NHK岩田明子記者による「安倍晋三秘録」に注文する

陰陽を書かず陽ばかり強調

安倍首相に食い込んだNHKのエース記者で、数々のスクープを報道した岩田明子記者(編集委員)の「安倍晋三秘録」(月刊文春)は興味深い。まだ3回目で、最終的には10回以上の連載となるはずです。

いづれ出版されるでしょう。安倍氏がよくここまでジャーナリストに話したものだと思います。間違いなく安倍研究の必読の書になる一方、安倍氏の陽の部分が多く、陰の部分が欠落していると思います。

安倍首相が何を考え、どう行動しようとしていたかの肉声を、詳細にレポートしています。憲政史最長の在任8年余に及んだ安倍氏を官房副長官(小泉政権)時代を含め20年、フォローしました。電話でのやり取りが多い時は一日、複数回のこともあったといいますから驚きます。時間帯は夜10時半から深夜までだったそうです。

ここまで安倍氏に食い込んだジャーナリストは他にはいないでしょう。両者の間で信頼関係が確立していたのと、安倍氏にとっても使い勝手がいい記者、いい話相手だったのでしょう。

政策の意思決定が安倍氏主導でなされていく流れをNHKで報道してもらええる。誰もが知る安倍氏と岩田記者の関係を認識すれば、NHKの政治報道も安倍氏側に忖度せざるを得ない。NHKの報道局人事にも影響力を行使できる。つまり岩田氏を通じてNHKをコントロールできる。

岩田氏にとっては、最高権力者の懐に入り込み、特報を連発できる。安倍氏につながっていることで、NHKにおける存在感を高めることができる。実際に安倍氏をバックに人事にも発言していたようです。両者にこうした思惑が一致していたに違いない。

安倍氏の銃撃殺害事件後は、そうした関係が裏目にでて、NHK内部から岩田氏を排斥したい動きもでた。それにしても、安倍氏の政治思想、政治手法、人物像が肉声で詳細に伝わってきます。安倍氏に関するオーラル・ヒストリー(口述歴史記録)として、資料的な価値は十分にある。

その一方で、安倍氏の影の部分について、安倍氏を擁護しているような印象を何度も受けるのです。岩田氏は安倍氏の報告者であって、本来のジャーナリストの姿ではない思います。

岸田政権の支持率急落の要因になっている旧統一教会問題は、「岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三・安倍派」に淵源があるという見方が濃厚になっています。

岩田氏はこう書いています。旧統一教会と接点があった井上議員(安倍内閣の秘書官)について尋ねると、「『そうだね・・』と言葉少なに安倍は答えた」、さらに「旧統一教会とは、徐々に距離を置こうとする様子がうかがわれた」と。本当に「距離」を置こうとしたのか。

実際には細田衆院議長、荻生田党政調会長らを通じて接点は続いた。岸田政権を断崖に追い詰めている原因は安倍氏に淵源があるという見方が強く、これは陰の部分です。そこに岩田氏は深入りしない。

安倍氏の銃撃事件について、岩田氏は「警察の情勢分析、警備の遅れが悔やまれる」と指摘します。実際は、自民党政治、安倍氏らの影響で、統一教会問題は聖域扱いになっていたのでしょう。

安倍氏の外交手法については、岩田氏は「頭と頭をつき合わせる(いわゆるテタテ)外交を展開し、首脳2人だけの1対1会談を繰り返した。トランプ米大統領ともプーチン露大統領とも交流を重ね、信頼関係を築いた」と、説明しています。日露首脳会談は27回に及びました。

当時の最高実力者である2人との緊密な信頼関係の醸成は、国益のために必要だとしても、結果をみれば、プーチンはウクライナを侵略し、大量虐殺と破壊を繰り返しています。最も緊密な個人的関係を築いたプーチンが国際政治から最も糾弾されている人物です。

トランプにしても、大統領選挙の無効を主張する、米議会に支持派が武力行使をして突入する、大量の国家機密文書をフロリダの邸宅に運び込み、当局に押収された・・・。世界最大の民主主義国家のトップとしてあるまじき振る舞いです。安倍氏は何か感想を漏らしていなかったのか。

天皇制についてはどうか。「安倍氏は『愛子天皇』を認めていた。愛子天皇誕生への道筋に向けて責任ある議論を進めなければならない」と安倍氏が何度か口にするのを私は聞いている」と、岩田氏は書いています。保守派の安倍氏は「男系男子の天皇」派のはずでしたから意外です。

岩田氏が安倍氏本人から聞いた皇室像は「悠仁さままで皇位継承順位を変更しない」、「男系女子(愛子さま)による皇位継承もありうる」、「女性皇族は婚姻後も皇族の身分を持ち続ける」などです。

女性天皇の実現に向けて、安倍氏は柔軟な考えかた持ち主なのだと、見方を改めた人は多いでしょう。それについて「矛盾した考えだ」と一刀両断にする識者がいます。岩田氏の「秘録」は誤ったイメージを与えると。

皇室研究家の高森明勅氏は「安倍氏の案では、皇位継承順位を変えないのだから、悠仁さまが先に天皇になる。愛子さまは5歳年上だから、(不測の事態が起きない限り)愛子天皇の実現はない」と、指摘します。

そうなのでしょう。女系、女性天皇を頭から否定する右翼、保守派に対するけん制にはなっても、リップサービスに終わる可能性があるのです。岩田記者は「安倍は皇位継承問題の解決が自分に課せられた責任であると感じていた」と、結んでいます。本当にそうなのかなあと思います。

月刊文春の連載で、岩田氏は「政治外交ジャーナリスト」という肩書を使っています。財政金融政策は今や政治主導型になり、経済政策から政治経済学の範疇に移ってしまいました。

さらに続く連載で、アベノミクスの負の部分である膨大な財政赤字、円安を招いているゼロ金利政策の長期化にどのような思索をしていたのかも、肉声を聞いてみたい。

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編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年11月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。