衝撃的な光景が画面いっぱいに広がった。
坊主頭の少年が四方に柵が付くベッドに体を横たえている。花柄の薄い上掛けをかぶり、顔だけをこちらに見せている。同様のベッドにいる別の少年は柵の向こうからうつろな表情を浮かべる。両者とも幼く見えたが、すでに青年の年齢に達しているという。
26歳の女性アントニーナさんもベッドに横たわる。カメラが下半身に装着されたおむつを映し出す。
英BBCの記者が訪れた、ウクライナにある孤児院兼障がい者施設の様子である。
青年たちは1日のほとんどをベッドの上で過ごす。アントニーナさんのベッドのそばに立つ看護婦がこういう。「私たちが彼女にできることは何もない。自然が彼女の運命を決めた」。
今年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、ウクライナ戦争が始まった。戦時の混乱の中で重度の障がい者用施設は運営が困難になり、障がい者たちの一部が国内各地にある孤児院に運ばれた。孤児院では障がい者をケアするための専門的知識を持たない職員が日々、奮闘中だ。
BBCは世界中の障がい者の権利保護を目的とする非営利組織「ディサビリティー・ライツ・インターナショナル(DRI)」とともにウクライナの5つの孤児院を訪ね、7月末、「鍵をかけられて ―ウクライナの盗まれた人生」という番組名で放送した(視聴は英国内のみ可能)。
預けざるを得なくなった親たち
孤児院で暮らす障がいを持つ子供たち・青年たち全員に身寄りがないわけではない。
南西部の施設にいるバサル君(18歳)の両親は健在だ。取材チームの訪問日、バサル君は戸外のベンチに数時間座ったままで過ごした。時折体を前後に揺らせ、高音の叫び声をあげる。おむつを付けたバサル君の腰の部分はひもでベンチに縛り付けられており、自力でベンチを離れることはできない。近くにいた青年は上着の袖の部分が後ろ手にベンチに縛られており、身動きができない。ベンチの下には青年が残した尿の水たまりがあった。
バサル君の父イリヤさんと母マリナさんがバサル君の障がいに気づいたのは彼が5歳のときだったという。自分たちの手で育てるつもりだったが、バサル君が定期的に発作を起こし、家の中で泣く、食器を割る、大きな声を出すなどの行為を繰り返し、アパートの隣人たちから苦情が出て、施設に預けざるを得なくなった。
BBCによると、ウクライナでは障がい者は専門施設に預けるべきと考える人が大部分だという。
バサル君の両親も地元の自治体にそう言われた。マリナさんはウクライナでは障がいがある子供を持つ親への社会的支援が不十分だという。
預けてから最初の数年は「つらかった」「訪問後、泣きながら家に帰ってきた」。今は現実を受け入れられるようになったという。
BBCの記者は各施設の責任者や医師に「十分な支援ができていると思うか」と聞いた。「最低限はカバーしている」、「十分ではないがこれが精いっぱい」という答えがほとんどだった。
看護婦の一人が「この子には知性のかけらもない」と評した少女は、DRIの職員が時間をかけて話すうちに自分の足の痛みについて会話をするようになり、最後はBBCの記者からマイクを借りて、口元に付け、話しだした。
ルーマニアでは施設の廃止も
ウクライナの隣国ルーマニアは、1989年までチャウスク大統領による共産党一党独裁が続いた。大統領は人口増加による国力増大策を実施し、子供が5人できるまで中絶を禁止。生活苦で子供を捨てざるを得なくなった親が続出し、子供たちは孤児院に送られた。
チャウスク政権が国外に隠してきたのが孤児院の惨状だった。政権崩壊後、西側メディアの報道によって、坊主頭にされた子供たちが柵付きのベッドで眠り、不衛生な環境に置かれている孤児院の実態が世界中に知れ渡った。
ルーマニアは2007年のEU加盟に向けて孤児院を次々と閉鎖したが、家族問題担当大臣によると、現在でも完全閉鎖は実現できていない。
BBCによると、人口約4400万人のウクライナでは約10万人が約700の孤児院施設で暮らしている。国家予算は1億ポンド(約161億円)相当に上り、約6万8000人が働く。ウクライナ戦争の勃発前、政府は孤児院を自立性を持って共同生活を営む「グループホーム」的な仕組みに改変中だったが、障がい者は対象に入っていなかった。
BBC取材チームは重度の障害を持つ20代、30代の青年たちが収容されている孤児院施設も訪ねた。本稿の冒頭で紹介した施設である。ある部屋では柵付きの子供用ベッドが複数並び、それぞれに青年たちが横たわっていた。青年たちは食事の際もベッドから出ることはなく、看護婦が食べ物をスプーンで口まで運ぶ。
DRIの人権擁護グループの代表エリック・ローゼンタール氏はある男性の身体が格別小さいことを指摘する。あばら骨がこんもりと盛り上がり、足首が曲がっていた。「長期のネグレクトの結果だ」。
7年前の訪問を覚えていた青年
脳性マヒを患うオリグ君(43歳)もベッドの中にいた。オリグ君は人生のほとんどをベッドの中で過ごしてきた。DRIの女性調査員がBBCの記者とともにベッドのそばにやってくると、笑顔を見せた。7年前に同じ調査員が訪問したことを覚えていたのである。調査員の隣にいるのがBBCの記者だと告げられると、オリグ君は目を輝かせた。「ジャーナリストが来た!」。
この施設の責任者は「障害を持つ子供はここにいたほうがいい」という。「機能不全となった家族は十分なケアや食事を提供できない。ここなら、基本的なことは賄える」。取材チームが訪れたような施設の閉鎖を阻む要素として、「障がい者は国が面倒を見るのが一番だ」という共産主義時代の考え方があるのではないか、と記者は指摘した。
「戦時だから」といった理由は事態を改善しない正当な理由にはならない、とDRIのローゼンタール氏は言う。
ウクライナ支援のために「世界中から巨額支援が行われている」。こうした資金の一部を「孤児院を閉鎖し、子供のケアのために家庭に支援金を提供し、障がい者を受け入れる地域社会を築き上げるために使うべきだ」。
戦争が終わってウクライナについて人々の関心が薄れた時、孤児院制度が延々と続いていくのではないか、と同氏は懸念している。
(「メディア展望」(新聞通信調査会発行)9月号掲載の筆者記事に補足しました。)
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2022年10月2日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。