坂から転がり出したボールは次第に勢いをつけ、何かにぶっつかるまで落ち続ける。オーストリアの野党第一党「社会民主党」(SPO)の現状を見ているとそんなシーンが思い浮かぶ。結論からいうと、3日、SPO特別党大会で実施された党首選で敗北した候補者を「技術的なミス」で新党首に選出したことが党大会2日後、明らかになったのだ。
説明する。社民党は党内の路線にめぐって指導部で対立が続いてきた。そこで再度党首選を実施することになった。そこで党員全ての投票で新党首を選ぶことになった。党首になりたい党員を募ったところ、73人の候補者が出てきた。大変だ。73人の候補者をどのように絞って、新党首を選ぶかで党幹部会は頭を悩ました。なんとか党員投票の用紙を作成して党員選挙を実施した。そして党員選挙の結果を尊重し、党大会で最終的に新党首を選ぶことになった(「社民党『党首選』に73人の党員が出馬」2023年3月29日参考)。
1カ月余り選挙期間があった後、1位にはブルゲンランド州のハンス・ペーター・ドスコツィル州知事、第2位はニューダーエステライヒ州トライスキルへェン市のアンドレアス・バブラー市長、そして現職党首のパメラ・レンディ=ヴァーグナー氏は第3位に甘んじてしまったのだ。現党首は党員選挙の結果に失望し、最終的に政治の世界から引退を表明した。
いよいよ、党員投票で1位のドスコツィル州知事と2位のバブラー市長の間で決戦投票が実施されることになった。各候補者は30分余り、608人の党代表たちの前で決意表明の演説をした。本命のドスコツィル州知事は声帯の手術をしたこともあって声が余り出ないが、懸命に党の刷新を訴えた。一方、マスクス主義者であると宣言し、欧州連合(EU)を批判していた数年前のビデオがメディアに流れて、党大会前までその説明に追われていたバブラー市長は社民党が忘れかけていた典型的な左派政策(富裕者税など)を主張。バブラー氏の演説が終わると感動して立ち上がって拍手する党員たちの姿がTVの実況中継で映し出された。
多くの党代表やTVで演説を聞いていた国民は本命の州知事の面白みのない演説には失望、ダークホースと見なされてきたバブラー市長の具体的で作戦的な政策の訴えに士気が上がっていた。SNSではバブラー市長が支持率で圧倒的にドスコツィル州知事を凌いでいるという声が多かった。
投票が実施された。その結果、ドスコツィル州知事が約53%でバブラー市長の約46・8%を破り勝利したのだ。本命候補者が選ばれたわけだ。多くの党員は少々驚いたが、投票結果は尊重しなければならないから、新党首となった州知事に拍手を送った。党大会は最後は社民党の党歌を歌い、政権奪回を誓って終わった。
ここまでは問題はなかった。新党首に選ばれたドスコツィル州知事は5日午後、新しい党幹部チーム編成など党人事に乗り出すためにブルゲンランド州からウィーンに上京することになっていた。多くのカメラマンや報道関係者が党本部前に待機して、新党首の到来を待っていた。
ところで、その日の早朝、党大会の党首選を担当する選挙委員会の代表は驚くべき情報を得ていたのだ。投票集計の際に技術的な間違いが生じ、投票結果はバブラー市長が第1位で、ドスコツィル州知事は敗北していたというのだ。
選挙委員会代表は関係者を呼び、投票を再度集計した。その結果、集計が入れ替わっていたことが判明したのだ。バブラー市長が52.66%の支持を獲得していたのだ。そこで5日午後2時、選挙委員会の代表は記者会見を開いて、党大会の投票結果を修正し、「投票結果を集計する際、コンピューターの作業で入力する関係者が間違った候補者に投票数を入れてしまった」と説明したのだ。すなわち、エクセル作業のミスというわけだ。選挙委員会の代表は「技術的なミス」を繰り返し、ミスした集計者名などには言及しなかった。
ちなみに、党首選の集計に初めて疑問を呈したのはオーストリア国営放送の著名なTVジャーナリスト、マーツィン・トュァ氏だ。曰く「601人が投票し、有効投票は596票、無効ないしは棄権は5票だった。そしてドスコツィル州知事316票、バブラー市長279票だったというが、両者の投票合わせても595票だ。あと1票はどこに行ったのか」という素朴な疑問だ。そのツイッターを読んだ選挙委員会代表が投票集計を担当した関係者に集計の再チェックを緊急要請したところ、1票の集計ミスどころではなかったことが明らかになったのだ。「技術的なミス」が発見されたのだ。もし、そのミスが発見されず、州知事が新党首として動きだしていたならば……、どうなっていただろうか。
5日午後、「48時間党首」に終わったドスコツィル州知事は自身の敗北を受け入れる一方、「今後は州知事としての歩みに全力を投入していく。連邦レベルの活動はこれで終わった」と表明した。一方、突然、党首になったバブラー市長は同日午後の記者会見で、「社民党は底まで落ちた様な状況で、ドスコツィル州知事ばかりか、全党員に謝罪しなければならない」と述べ、「新党首として歩みだす前に、党首選の結果を再度検証することを要求する。そして結果に間違いがないことが確認されれば、喜んで党首のポストを受け入れる」と述べ、記者たちの質疑応答には答えず、退席した。
社民党の党首選のゴタゴタを目撃していた他の政党関係者たちの中には、「600票余りの集計すら正確に出来ない政党に国の仕事を任せることができるか」といった皮肉交じりのコメントを発信していた人もいた。隣国ドイツの大衆紙ビルドは、「オーストリアでなければあり得ないような出来事だ」と早速報じていた。
オーストリアのメディア関係者は、「党大会の投票結果だけではなく、その前に実施された党員選挙の結果は正しかったのか、再検証する必要が出てきた」と主張する。さまざまな憶測情報が流れだしている。米大統領選時での選挙集計のドラマを思い出す国民も出てきた。オーストリア版「投票集計スキャンダル」というわけだ。
社民党はここ半年あまり、エネルギー価格の急騰や物価高で国民が苦しんでいる時、党内でゴタゴタを続け、野党第1党として責任ある政治活動に専念できない状況が続いてきた。党首選の集計ミスはその頂点だろう。メディア関係者は既に社民党の「スーパーガウ」(原発の大規模事故)と呼んでいる。オーストリアでは遅くとも来年秋に、早ければ今年秋には総選挙が実施されるが、社民党の壊滅的な選挙結果が予想され出した。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年6月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。