国葬儀反対派の欺瞞に満ちた反対理由を暴く

様々な反対活動でメディアも同調し、相当数の扇動された情報弱者含めて世論として反対意見が過半数を占めたが、無事執り行われ胸をなでおろしている。

私自身、四谷まで伸びる長蛇の列におよそ2時間半並び、感謝の意を込めて献花させて頂いた。途中余りの列の長さに脱落する方、駆け付けたが時間に間に合わなかった方など大勢いらっしゃり、自民党本部にも急遽献花台が用意される程の状況だった。

四ツ谷駅付近まで続く献花の長い列
NHKより

当日の献花者の実数は、手荷物検査近くでカウントしており約26000人と発表された。献花の意思を持ち、当地まで訪れた実数は更に多くなるだろう。

一方で反対デモの人数は主催者発表で15000人だが、いつもの如くの大本営発表で大幅水増しでの数字の様だ。実際、警察発表は全然違っているなど、人数的には反対は圧倒的少数になってしまうのだが、これが現実ではないだろうか。

献花の列と反対派のデモの接触は、一部反対派のビラ配りが為されている程度で、ほぼなく、静かに並ぶことが出来た。もちろん帰りの際に目撃した、九段下近辺の騒動は相当に酷く、暴力的で近づき難い様相ではあった。

日付が変わった翌日、メディアは『反対多数の中での強行』『将来に禍根を残す』など批判を止めていない。

過去に強行と言われた事案を振り返ると、例えば『日米安保闘争』は反対派の学生運動が先鋭的になり、死者まで出す事態に至った。しかし日米安保の改正は、日本が不利な片務性の一部改正であり、これによって日米安保体制が盤石になり経済成長に結びついた。

あの時もし反対派意見が勝っていたら、歴史にIFは無いが、日本は共産主義国家になっていたかもしれない。北朝鮮を地上の楽園としていたのだから。そうでなくとも国防上の大問題を抱え経済成長などは夢だったのではないだろうか。

安倍政権時の平和安全法制は、反対派が『軍靴の音が聞こえる』『徴兵制が始まる』『戦争反対』と声高に叫んでいたが、事実どうなっているだろうか。インド太平洋構想などはこの時の平和安全法制がなければあり得ず、国際社会の信頼を失っていたのではないだろうか。

とは言え、今回の騒動で、「安倍氏の業績は素晴らしいが、国葬するプロセスが問題」「最低でも国会で決議して欲しかった」「今の状況で税金をこれだけ使うのは如何なものか」という意見も多数耳にする。

筆者にしてみれば、それらは情報不足故の意見であり、ワイドショーを中心とするメディアの偏向報道、日本赤軍を称賛する様な過激な意見による偏向報道に少なからず影響を受けた結果だろうと考えている。なぜなら都合の悪い事実を伏せられ、反対意見ばかり、時にはデマを交えて聞かされれば、良識的な情報不足者は判断を誤ってしまうだろうからだ。

国葬儀反対派の実態は

では、今回の『国葬反対』活動を少し論理的に掘り下げてみよう。

まず反対デモのメッセージをよく見ると、国葬儀とは関係ない『憲法改正反対』『戦争反対』などが並ぶ。これはどう考えても、国葬儀は単なる口実であって、過激的左派勢力の活動の要素が多分に含まれている。プラカードの多くには日本の文字とは思えない漢字が使われ、通常であれば間違い様がない誤字も多数ある。これは外国勢力も相当数入っている証拠である。

中核派で杉並区区議会議員の洞口朋子氏はYouTubeの番組で、「国葬を行うと日本による中国への侵略戦争が起きる」「岸田政権の政策に核配備計画がある」などと発言し物議を醸し、多くの人が根も葉も無い妄想だと感じたのだ。

ここまで現実離れしたら妄想と喝破できるのだろうが、同じ様に妄想であっても、もしかしたらあるかもしれないという微妙なポイントをついてきた場合、果たして根も葉もない妄想と喝破できるだろうか。

否である。多くの人は知らず知らずに信じ込むか、少なからず影響を受けるだろう。

実は、国葬反対派の主張には多分にこの要素が含まれ、メディアが偏向報道で裏付けすることで洗脳が完成している。その結果での反対多数だというのが実態だろう。

勿論、革新的な反対派も存在する。彼らは活動目的でもあり彼らの思想信条を否定は出来ないし、その気も無い。ただ、革新的反対派は極少数派に過ぎず、大多数は前述の様に情報を誤って認識しているので、それらの方を対象に具体的に情報の何がおかしいかの検証が必要だろう。

国葬儀反対理由の欺瞞を暴く

突拍子もなく関係性の薄い意見を省き、本質的な反対理由を整理すると

  1. 国葬儀実施のプロセスに問題があり、国会決議が必要
  2. コロナ禍で経済困窮状況での多額の税金使用に違和感
  3. コロナ禍で一般人が葬儀もできない状況でなぜ国葬が出来る

