流通企業、販売店などの組織社会システムは、合理性を基盤とした普遍的な官僚制による構造を土台にすることはもちろんだが、全産業労働者の7割を超える人々が働く中小零細企業では、その一部に経営家族主義を組合せることもまた有効な場合がある。

一般に「資本は労働過程内部に新しい上下関係」(ハーヴェイ、前掲書:167)をつくりだすので、これを幾分か緩和するためにも、経営トップの顔が見えやすい職場環境では、トップとの話しやすさやトップからの温情などは依然として捨てがたい魅力がある。

製造する商品のコンセプトでも、標準化よりも差異化がニッチな市場には合う。これはニッチな市場のほうが中小零細企業の参入可能性に富み、戦略的にも小回りがきくからでもある。

さらに、グローバル経済の下では生産された商品に注入されたエネルギー密度より情報密度が重視されるから、盛り込む情報の種類への配慮が生産でも販売でも重要になる。

差異化のための「豊益潤福」活用

商品展開のための情報は通常の経済活動ではすでに出尽くした感があるので、新しい情報源としてたとえばイノベーションの価値目標としての「豊益潤福」活用を提唱したい(野城、2016:9)。

このうち「豊」は精神的・身体的・経済的な豊かさであり、もともとがrichnessなのだから、かつての経済指標にも近接していて、それだけ馴染みやすい注3)

「益」はbenefitとして、その商品が購入者や社会全体の役に立つことを表わす。

「潤」はamenityとされ、精神的、身体的、経済的な潤いと規定された。これは主観指標なので、製造する商品の機能にこのイメージを付与することになる。

「福」はしあわせ(welfare)であり、従来は「生活の質」に該当する内容を柱とする。すでに隣接用語のウェルビーングとともに企業活動でも使われ始めている注4)

IPM(Innovation Process Meta-model)の活用

野城のイノベーション・アプローチは、図1のように巧妙に表現されている。このIPMモデルとは、Innovation Process Meta-modelの省略形であり、「さまざまな主体(人・組織)の関与と連携により、何らかの成果物が創造され、流布され、適用され、検証され、修正され、組み合されつつ、豊益潤福を生み出し、社会を変革していくプロセスをモデル化したものである」(同上:19)。

図1 IPMモデルによる社会的価値に基軸を置いたイノベーション・アプローチ
出典:野城、2016:249.

グループでじっくり読めば、①課題解決、②レビュー見直し、③概念・解決策創造、④科学的発見・技術開発、⑤製品・仕組み・サービスの開発、⑥生産・具現化、⑦実装・適用、そして⑧「豊益潤福」の創造、⑨効果評価の順序が明瞭となる。

しかも①から⑧までが「らせん状」に循環するので、どこからでもモデルの中に入り込める。一つのイノベーションが各方面に伝播することが分かる。その認識に基づけば、KJ法を始めいくつか開発されてきた集団討議の方法により、自社の商品にふさわしい戦略の議論が可能になるであろう。

「消費」への着眼

われわれの「生活水準」を支える消費には、「世帯消費財」と「個人消費財」に加えて、この両方に関連するヴェブレンの「誇示的消費財」が存在する。

「新しい資本主義」への道は、「生産・広告・流通・販売・消費・廃棄」の全過程への目配りのなかで、「消費」の位置づけがますます高くなると考えられる。なぜなら、「新たな欲求、必要、欲望」(ハーヴェイ、前掲書:177)は、生産者側だけではなく消費者側でも絶えず創造されるからである。

注1)年少人口率で見ても、世界4000万人以上の35カ国で最下位の日本が11.7%(2022年4月1日時点)、33位のイタリアが12.9%(2021年1月1日時点)、32位のドイツは13.8%(2020年12月31日時点)であったから、日独伊は共通して「少子化する高齢社会」にいち早く到達したと考えられる。

注2)高田保馬の「人口史観」については高田(1925=1948=2003)を参照してほしい。なお、金子(2003:161-183)も詳しい。

注3)野城のイノベーションの価値目標としての「豊益潤福」については、金子(2022.9.17)でまとめている。

注4)ウェルビーングについての検討は金子(2022.9.9)で行っている。

【参照文献】

  • 金子勇.2003,「少子社会と人口史観」金子勇編『高田保馬リカバリー』ミネルヴァ書房:161-183.
  • 金子勇,2022,「政治家の基礎力:情熱・見識・責任感」(13回)アゴラ4月23日-7月16日.
  • 金子勇,2022,「人口減少をめぐる社会学的想像力」(前・後編)アゴラ8月25日ー9月1日.
  • 金子勇,2022,「『新しい資本主義』の差異化の試み」(前・後編)アゴラ9月9日ー9月17日.
  • Harvey,D.,2017,Marx,Capital and the Madness Economic Reason, Profile Books.(=2019 大屋定晴監訳 『経済的理性の狂気』 作品社).
  • Keynes,J.M.,1936=1973,The General Theory of Employment, Interest, and Money, Palgrave Macmillan.(=2012 山形浩生訳 『雇用、利子、お金の一般理論』講談社).
  • 森嶋通夫,1999,『なぜ日本は没落するか』岩波書店.
  • 越智昇,1982,「コミュニティ経験の思想化」奥田道大・大森弥・越智昇・金子勇・梶田孝道 『コミュニティの社会設計』 有斐閣:135-177.
  • Packard,V.,1957,The Hidden Persuaders, David Mckay Co.Inc.(=1958 林周二訳 『かくれた説得者』 ダイヤモンド社).
  • Simmel,G,1917,Grundfragen der Soziologie : Individuum und Gesellschaft, Sammlung Göschen. (1979 清水幾太郎訳『社会学の根本問題』岩波書店).
  • 高田保馬,1925=1948=2003,『階級及第三史観』ミネルヴァ書房.
  • 野城智也,2016,『イノベーション・マネジメント』東京大学出版会.