プーチン大統領に見る「お前だって論法」の浸透力

ウクライナに対する本格的な軍事侵攻の前年までは「ロシア人とウクライナ人の民族的一体性」なるものを唱える論文を発表したりして知識人の装いをとろうとしていたプーチン大統領は、最近ではもっぱら「西側」批判の言説ばかりを繰り返している。他のロシア政府高官もそれにならって、ウクライナ問題について反論する際に、決してウクライナの話をせず、「アメリカは過去にひどいことをしてきた国だ」という話の一点張りをするように心がけているようだ。

日本にとっても理論武装が必要な領域だ。5月のG7広島サミットにあわせて、ロシアが「広島に原爆を落としたアメリカが他国の批判をする資格はない」キャンペーンをしてくることは、確実である。日本政府は、よく準備をしておくべきだ。

プーチン大統領 クレムリンHPより

プーチン大統領に代表されるロシア政府高官の言説は、ニーチェの『道徳の系譜学』の分析に沿って言えば、「ルサンチマン」の道徳論である。未来に向けた建設的な性格を持たない反動的な感情に依拠した主張に終始している。しかし「自らの不幸な境遇や満たされない思いは世界を牛耳るアメリカによって引き起こされているに違いない」という陰謀論に陥りがちな人々に対しては、強いメッセージとなっている。

プーチン大統領に見るルサンチマンの道徳論の波及力

実質的な内容を持たないプーチン大統領の言説が、世界の大多数から信奉されることはないだろう。しかし残念ながら一定の数の人々には効果を持ってしまう万年野党のような力がある。

より卑近な言い方をすれば、プーチン大統領の得意技は、「お前だって論法」と俗に言われているものである。

「貴方の行動はおかしい」と指摘されても、自らの行動の正当性の説明などは行わない。代わりに、ただ、「お前だって悪いことを沢山してきただろう」と言い続ける。それが、いわゆる「お前だって論法」である。

議論の実質内容では勝ち目がない場合に、敗者の戦術として用いられるのが「お前だって論法」である。自分を非難する相手の弱みに話を移して、自らに都合の悪い事柄から話をそらしてしまおうとする画策である。

「お前だって論法」を繰り返しているだけでは、議論の実質で本当に優勢になることはない。ただ負けが濃厚であるがゆえに、何とか引き分けに持ち込もうとするだけの態度である。「お前だって論法」を繰り返していると、「自らの行動の正当化はできないのだな」、という印象はかえって高まる。したがって、真剣な議論の場では使うべきではない。

だがこの「お前だって論法」が、しばしば「引き分けに持ちこむ」ような効果を発してしまうことがある。

人間は感情的な動物である。アメリカのイラクにおける行動が何であったかは、ロシアのウクライナにおける侵略行動とは何ら関係がないことを、頭ではよくわかっていても、アメリカのことを憎んでいるのであれば、感情的には「お前だって論法」に簡単に流されてしまう。「ロシアも悪いんだろうが、まあアメリカだって大したものではない」という当事者のウクライナそっちのけの奇妙な「どっちもどっち」論に拘泥し、論理的には全く整合性がない感情論に流される自分を許してしまいがちである。

プーチン大統領は、さすがに老獪な独裁者である。こうした人間の感情を見透かした行動をとることに長けている。

ロシアのウクライナに対する侵略行動の違法性は、明白である。ロシアの側に論争における勝ち目はない。プーチン大統領は、そのことをよく知っている。知っているがゆえに、徹底して「お前だって論法」を貫いて、いわば負けを引き分けに転じさせる機会を狙っている。

悲しいことに、世界中で、そして日本でも、感情に流されて、このプーチン大統領の浅薄な「お前だって論法」に騙されている方々が、沢山いる。決して大多数ではないとしても、少なからぬ数の人々が、感情に流されて、自ら望んでプーチン大統領に騙されようとしている。

残念かつ由々しき事態である。特に社会で責任ある立場にある人々が、「お前だって論法」に騙されてしまっては、大変なことになる。上述のように、日本の指導者層も、G7広島サミットの際などに、あらためて試されることになるだろう。しっかりと理論武装をしておいてほしい。