に集約できるのではないだろうか。上述は立憲民主辻本議員の発言を元にしながら整理している。

では”1”である。実は多くの人がこの疑問を抱くのは情報不足なのだ。

政府は内閣府設置法に基づくと説明しているが、その内閣府設置法の条文に定められる国の儀式に今回の国葬儀が該当する規定がないと反発するのが反対派。

しかし法律というのはその成立要件や解釈などが重要で、この成立過程において故吉田元首相の国葬時に法的根拠が無いとの問題指摘を解決する為に、明確に憲法7条10号に規定する儀式(即位の礼など)以外に、国の儀式と位置付けられる儀式として例に前述の吉田元首相の国葬を挙げており、コンメンタール(逐条解説)に明記されている。

法律とは解釈が分かれる部分も多分にあるので、この様に解説を加え、法の趣旨と適用を明確化するのだが、それを無視したら法律の身勝手な解釈が横行し、法治主義が崩壊してしまう。

行政機関である内閣は、国会で制定された法律に則って、判断し執行するのであり、内閣府設置法という国会で成立した法律に基づいて判断した事に何の問題もない。国会審議が必要と言う人は、立法と行政を理解していないのであり、その様な考えが民主主義崩壊につながる事を理解して欲しい。

そして行政の権能に関しては、判例で司法判断も出ており、所謂『侵害留保説』に基づくのが一般的だ。『侵害留保説』を聞きなれない方もいるだろうが、法律で定められるのは森羅万象網羅する訳では無く、行政執行時に判断する基準は、国民の権利や自由、財産を権力的に制限、侵害するような行政活動に限り、法律の根拠を必要とすることが通常である。

これに反する考えを『全部留保説』といい、あらゆる事に法律に明記されている事が前提であり、それ以外の行政執行は認めないという考えだが、こんな説を採れば、国家行政は一気に機能不全に陥るのは自明であり、現実的でないとされている。

反対派の意見は法律の成立要件解釈を無視し、『全部留保説』を採る法治国家としてはあり得ない感情的煽りに過ぎないことを理解するべきであろう。騙されないで欲しい。

その証拠に、各地での国葬予算執行停止などの提訴は、現時点で全て棄却されている。これは既に司法判断が下されている証拠である。また、政府批判声明を出し続ける日弁連ですら、今回は声明を出していない。恐らく法曹界にいる以上、ここまでの法治主義の否定は出来ないと想像するのである。

唯一、筆者が問題だと感じるのは、当の政府からは、この種の明確な説明が為されていない事だろう。揚げ足取りの批判を恐れ、大衆に迎合して弱気で信念を貫けないと感じる。

法治主義を無視して感情論のデマ拡散を続ける野党が問題なのは当然だが、それに対峙できない与党も情けない限りである。

国葬儀反対理由の欺瞞2

さて次に”2”の税金の使途に関して。

極当たり前の判断として、投資は回収されれば成功である。投資の過多の問題でなく、どれだけの効果を生み出すのか、投資対効果が判断基準のはずだ。

そして国家の行事にかかる費用を一般家庭の家計簿感覚で考えてはならない。規模が異なるのだから当然だ。

費用を見てみると、総額で概算16億6000万円とされている。内訳は、実際の費用が2億5000万円、警備費用8億円、要人接遇6億円、車両借り上げなど1000万円程度とされている。

この内予算引き当てされたのが予備費からの2億5000万円のみで他は当初予算範囲内である。

海外からは218の国や地域、国際機関合わせて700人が参列している。当然だが来日は身辺警護や秘書官など取り巻きも多数いてこの何倍にもなる。その人達が単純に日本に落としていく金額はどれ程なのだろう。日本政府要人の海外の数日間の外遊は普通に数億円かかっていると考えると、このインバウンドだけでも経済効果は絶大なのではないだろうか。しかも円安環境が更に効果を上乗せするのだ。

それに加え、弔問外交という無形の効果は間違いなく大きい。外交とは、決めるだけでなく、外堀を埋める活動、人間関係構築などが重要なのは、企業人でもそれなりの立場を経験すれば分かる筈だ。

野党の反対派はこの絶好の機会をみすみす失っている。誰が反対活動を扇動する勢力を、国家の未来の政治指導者として接するだろうか。それこそ、専制主義国家など日本の革命による政権転覆を期待する勢力以外にないだろう。極左野党勢力を国際的に日本を背負う責任政党とは認識しないだろう。残念で仕方がない。

最後に”3”を検証する。

コロナ禍で一般の葬儀が行えない、というのは事実だろうか。確かにコロナ禍当初はその様な問題指摘が報道された。しかしその直後、厚生労働省者は葬儀を遺族の意思に基づき実施する様に通達が為されている。それはそうだろう死体から飛沫は飛散しないのだから。

実際にコロナ禍において筆者も複数の葬儀に参列している。確かに、これまでの葬儀や通夜の様に、その後の故人を偲んでの会食は激減しているが、それは別問題である。

従って、この主張は明らかに事実と反するデマなのである。

繰り返しになるが、安倍批判の通称アベガー、政府批判を目的とする方々の思想信条は自由であり、覆そうとは思わない。しかし、事実を知らず、知らされず、限られた扇動情報によって間違った判断をする人達は、一時の感情論に動かされず、冷静に事実を見据えてもらいたいと切に希望する。それが日本が健全であり続ける条件だろうからだ。