統一教会「元信者」は本当に「元」なのか

安倍元首相への銃撃テロ以降、統一教会「元信者」の自称者が多数のメディアで発信しているが彼らは本当に元信者なのだろうか。元信者が信仰放棄した証明はできるのか。

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一連の統一教会報道では宗教団体から離脱することと信仰を放棄することの違いがなんの注釈もなく報道され、実に安易に「脱会=元信者」論が流布されている。

確かに統一教会においては合同結婚式を代表に同教会に所属していなければ参加できない儀式があるから「脱会」は非常に大きな意味を持つ。

だからといって「脱会者=元信者」とは言えない。

信者とは何らかの教義を信奉するものであり、元信者とはそれを放棄、即ち信仰放棄した者は指す。統一教会から脱会したとしても「原理講論」を信奉するならば、それはもう立派な「統一教会の信者」である。統一教会を批判的に見るならば尚更、脱会者=元信者と定義すべきではない。

何が言いたいかというとメディアで発信する元信者は偽装の可能性を否定できないということだ。元信者の自称者は実は信仰心の厚い現役信者であり、その発信はもしかしたらなんらかの陰謀かもしれない。

立憲民主党のヒアリングに応じた元信者も本当に「元」なのかわからない。

統一教会は国連にすら触手を伸ばす巨大国際組織である。統一教会を批判的に見るならば、ましてや「政治と宗教」「民主主義」の観点から批判するならば偽装を警戒することは過剰反応ではあるまい。

仮に元信者が事実でなかった場合、立憲民主党と統一教会に「接点」が生じたことになり、この場合における立憲民主党の責任はどうなるか。

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何よりも今後、統一教会になんらかの規制を行うならば元信者の扱いはどうするのか。

彼らの「元」の主張はどこまでいっても自己申告でしかない。

科学で人間の内面を明らかにする技術は開発されていない以上、元信者は現役信者による偽装の可能性を否定できない。実際のところ7月8日以降「偽装元信者」は増えていると考えるのが自然だろう。規制を行うならば元信者も対象とすべきだし、そうでなければ「筋」が通らない。

そして現在、統一教会への規制として注目されているのが宗教法人法に基づく解散命令だが、既に記したようにこれは宗教法人格の剥奪に過ぎず霊感商法や政治家との接点問題はなんら解消されない。政界で注目される接点問題は信者が実社会にいる限り解消されない。

モリカケよりひどい:統一教会との「接点」批判
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接点問題の解消のための規制として有効なのは「信者の施設収容」であり、元信者も偽装の可能性が否定できない以上、残酷であるが施設収容するしかないだろう。

収容期間は人間の内面を明らかになる技術が開発されるまででよい。来世紀には開発されるのかもしれないが、2022年現在の科学的知見では元信者も「生涯収容」にならざるを得ない。

「統一教会に入会し人生を無茶苦茶にされた」「信者である母親によって信仰を強制された」と主張する者を施設に生涯収容するわけだからカルト宗教規制とは真に残酷である。

並大抵の覚悟では務まらない。「どちらがカルトなのか」という疑問を抱くようでは駄目である。筆者にはとても務まらない。背筋が凍るだけである。

統一教会批判者にここまでの覚悟が本当にあるのだろうか。筆者にはとてもあるようには見えない。