患者さんや家族の痛み・苦しみを感ずる心さえ失った医師たち

「もののあわれ」を失った医療

「もののあわれ」とは、折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である(ウイキペディア)。「源氏物語」に源流があるとされるそうだが、目で見た悲哀に満ちた患者さんの姿や耳で聞いた患者さんの苦悩を敏感に感じ取ることが医療現場では不可欠だ。それにもかかわらず、臨床試験のプロトコールを書き、標準療法を提供していれば、一人前と信じている医師の姿が痛々しい。

11月3日に開催された世界がん撲滅サミットで、患者さん自身やそのご家族から手紙を頂いた。それらの手紙を拝見して、今さらながら、患者や家族を思いやる気持ちに欠けた医療が横行していると悲しくなってきた。自分たちの提供する医療が最善であり、それに従わない患者や家族を見捨てても何とも思わない、医療に携わるものとしての矜持が欠落した医師、そんな医師のいる医療機関を素晴らしいと誇らし気に称える役人や政治家を見ると、日本という国家が終末期を迎えているのが実感される。

中央集権主義で、がん医療地域格差が広がっても、何にも感じない政治が腹立たしくもある。「いつでも、どこでも、だれでも」が最良の医療を享受できるのが政治の責任ではないのか!聞く耳を持つだけではなく、実行する力も持って欲しいものだ。聞く耳だけでは、単に馬耳東風に過ぎない。

患者の目を見ることもなく、体に触れることもなく、モニターに表示された検査結果に従って標準療法をやっているような医療は、人工知能に任せるだけで十分な時代が来る。人間の記憶力・能力をはるかに上回る人工知能ができ、囲碁や将棋などプロでも負けるのだ。思いやりこそ、人間の取柄のはずだ。

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患者や家族に寄り添う医療を取り戻せ

私はがん患者さんに希望を提供して、そして、治癒した時の笑顔を見るために、40年間研究に励んできた。基礎研究などは苦しいことばかりで、思い通りにはいかないことが多い、毎場所3勝12敗の連続だ。相撲ならば、序の口から這い上がれないのが研究の世界だ。それでも、患者さんや家族の痛み・苦しみ・悲しみを受け止めて、それを笑顔に変えることを願って、いろいろなものと闘い続けてきた。

しかし、今は、患者さんや家族の痛み・苦しみを感ずる心さえ失った医師が跋扈している。オブジーボやキイトルーダなどの免疫チェックポイント抗体の成功を目の当たりにしても、免疫療法など・・・とさげすむ人たちは、心だけでなく、知識も知恵もない人種だ。患者さん自身の免疫力がなければ、これらの薬剤は効果がないのは世界の常識だが、それも知らないようだ。患者さんや家族の生きる望みを絶ち切って、切り捨てるのが医療だと信じて疑わない人たちにかける言葉もない。

私もあと1か月で古希を迎える歳になったが、最近は患者さんから伝わる無慈悲な医療の現状にメラメラと怒りがこみあげている。死ぬ時も前のめりだった坂本龍馬や「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」の織田信長のように。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2022年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。