日米韓連携の試練③:松川るい議員が戦っているもの

田村 和広

松川るい議員の「応募工問題」(いわゆる“徴用工問題”)を焦点とした対韓外交論の波紋によって、「認知戦領域における日本の弱点」が浮き彫りになった。前稿までの論考では、①「波紋を広げた論点」と、② 「SNS上の反応」について整理したが、本稿ではそれらの分析に入って行く。

前稿で「松川議員と国民の認識の乖離部分の抽出」を予告したが、その前に松川議員が発表した追加説明の完成度が高いので、これについて触れておく。

solidcolours/iStock

松川議員自身の論考で疑問点は完全収束

2月15日、松川議員自身が本件の論点整理と国民への追加説明を発表し17日にアゴラにも転載された。(:松川論考)

日韓関係:「徴用工」判決問題解決の意義
みなさま、こんにちは。2月5日の日曜プライムに出演させて頂いたところ、直後に多くの好意的な反応をいただきました。ありがとうございました。一方で暫く時間が経ったところでツイッターに批判コメントも多く寄せられました。 もう放置しておこうか...

SNS上には誤解に基づく数々の疑問が広がっていたが、それらに終止符を打つ、詳細で妥当な説明がなされている。これにてSNS空間に波紋を広げた議論は完結である。

実はSNS上で発せられた門田氏の追加質問(※)は、イエス・ノーで答えるべきではない「見解(:失敗の繰り返し)が埋め込まれた問い」や「非業の死を遂げた故人を利用した問い」など、質が悪いものである。

※ 門田氏の質問、氏のSNSから抜粋
① 今までと同じ失敗を繰り返して日韓関係が本当によくなると思いますか?
② 既に解決済みで韓国の国内問題。その姿勢を揺るがす意味が分りません。
③ その意見を安倍さんにも仰いましたか?

更に言えば疑問文の形をとっているが文脈上、本意は反語に近いものだろう。その意味で松川議員としては回答義務のないものであるが、衆人環視の状況から一般国民向けに説明したとみる。しかも松川論考は、その罠にかからない巧妙な回答にもなっている。

現代日本に、「国民の疑問(一部に粗野な声や悪意を含む)に正面から向き合い、ここまで丁寧に回答する政治家」は、一体何人いるだろうか。

対韓外交上の難問題に関しては、本来外務大臣が果たすべき説明責任である。その外務大臣に代わって国内説明の役割を果たす議員を、私は“stateswoman”として賞賛する。

なお本稿において松川論考の内容の要約は敢えてしない。詳細で論旨明快な松川論考は、仮に私が要旨を抽出した場合、必ず“劣化コピー”に堕するからである。

日本の安全保障戦略における韓国の存在

「韓国は、地政学的にも我が国の安全保障にとっても極めて重要な隣国である。北朝鮮への対応等を念頭に、安全保障面を含め、日韓・日米韓の戦略的提携を強化していく」

これは安保3文書の最上位文書「国家安全保障戦略」(P14)に明記されていた韓国に対する認識である。松川議員の中にある「国益」は、この国家安全保障戦略に沿ったものであろう。

「国家安全保障戦略」は閣議決定された正式な文書である。つまり、これは日本政府の公式見解である。日本国民としては、万が一にも情緒的に(強いていうなら「嫌韓感情」に流されて)強硬姿勢に固執することなく、「いかなる行動が国益に沿うか」という利益計算を理解すべきであろう。そのためにも、松川論考は丸ごとご一読されることを勧める。その理由は、読むことで深刻な二国間問題を抱える対韓外交についての基礎的な視点を得られるからである。

また、「国益」の正確な理解とその実現方法を理解するためには「国家安全保障戦略」も直接読むことが必要である。

松川論考を理解しない層の存在

しかし、松川議員がここまでしても「門田氏の質問に回答していない」というコメントがいまだに散見される。だがこのリアクションはもはや看過すべきであろう。

なぜなら、この反応をするのは「見たいものしか見ない人」または「読解力がない人」あるいは「合理的な説得を情緒的に拒む人」のレイヤーなので、彼らに理解してもらうのは不可能かつ不必要であり、時間と情熱という貴重な資源の浪費につながるからである。

ただし本件に関してはこれで終結とすべきだが、長期的な視点に立つと看過し続けるわけにもいかない存在でもある。なぜなら彼らも国民の一部であり、今後も予想される困難な外交局面を思えば、難局に差しかかるほどナショナリズムの炎はエスカレーションしがちだからである。

