諸悪の根源は円安でした

こんにちは。

今日はもう2ヵ月以上も前にいただいていたご質問と、それに関連するもうひとつのご質問にお答えしようと思います。

ご質問1:国内の現状としてやはり賃金・物価の上昇(緩やかないいインフレ)をしたほうが良さそうですが、これまで何年もできてこなかった原因はどこにあるんでしょうか?

技術革新によりデフレになる傾向、デフレの方が社会的余剰が増えること、それにより庶民が比較的楽に生活できる恩恵は理解できます。

ただ、海外との競争を考えると、為替レートが変わらぬまま海外の物価・賃金が一方的に上昇している状況だと、日本の国内資産が一方的に買い叩かれないでしょうか?

現在はそれに円安も相まって、日本が途上国などと同じような「安い国」になり、一方的に買い叩かれる国になるのではないかと不安になっています。

メディアの情報では「為替レート・物価・賃金」の関係がほとんどわからないので、先生に聞いてみたいと思いました。

ご質問2:世界各国の所得は上昇しつづけているにもかかわらず、日本は30年ほど横ばいなのです。泣けてきました! なぜ、欧米の所得が上昇しつづけているにもかかわらず、日本は横ばいなのでしょうか?

お答え:ふたつともほんとうに重要なご指摘で、とくになぜ日本の賃金はこんなに上がらないのかという点は、日本で働く人々、そして将来働くことになる人々にとって、死活問題です。真剣に考えてみたいと思います。

F3al2/iStock

問題の核心はどこにあるのだろうか?

まず、最初のご質問には以下のような、日米の為替レートを中心にした数々の疑問点の見取り図が添えられていました。

そこから、出発したいと思います。


じつは、アメリカ側で物価上昇、賃金上昇と並行してドル高が進んでいるという点で、すでに本来経済学の常識ではあり得ないような事態が起きています。同じことを裏返した表現になりますが、物価が安定していた日本の円が安くなるのも、おかしな話なのです。

物価も賃金も軒並み上がるのはどんな状態かと言えば、その国の通貨の価値が下がっているからだと考えるのが自然です。アメリカであればドルの価値が下がっているからこそ、昔なら1ドルで買えていたものを買うのに1ドル10セント必要になったというふうに。

一方、物価が安定している国では通貨の価値が目減りしていないからこそ、昔からほぼ同じ値段で同じものが買えるというわけです。

つまり、物価が上がっているアメリカのドルが高くなり、物価が安定している日本の円が安くなるのは、石が浮かんで草が沈むというくらい不思議なことなのです。

なぜこんなに不思議なことが起きたかと言えば、それは自分が生活していくために必要なモノやサービスを買うための金銭のやり取りに比べて、(株、債券、為替といった)金融市場に資金を投下して、持っているカネをもっと増やすために取引する金銭のやり取りのほうが圧倒的に多くなってしまったからです。

金融市場関係者は、同じものを買うのにいくらかかるかで通貨の価値を判断するより、どこの国の通貨を買えばより大きな金利収入を得られるかという発想をしがちです。

そうすると、物価の安定している国の通貨より、むしろインフレで物価がどんどん高くなり、通貨の価値は下落するはずの国の通貨を選びがちです。

なぜかというと、インフレ率が高い国で流通している債券の利回りは、物価が安定している国の債券利回りより高くなる傾向があるからです。

債券を買うと得られる利回りがインフレ率より低いと(もっと一般的にはカネを貸して得られる金利収入がインフレ率より低いと元利合計がインフレによる価値の目減りを補えないので、だれも債券を買わず、カネを貸さないということになってしまいます。

そうすると借金や債券発行で得た資金で事業をしようとする企業や政府は困るので、インフレ率が高い国ほど金利も高めに設定され、その結果少しでも高い利回りを得ようと世界中を動き回っている投資用の資金がそこに集まり、その国の通貨が高くなるわけです。

ということは、インフレ率と金利がいたちごっこでどんどん高くなる国の通貨価値は上がってますます豊かになり、インフレ率も金利も低い国の通貨価値は下がってますます貧しくなってしまうのでしょうか?

そんなことはあり得ないと思います。カネを貸して金利を稼ぐ人にとっては、そうなれば万々歳でしょう。

ですが、金を借りて事業をする企業や政府には元利返済負担が重くなるばかりですし、一応賃金は上がるけれども物価上昇率には追いつかない勤労者の生活も苦しくなるばかりで、安定した経済運営はできないからです。

そんな国は、いずれ金を借りる側の事業者たち、金融市場よりふつうのモノやサービスの市場で金銭をやり取りする人たちが疲れ果てて破綻してしまうでしょう。

でも、インフレのきつい国のほうが実質所得が上がっていた

ところが、過去30年ほどはどうもそうなっていなかったようなのです。ふたつ目のご質問には、次のグラフが添えてありました。

このグラフは、民間企業の従業員が1時間当りいくらの賃金を稼げるかを、名目ではなく実質で表しています。実質とは消費者物価指数の上昇分を割り引いた上で上がっているか、下がっているかを見ているということです。

