こんにちは、音喜多駿(日本維新の会 参議院議員 / 東京都選出)です。
※毎年恒例の早稲田祭エッセイ(ポエム)です
「同じ空気を吸いたかった」
故・安倍晋三元総理の元に、菅義偉前総理が駆けつけた理由として語った言葉。比較するのはおこがましいと思う一方、その気持ちがわかるという人も多いはず。
同じ空気を吸いたい。同じ景色を見ていたい。同じ時間を共有したい。
そんな想いで、来る日も来る日も大隈講堂前に集まった。弁当と缶ビールを片手に、何時間でも理想の早稲田祭について語り合った。仲間たちとなら、なんでもできるような気がしていた。
私の青春のすべてを置いてきた早稲田祭は、コロナ禍を乗り越えて少しずつ元の熱気を取り戻して。まだまだ最盛期には程遠くても、10号館から見える人混みが、還ってきた光景が素直に嬉しい。
18年前に私が火を灯したサークルは(過去ポエム参照)、すっかり早稲田を代表する人気サークルへと成長し、早稲田祭をもって引退する幹事たちのスピーチに目頭が熱くなる。
「先が見えないからこそ、不安だからこそ、輝くものを見つけることができた。何気ない日々が、かけがえのない大切なものだと気づかせてくれた。早稲田に心から感謝を」
コロナで青春の多くが失われた2年間。つらい時期をもっとも長く背負ってきたのが今の大学3年生。
同じ空気を吸うことを、同じ時間を共有する青春の大切さを肌身で知っているからこそ、彼らの塗炭の苦しみがわかり、そこから光を見出したことが震えるくらいに尊く愛おしい。
あなたたちが残したものは、受け継がれていく。後輩にも、私のような先輩にも。想いは照らすのだ、過去も未来も。
仕事の重圧や育児に追われて、時に心がへし折れそうになる私に激を飛ばすのは、あの時に我武者羅に走り回っていた頃の自分。
「こんなもんじゃないだろ」「日本一の学園祭を創るんだろ」
本気の本気で思っていたからこそ、後輩たちの姿を見ればいつだってあの頃に帰れる。心に確かに広がっていく、紺碧の空へ。
今年の早稲田祭をつくってくれた早稲田祭運営スタッフの後輩たち、参加団体、関係者に心からの感謝を。足腰が立たなくなるまで、毎年、この気持ちを味あわせて欲しいと心から。
21回目の早稲田祭に、厚く熱く感謝を込めて。
早稲田祭運営スタッフOB
下駄っぱーず創設(の前の前くらいの)メンバー
音喜多 駿
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編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2022年11月6日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。