この「理解を拒む層」は、視座によってさまざまな姿を見せる。その輪郭の一つを、過去事例にたとえる方法で浮き上がらせて行く。

日比谷焼き討ち事件

以下『戦後日本のポピュリズム』(筒井清忠著)を基礎とする。

日比谷焼き討ち事件(1905年9月5日)は、日露戦争の講和条約の締結に反対する国民大会が暴動化して起きたものである。吉野作造をして「民衆が政治上に於いて一つの勢力として動くという傾向の流行するに至った初め」と言わしめた。

そのポーツマス講和会議に関し、『国民新聞』(徳富蘇峰)を除くほとんどすべての新聞社が、賠償金の見込みがない日露交渉(講和条約)を批判する立場をとった。それを背景として、焼き討ち事件では国民新聞社が五千名ともいわれる逆上した民衆に襲撃された。

日比谷焼き討ち事件について言及されたもののうち、現代にも通じる部分を前掲書から引用する。それぞれの登場人物を現代の各プレイヤーに置き換えるとまるで現代に起きている現象を記述しているかのようである。

日本に最初に登場した大衆は天皇とナショナリズム(それも「英霊」的なものによって裏打ちされたもの)によって支えられたそれであった。

さらに新聞論調に多いのは次のような内容である。(略)「嗚呼、国民は閣臣元老に売られたり」「呆れ返った重臣連」

戒厳令施行後に見られた張り紙も同じように「小村全権は日本を売る国賊なり」(略)といったものがきわめて多い。

その淵源は幕末の武力倒幕派に遡る(略)幕末の尊攘倒幕派から二・二六事件につながる「一君万民」「尊皇討奸」的意識を強く持ったものであった。

マスメディアは、こうした天皇シンボル型ポピュリズム的問題と既成政党政治批判ばかりをセンセーショナルに報道。

日露戦争について現代を生きる私達が振り返れば、日本には国力の観点からあれ以上の継戦能力はほとんどなかったので絶妙な交渉であったことがわかる。

しかし当時はごく一部を除いて、国力の臨界点についての情報を知る由もなかった。そのために小村寿太郎を「日本を売る国賊なり」とまで非難していた新聞に、一部の国民が煽られ暴動に発展した現象も(支持はできないが)一定の理解はできる。

直截的な言明は控えるが外交において相似形の現象はいくらでも起きており、百年経っても国民性は変わっていない。

松川議員と一部国民との認識に乖離が生まれる背景

次はいよいよ下記に列挙した要素の検討になる。

  • 松川議員の一般とは隔絶した見識
  • 知識の呪縛
  • ダニング・クルーガー効果
  • 内集団バイアス
  • 読解能力
  • ポピュリズム
  • いわゆる“ビジネス保守”
  • 愛国を装った自己愛
  • 日本人の“地政学音痴”
  • 安全保障戦略の周知失敗
  • 中国・北朝鮮のプロパガンダの可能性
  • 認知戦に無防備な日本

しかし紙幅を考慮すればこれらの検討は次の稿とせざるを得ない。そこで一点だけ、松川議員の見識が、一般と隔絶している点についてのみ予告的に触れる。

乖離の背景の一例:松川議員の群を抜く見識が露出した事例

ロシアによるウクライナ侵略について、2022年2月24に生起する前にそれが実行される可能性を考えていた有識者は存在した。しかし小泉悠氏のように極めて正確な情報を添えて可能性を指摘する人はいても、明確に起きることを合理的な根拠を示しながら予告していた専門家は殆どいなかった。むしろ有力な専門家の中には「起きない」という主張をしている人もいた。さらに日本の政治家には、明瞭に警鐘を鳴らしていた人はごくわずかであった。

そのわずか数名のうちの一人が松川議員であった。しかもただ予告していただけでなく、「それを回避するために日本としてはほぼ何もできない」という冷徹な現実まで指摘し、一部の専門家から疑問(指摘)を表明されたほどである。この、「国民にとって不都合(かつ不快)な事実」であってもそのまま国民に告知していた政治家は存在したのかもしれないが私は知らない。

次の稿では、ロシアによる侵略の脅威について松川議員が実際にどのような告知を行ったかなど、その具体的な内容を添えて、「松川議員と一部国民との認識の乖離」について考察して行きたい。

(次回につづく)

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