ご覧のとおり、日本は飛び抜けて実質賃金指数が低くなっています。他の7ヵ国は21年間で最低でも15%実質賃金が上がっていたのに、日本だけは実質賃金が20%強も下がっていました。

次のグラフでおわかりいただけるように、日本はここに取り上げた8ヵ国の中でいちばん物価が安定していた国です。

あまりにも日本のパフォーマンスが悪いので、ひょっとしたらこのグラフを作成した全労連はなるべく日本の賃金事情を悪く見せるために、他の国と定義の違う「毎月勤労統計調査」を使ったのかもしれないと思い、ちょっと時期がずれますが同じOECDのデータで比べてみました。

その結果は次のとおりです。

いくらか実質時給の目減りは小さくなりますが、他の7ヵ国に比べて圧倒的に低水準にとどまっているのは、同じです。

不可解な実質賃金の低下

この間、日本の労働生産性は上昇しています。次のグラフは名目ベースですが、日本の場合インフレ率がゼロ近辺にとどまっていた時期が長いので、この程度の穏やかな上昇でも、実質賃金を押し上げていて当然なはずなのです。

労働生産性は上がっているのに労賃は下落しているとすれば、その理由は個別企業の中でも、日本全体としても労働分配率が下がっているとしか考えられません。

労働分配率とは何かというと、企業が生み出した付加価値のうち、賃金給与を中心とする人件費に回る部分のことで、利益に回る分が資本分配率ということになります。

実際に、世紀の変わり目頃を転換点に日本の労働分配率はゆるやかな下落に転じています。

このグラフには、他にふたつ注目すべき点があります。

ひとつは、資本金規模で10億円以上になる日本の大企業はもともと労働分配率が低かった上に、近年ますます労働分配率を下げている傾向があることです。

もうひとつは、日本で労働分配率が上がるのは、2007~09年の国際金融危機のように世界的な不況で企業が軒並み想定していたよりはるかに低い利益しかあげられなかったときだけといってもいいほど、日本の勤労者は不利な立場にいるという事実です。

その点に関連して、上のグラフでは2020~21年の世界的なコロナ危機でも、企業は想定どおりの利益を得られずに、労働分配率の上昇を招くだろうと推測されていました。

ところが、蓋を開けてみるとかなり深刻な需要減少に見舞われたにもかかわらず、企業は高い利益率を守り、労働分配率はますます低下してしまったのです。

資本金規模10億円未満の企業の労働分配率は全部60~68%のレンジの中にいるのに、資本金10億円以上の企業の労働分配率は2016年のピークでさえ47%で、直近ではわずか34%まで下がっています。

産業分野別の労働分配率の推移に目を転じると、慢性的に労働分配率が低いのが情報通信分野で、最近円安基調が定着してから急激に労働分配率が下がっているのが製造業だとわかります。

さて、資本金規模の大きさと製造業を組み合わせると、皆さんにはどんな企業の姿が浮かんでくるでしょうか。

そうです。輸出の花形企業です。日本の製造業が輸出で勝負しているのは、価格競争力がものを言う日用消費財などでははなく、裁量型の消費財や中間財、資本財などの価格より品質や独自技術でニッチを築いている分野です。

そういう分野では多少高くても売れ行きが落ちることもありませんが、価格を下げたからといって売れ行きが激増することもありません

日本の大手輸出企業は、円安になっても円の価値が目減りした分だけ輸出先の現地価格を下げることはめったにありません。現地価格では据え置き、日本円にすれば円の目減り分だけ値上げをしてほぼ同じ数量の製品を売りさばきます

コストは日本円で計算し、価格は現地価格を維持し、円に換算すれば上がった価格で売りさばくので、それだけ日本円で勘定する利益率が上がるわけです。

反面、勤労者には日本円が目減りした分だけ賃金給与がカサ上げされるわけではなく、円ベースでの付加価値増加分は全部企業利益に吸い取られてしまいます

その際、勤労者側の損得勘定は円安になる前と同じかというと、そうではありません。日本はエネルギー・金属資源のほぼ全部と、農産物のかなりの量を輸入しなければ日常生活が成り立たない国です。

円安になれば、確実に輸入品の物価は上がり、その分だけ同じ賃金・給与の実質価値は下がります

今年の第4四半期(10~12月)の経常利益計画でも、自動車・同部品製造業が前年同期比31.5%増、情報通信機器製造業が25.7%増、鉄鋼業が17.3%増と華々しい予想を掲げています。

これは、日本国民全員が輸入品価格の上昇分だけ貧しくなるという犠牲の上に築かれた大幅増益なのです。ただ、企業経営者は株主に対してできるかぎり好収益を上げるという責務を負っているので、一概に責められません。

また、株式投資家の方々も、円安になればおなじみの輸出産業の花形企業に投資していれば、必ず株価は上がるということで円安大歓迎です。円高になれば、新しいスターを探さなければならないでしょう。

