「ファーストレディ」という仕事

衛藤 幹子

米国の友人がファーストレディの研究を始めた。世界で最もパワフルな合衆国大統領に最も近く、影響力もある伴侶はテーマとしてはなかなか面白そうだ。ほんの少しかじってみた。

呼称の由来

「ファーストレディ」という呼称が初めて使われたのは、第4代大統領のジェームズ・マディソンの未亡人ドリーの葬儀の折と言われている。時の大統領ザカリー・テイラーが彼女を「ファースト・レディ」と讃える弔辞を読み、以来大統領夫人をこのように呼ぶようになった。

それ以前は、イギリスの貴族の夫人を模して「レディ」という呼称が使われ、ドリーも大統領夫人時代はレディ・マディソンと呼ばれていた(George W. Bush Library)。テイラーは大統領としては凡庸であったが、ファーストレディという呼称の生みの親として名を残した。

First Lady's Role | George W. Bush Library
Learn about the role of the First Lady and Mrs. Laura Bush.
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1952年、イスラエルの人びとに演説するエレノア 出典:National Archives

ホワイトハウスのホステス

言うまでもなく、ファーストレディに就業規則書はない。しかし、大統領の執務室でもあるホワイトハウスの女主人という立場に伴う公務を果たさなければならない。

ホワイトハウスで開かれる様ざまな行事を主催し、内外要人の接待を取り仕切る。ホステス役は初代大統領ワシントンの妻マーサ以来の、伝統的な役割である。

慈善団体等の支援者

彼女たちはアメリカで最も有名な女性なので、弱者の権利擁護や慈善活動の団体から助力や協力を要請され、支援者になる。

たとえば、独身であったジェームズ・ブキャナンのファースレディ役を務めたハリエット・レーンは先住民の生活向上、メアリー・リンカーンは解放奴隷の教育や雇用に尽力し、ウイリアム・タフツの妻ヘレンは劣悪な労働環境の改善するための法律の制定に奔走した。

最近では、ローラ・ブッシュが子どもの読み書き能力の向上、またミシェル・オバマは子どもの肥満問題に取り組んだ。メラニア・トランプも、ネット上のイジメを減らすために「Be Best」という事業を立ち上げた。

「政治的」ファーストレディ

政治や政策に強く関与し、伝統的な役割を超えるファーストレディも登場した。まず挙げられるのが、フランクリン・ルーズベルトの妻、エレノアだ。

エレノアはホステス役を完璧に果たす一方で、全国遊説、記者会見、ラジオ番組への出演、さらには新聞コラムへの寄稿によって自分自身の意見を発信した。しかも、彼女は夫よりもリベラルで、公民権や女性や労働者の権利の拡充を夫に迫った。彼女の言動は政敵の格好の標的になったが、私欲のない真摯な行動は政権内でも評価されたという(The White House)。

Anna Eleanor Roosevelt | The White House
Anna Eleanor Roosevelt was the longest-serving First Lady throughout her husband President Franklin D. Roosevelt’s four terms in office (1933-1945). She was an ...

エレノア同様、あるいはそれ以上に「政治化した」ファーストレディといえば、やはりヒラリー・クリントンだ。

夫が就任早々立ち上げた医療保険制度改革タスクフォースの委員長に就任し、改革案をまとめ上げた。改革こそ実現しなかったものの、その手腕は高く評価された。夫が大統領を退いた後は、自ら政界に打って出て、ニューヨーク州選出の連邦議会上院議員、オバマ政権の国務長官を歴任し、2016年には大統領選挙に出馬し、トランプと争った(The White House, “Hillary Rodham Clinton)。

Hillary Rodham Clinton | The White House
Hillary Diane Rodham Clinton served as the First Lady of the United States to the 42nd President, Bill Clinton. She went on to become a U.S. Secretary of State ...

流行の発信者

ファーストレディのファッションは注目の的であり、大きな話題になることも少なくないが、女性のファッションや生活スタイルを新たに生み出し、リードするトレンドセッターの走りは、ドリー・マディソンである(USA Miller Center, Dolly Madison)。

ドリーは美しい羽根つきのターバンとヨーロッパ風の優雅なドレスで裕福な女性たちを魅了し、ニューイングランドの政治家の妻が彼女を真似て高価な羽根2本を9ドル(現在の価値では200ドルくらい)で購入し、周囲を呆れさせたという逸話もある(White House Historical Association, Getting it Right)。

Dolley Madison | Miller Center
Getting It Right
On March 4, 1809, at Washington’s first inaugural ball, one keen local observer recorded that the new first lady, Dolley Payne Todd Madison, who arrived draped ...

ドリー・マディソン 出典:National Women’s History Museum

ピンクは女の子/女性の色と見なされるが、実はこの観念は、第43代大統領ドワイト・アイゼンハワーの妻、マミーの「ピンク愛」に由来する。

マミーは、1953年の大統領就任式後の舞踏会で着用したピンクのロングドレスを始め、ピンクの衣料を愛用したばかりか、ホワイトハウスやキャンプデービッドの寝室までピンクで彩るほど、この色を愛した(The White House, Mamie Eisenhower)。

「マミー・ピンク」は、戦後の解放感と自由を謳歌する若い女性たちの心を掴み、彼女たちはこぞってピンクの服を身につけ、やがてピンクが女性と結びつけられ、女性のシンボルカラーになった(Vox, How did pink become a girly color?)。

Mamie Eisenhower
Mamie Geneva Doud was born on November 14, 1896, in Boone, Iowa. She was the daughter of John Sheldon Doud and Elivera Mathilda Carlson Doud. The Doud family la...
How did pink become a girly color?
It wasn't always this way.

 

First Lady PinkDid your grandmother’s house have a pink bathroom? You might be able to blame Mamie Eisenhower, who made the color extremely popular when she became First Lady in 1953. During the next 8 years, Mamie would be listed among the “10...

1953年大統領就任式・舞踏会のマミー 出典:National Achieves

兼業ファーストレディ

現大統領の妻ジル・バイデンは、初めての兼業ファーストレディである。彼女は教育学の博士号をもち、2009年以来、現在もコミュニティカレッジで教鞭をとっている。21世紀らしいファーストレディの登場である。