ロシアのプーチン大統領は先月30日、ウクライナ東部(ドネツク州、ルガンスク州)・南部(ヘルソン州、ザポロジェ州)のウクライナの4州をロシアに併合する書類に著名した。プーチン氏にとって、同式典は今年2月24日から始まったロシア軍の「特別軍事行動」の軍事的成果として世界に向かって誇らしく宣言する日となるべきだったが、クレムリンのライブ中継を見る限りでは、式典に参加した指導者たちの顔からはいずれも重々しい雰囲気が感じられた。
カメラにはよく見るメドベージェフ前大統領やラブロフ外相らの姿も映っていたが、同じく深刻な顔をしていた。彼らの多くは「ウクライナ4州のロシア併合後」のロシアの動向に不安を感じているのではないか。式典後の祝賀会のコンサートではプーチン氏はウクライナの4州の指導者たちと共に「ウラー(万歳)」を3回叫んで雰囲気を盛り上げる努力をしていた。
プーチン氏は式典でウクライナ4州の併合を宣言した後、演説の多くを米国を含む西側への批判に集中させた。プーチン氏は米国を中心とした西側のヘゲモニーを批判し、西側世界を独裁者と呼び、その通貨米ドルの独裁的経済システムに対しても批判を向ける。そして「行為の是非はその実りを見れば判断できる」というイエスの言葉を引用し、家庭の崩壊、宗教の低落、同性愛問題など淫乱と堕落の西側文化を批判し、「悪魔の業を広げている」と強調している。
プーチン大統領は3月18日、モスクワのルジ二キ競技場でウクライナのクリミア半島併合8年目の関連イベントに参加し、集まった国民の前でウクライナへのロシア軍の侵攻を「軍事作戦」と呼び、ウクライナ内の親ロシア系住民をジェノサイド(集団虐殺)から解放するためだと説明し、新約聖書「ヨハネによる福音書」第15章13節から、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」という聖句を引用したことがある。イエスとその聖句はプーチン氏の演説を彩る装飾品のように常に利用されているのだ。
このコラム欄でも既に報告したが、プーチン氏の世界観、歴史観はロシア民族至上主義であり、選民意識が強い。ウクライナもロシア領土であり、ロシアはウクライナを解放する使命を担っているという。プーチン氏の主張が政治的思惑や軍事的計算から飛び出したものならば理解できる。あくまで戦略であり、状況次第では変わるからだ。プーチン氏の場合、違うのだ。プーチン氏は自身が語った内容を真理だと信じているのだ。プーチン氏の使命感は思想化され、歴史的な人物や出来事に自身を重ね合わせて、他の指摘や主張などに耳を貸さなくなる。例えば、プーチン氏はウラジーミル・セルゲイェヴィチ・ソロヴィヨフ(1853年~1900年)のキリスト教世界観に共感し、自身を堕落した西側キリスト教社会の救済者と意識している(「プーチン氏に影響与えた思想家たち」2022年4月16日参考)。
インスブルック大学の政治学者でロシア問題専門家、ゲルハルド・マンゴット教授は、「プーチン氏が自身の言ったことを本当に信じているとしたら、世界にとって深刻だ」と述べた。すなわち、プーチン氏は西側でよく見られる言行不一致の政治家ではなく、言ったことは実行する言行一致の指導者だというわけだ。彼が大量破壊兵器(核兵器)を使用すると示唆した場合、それは「ブラフ(はったり)」ではなく、本当に使用することを考えているのだ。プーチン氏の恐ろしさはそこにある。
ロシア軍が主権国家ウクライナに侵攻した時、西側の多くの政治家はその蛮行に驚き、ショックを受けたが、プーチン氏自身はウクライナの併合を考えて着実にこれまで駒を進めてきていた。その意味で「プーチン氏がこれまで語っていたことを思い出すならば、ウクライナ侵攻は決してサプライズではなかった」といった意見が出てくる訳だ。
プーチン氏はひょっとしたら自分をキーウの聖ウラジーミルの生まれ変わりと密かに感じ、ロシア民族を救い、世界を救うキリスト的使命感を強く持っているのではないか。その確信が強いから、民間人を犠牲にしても自身の使命を貫徹することがより重要だ、というはっきりとした価値観だ。そうでない限り、民間施設や民間人が乗っている車両にミサイルを撃つことはできない。過激な宗教指導者がテロを扇動しても良心の呵責を感じないのと同じメンタリティだ(「民間人を標的にするロシア軍の『業』」2022年9月18日参考)。
ウクライナ戦争勃発後、ウクライナ国内で既に270余りの宗教施設が破壊された。パリに本部を置く国連教育科学文化機関(ユネスコ)は6月23日の時点で、「152カ所の文化的遺跡が部分的または完全に破壊された」と報じていたが、その数は増えているわけだ(「正教徒プーチン氏は教会を破壊する」2022年6月25日参考)。
破壊された建物のうち260棟はキリスト教の教会だが、モスク、シナゴーグ、宗教団体の教育および行政の建物も被害を受けている。ドネツク教区によると、ヴェルフノカミャンスケの最も神聖な生神女降誕のギリシャカトリック教会が破壊された。バチカンニュースによると、破壊された宗教的建造物はウクライナの少なくとも14の地域にも及び、そのほとんどはドネツク、ルハンシク、キーウ、ハリキウ地域にあるという。
プーチン氏は1991年に失った「大国の回復」のためにロシア正教徒最高指導者キリル1世と連携して、ロシア国民に愛国心を訴えるなど着実に手を打ってきた。KGBの仕事を愛するプーチン氏は自身の野望を実現するためにいつの間にかロシア正教徒に変身。そしてウクライナに武力侵入し、多くの民間人を殺害している時も「愛の福音書」と呼ばれる「ヨハネによる福音書」の聖句を引用することに抵抗を感じることがない。プーチン氏の矛盾に満ちた世界観が宗教的枠組みの中でいつの間にか信念となってきているのを感じる。「プーチン氏の世界」は今、非常に危険な地点に近づいている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年10月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。