当方は1980年初頭、数カ月間英国に住んでいた。ロンドンではなく、ビートルズの生まれたリバプールだ。中欧のオーストリアに常駐するようになってからは残念ながら英国をゆっくりと再訪する機会はなかった。ただ、英国発のニュースにはできるだけ目を通してきた。独週刊誌シュピーゲル(4月15日号)に英国の現状をルポした記事が掲載されていたのを読んで驚いたというより、「誰が英国をこんなふうにしてしまったのか」という憤慨の思いすら沸いてきた。
日本人にとって、英国は欧州の代表であり、産業革命の発祥地であり、モダンな近代先進国というイメージが強いが、シュピーゲルのルポ記事を読んでいると、「貧富の格差は大きく、国民の活力が減退し、貧困者の生活はこれが英国の現状かと疑いたくなるような状況だ。40年前の英国はもっと活力があったのではないか。ストやデモが多発した1980年代、サッチャーが登場して英国病といわれる国民経済を改革していった。サッチャー改革は短期的には英国病の回復に効果があったが、長期的には現在のような貧富の格差がある社会を生み出していったのか。EU離脱(ブレグジット、2020年1月31日以降)とコロナのパンデミックで英国は再び病んできた、という印象をシュピーゲルの7頁に及ぶルポ記事を読んで感じた。
例えば、69歳の年金生活者のリンダさん(匿名)は看護師として働いた後、退職して年金(月700ポンド=11万7000円)で生活しているが、アパートを維持するのが精一杯で3食の食事は難しい。台所では料理しないという。電気代を節約するためだ。慈善団体などが運営する無料で食事を提供している場所でスープなど温かい食事をもらうのが日課となっている。曰く、「毎火曜日にはカレーライスが出るので楽しみにしている」という。孫たちが来る日だけ部屋の暖房にスイッチを入れ、それ以外は暖房なしの生活だ。「幸い、近くに友人がいるし、アパートもあるから」という。
ロンドンの病院では医師や看護師不足で緊急治療は出来なくなった。ケガをしたので救急車に電話を入れたが、2日後に救急車がきたという。政府はテレビや新聞などを通じ、「ケガをしないように、危ないことはしないように」と国民にアピールしている。ケガをしても救急車はこないし、病院には医者はいないことが多いからだ。
医師や看護師は待遇の悪さにデモをし、辞めていく者も多いという。700万人の国民が病院の予約待ちだ、そして裁判所では65万件の訴訟が公判が始まるのを待っているという。昨年12月以来、バスの運転手、病院の看護師、学校の先生、公務員などのストがない日はない。物価の急騰、巨額の債務、デモの多発などが生じた1970年代の英国の悪夢を思い出す国民もいるという。
マーガレット・サッチャー時代(1979年~1990年)の厳格な民営化政策、そして2008~09年の金融危機もあって不動産の価格が急騰、家賃の高騰で国民は住居を探すのが困難だという。カビが生えたアパートに住んでいた家族の2歳の子供が亡くなったというニュースが流れたばかりだ。
リシ・スナク首相が国民経済の現状を知るために現地視察に出かけたが、首相の公務車が通過する道路は穴だらけということで、首相の車の通過数分前に、道路にアスファルトを入れて穴を埋めたという。都市の道路の整備は遅れ、道がデコボコだという。労働者不足もあるが、市当局のミス・マネージメントがあるからだ。
国民経済がどんなに厳しくても英国人はパブに通い、ビールなど飲みながら談笑するのが大好きだ。国民にとって日々のストレス解消の場所だったが、そのパブが昨年560カ所閉鎖に追い込まれ、数千のパブが今後同じ運命にあるという。英国人がパブに通えなくなりつつあるわけだ。ウォッカなしのロシア人を想像できないように、パブの灯が消えた英国の街は考えられない。その日が到来するかもしれないのだ。
英国は貧困国家ではない。国内に億万長者(ビリオネア)が177人存在する。一方、数百万人の貧困者がいる社会だ。例えば、スナク首相はビリオネアであり、夫人もお金持ちで有名だ。首都ロンドンの中心街を見ている限り、分からないが、上記で記述したような生活環境下の国民が増えてきているのだ。テレビや新聞では安く料理できるレシピが紹介されている。例えば、有名な料理人ジェイミー・オリバーの「ワン・ポンド・ワンダース」(One Pound Wonders)の料理番組が人気を呼んでいる。
世論調査Ipsosによると、コロナのパンデミック、ウクライナ戦争で欧州の多くの人々は「未来がなくなった」と感じ出しているといわれているが、「英国の国民ほど悲観的な思いに陥っている国はない」というのだ。
英国の現状を最も反映している都市はブラックプール(Black pool)といわれる。イングランド北西部、ランカシャー西部にある保養都市だったが、今は多くの店は閉鎖され、索漠とした都市となっている。ブラックプールは英国の没落のシンボルと受け取られている。シュピーゲル記者は、「貧しく、病気で、人生に疲れているならば、ブラックプールには来るな。誰も助けることができないからだ」という現地の声を紹介している。
政治的に大混乱をもたらしたブレグジット、そしてコロナのパンデミックを迎えた。その後、英国は政治的、経済的、社会的各分野でカオス状況に陥っている。一体、誰が英国をこのようにしたのか(「『不法移民法案』は英国の命運を左右?」2023年3月10日参考)。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。