問題なのは、「日本は輸出立国であり、円高は輸出産業に脅威だ」という固定観念で恐ろしく長期にわたって不自然な超低金利にしがみついてまで、円安を促進し、維持しようとした政府・日銀の金融政策担当者です。

日本は円高でこそ潤う国です

まず、日本は多くの資源や農産物を輸入しなければならない国なので、円安は国民全体に被害を及ぼします。

一方、円高が輸出産業に不利かどうかは、特定の企業がどの程度発想のユニークさや技術力で競争力を発揮できるかによります。

過去の実績を見ると、むしろ円高が進んでいた頃のほうが貿易収支も順調に黒字を維持していました。

このグラフでは米ドルの対円レートになっているので、上に行くほどドルが高く円が安くなっています。逆に下に行くほど円が高く、ドルが安くなります。

2007~09年の国際金融危機が起きるまでは、ほぼ正確に円高は貿易黒字を拡大し、円安は貿易黒字を縮小するパターンが続いていました。

「それは水準として米ドルが100円を割りこむまでの話であって、1ドル80~95円だった頃は慢性的に貿易赤字が続いたではないか」というご反論もあるでしょう。

ですが、私は2011~15年の貿易赤字は決して円高によるものではなく、まず国際金融危機後世界中で設備投資が急収縮した結果、日本が得意とする資本財・中間財の輸出が激減した上に、2011年の東日本大震災で関東・東北のサプライチェーンが大打撃を受けたためだと思っています。

最近、ちょっとエネルギー価格が上振れしただけでもすぐ貿易赤字に陥るようになりました。それどころか、貿易赤字が定着して、その赤字を所得収支(海外からの金利・配当収入マイナス海外への金利・配当支出)で埋め合わせて経常黒字を保つ方向に向かっています。

所得収支の黒字の恩恵は貿易収支の黒字ほど広い範囲に行き渡らないため、所得や資産の格差を拡大する懸念があります。

そもそも円安であらゆる輸入品が割高になっている上に、エネルギー資源の国際市況が高くなると、とうてい割安の円で稼いだ分ではエネルギー資源購入費の増加分を補いきれないからこういう状態になっているのです。

金利生活者だけに有利な世の中はごめんだ

実質貿易収支という概念があります。もし、ある国の輸出品も輸入品もまったく価格が変わらなかったとしたら、その国の貿易品の数量が示す貿易収支はどうなっていただろうかという思考実験です。

日本の場合、次のグラフがこの思考実験の結果を示しています。

1ドルが116円より円高になると、ほとんど実質貿易収支は黒字です。逆に116円より円安になると実質貿易収支は赤字が多くなります。この傾向は、さまざまな特殊要因が重なった2008~14年でもほぼ貫徹していました。

私の持論は「製造業主導の経済は終わった。これからはサービス業が経済全体を牽引する」ということですが、製造業に属する企業は全部衰退するとか、衰退すべきだと言っているわけではありません

脇役とは言え、どうしても必要なエネルギー・金属資源や農産物を買うための外資を稼いでくれる強い製造業を抑制する必要はまったくないどころか、消えてもらっては困ります

私が主張したいのは、円安政策は弱い製造業者を生き延びさせるだけで、強い製造業者を育ててくれるわけではないということです。

また、サービス業主導といっても、羽振りがいいのは金利・配当生活者だけという世の中はまっぴらです。イギリスもアメリカも、どんどんその方向に傾斜していますが。そして、物価より金利を見て通貨価値が変動するような世界は、いずれそうなります

幸い、任期終了間近の黒田日銀総裁は、イールドカーブコントロールの上下限を、これまでの±0.25%から±0.5%に拡大しました。これで、延々と続けて着た円安政策の罪が消えるわけではありませんが、少なくとも円高定着に向けての第1歩になったことは間違いありません。

すさまじかった消費の萎縮

それにしても、過去たった5年間で日本国民は、平時の先進国では類例を考えることができないほど消費を切り詰めてきました。

2020~22年の「コロナ騒動」期を通じて、直前の2019年に比べて消費性向が4.6パーセンテージポイントも下がったのです。そればかりか、2017年のピークに比べると10パーセンテージポイント超の大収縮です。

消費性向とは、可処分所得のうち何パーセントを消費に回すかという数字です。たんに新型コロナへの恐怖心から発した家計の緊縮とは思えません

今後も円安政策は続き、それは即世界中から買えるモノやサービスの量がどんどん目減りしていくことを意味すると、しっかり見据えた上での長期耐乏生活の覚悟を示したのでしょう。

その意味では、日本の大衆は多くの経済学者たちよりはるかに鋭敏に、円安政策の害毒をわかっていたのだと思います。

ですが、日本は世界最大の対外純資産国です。他国から借りているカネより他国に貸しているカネのほうが世界一巨額なのです。経済危機に瀕した世界では、自国通貨の価値が下がるより上がって当然という国です。

今回のイールドカーブコントロール枠の拡大をきっかけに、ブレトンウッズ体制崩壊以降2011年まで続いた円高基調を回復すれば、経済のみならず社会全体に活気が戻ってくると確信しています

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編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年12月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。