「社会資本主義」の基本構造
連載第1回で紹介したように、「脱成長」関連作品を始め様々な研究を融合させて、私は「資本主義終焉」後の経済社会システムを「社会資本主義」と命名した。
(前回:「社会資本主義」への途 ①:新しい資本主義のすがた)
留意点は、社会学にも浸透してきた「資本」概念の延伸を受け止めたところにある。その活用を第一義とした「社会資本主義」は、まずは選挙を正しく行う議会制民主主義とグローバル資本主義の骨格を持つ。そのうえで使用範囲を拡張した「資本」概念を取り込みつつ、生活インフラを第一義とする治山治水事業を最優先して、全国的に見て大都市から過疎地までを問わず社会全体で耐久力の限界がせまっている「社会的共通資本」の充足に、「資本」概念を連動させることをねらった。
災害対策にも配慮
これには地震や台風や集中豪雨などの災害対策の意義もある。同時に自治体の各種「社会的共通資本」利用を柱として、市民が持つ「社会関係資本」を豊かにすることを目指す。
この両者は、これまでの経済学系の資本主義論では傍流でしかなかったが、社会学の観点からすると、『社会資本主義』を支える極めて重要な概念であるために、ともに活用することにした。
「異次元の少子化対策」にも言及
同時に本書では、今後の「人口変容社会」の核を占める少子化の原因と対策について、独自の見解を明らかにした。
「少子化する高齢社会」に関する私の30年間の経験を活かして、「異次元」は「通常次元」の「少子化対策」の見直しから始まると判断して、「通常次元」の諸事業の点検から不要なアウトプットとしての「少子化対策事業」を外す。
なぜなら、少子化対策予算で不要な事業とは、かつて「割れ窓」と称した「タバコ対策促進事業」や「省庁施設のバリアフリー化の推進事業」などかなり多かったからである注1)。このような「人口変容」論も取り込まないと、「新しい資本主義」としての「社会資本主義」は実現しない注2)。
経済社会システムの「適応能力上昇」が根本
「社会資本主義」では、未来展望と生活安定を目指して、経済社会システムの「適応能力上昇」を維持して、世代間協力と社会移動が可能な「社会発展」(social development)を追求する。
ここで「成長」を避け「社会発展」を使ったのは、「成長」は社会システムの「水準上昇」のみを意味するからである。その点、「社会発展」は「水準上昇」に「構造変動」を結びつけた概念(富永、1986:293)なので、包括的な「成熟」までも理論に取り込める。
イノベーションは社会システム全域で発生する
もちろん「成熟」だけでは、「資本主義のエンジン」であるイノベーションは作動しない。イノベーションは経済活動、政治と政策、社会統合、価値と規範などいわゆるパーソンズのAGIL図式の分野すべてに関連するので、「脱成長」して「成熟」を維持するという論壇にあふれる戦略のみでは処方箋は有効ではない(金子、2023)。
しかし「成長」や「増大」とは異なり、「社会発展」は経済面の拡大だけというよりAGIL分野(経済、政治、社会統合、価値規範など)の質的充足も含む概念である。そのため、企業や官庁での分業による組織再編、政治的リーダーシップのP(実行力)とM(統率力)、国民の世代ごとに異なる文化資本の充実、バランスの取れた秩序と進歩の共存など、「社会発展」は多様な側面から構成される。
要するに、「社会資本主義」は持続的な「社会発展」を目指すという位置づけになる注3)。
キャピタルにはインタレストが付随する
確かに、キャピタル(元金)が生みだす利益を想定しつつ、自治体レベルでは「社会的共通資本」(social common capital)として「都市型社会の装置」あるいは「生活関連インフラストラクチャー」を表現することは、市民の一人としても「資本」概念の延長先にあるそれらの諸施設への親しみが持てて、魅力的でもある。
social common capitalに修正
ただし、宇沢がこの概念を使い始めてからの30年間は‘social overhead capital’が英語表現とされてきたが、2010年に宇沢を中心として刊行されたシリーズ(宇沢・鴨下編、2010)では、説明抜きに‘social common capital’とされ、それ以後は栁沼(2014:205)のようにこちらの訳語が踏襲されている点に注意しておきたい。
なお宇沢からの手紙を紹介した大塚(2015)によれば、2003年4月の手紙に「宇沢がSocial Overhead Capitalを最終的にSocial Common Capitalと直してい」(同上:210)たと書いている注4)。
宮本の社会資本論
ただ、並行して、宇沢よりも数年早くハーシュマンの「社会的間接資本」(social overhead capital)に着眼した宮本は、「社会資本」と短縮して、当初から「社会的一般労働手段」と「社会的共同消費手段」の両側面を意識して使っていた。
なぜなら、「社会的労働手段と社会的消費手段は、ともに資本制社会の再生産の一般的条件である」(宮本、1967:45)からであった。
都市問題論に応用
そして1960年代当時の住宅不足、交通マヒ、公害、清掃事業の停滞、青少年非行、伝染病の発生、スラム街の膨張に代表される「都市問題」を強く意識して、「資本制蓄積は、社会的共同消費手段を絶対的に相対的に節約する傾向がある」(同上:160)とした。
この指摘は典型的なマルクス経済学的な視点から行われているが、それから数年後の近代経済学に立つ宇沢はこのような論点を受け継がなかった。
官民による「社会的共同消費手段」への膨大な投資
「社会的共同消費手段」を表現するする「社会的間接資本」を取り込んだ両者のスタートから50年経過した現在では、「社会的共同消費手段」としての公共交通機関、実現性には疑問が残るが「脱炭素」や「再エネ」施設の大増設、地方創生とまちづくりなどには、民間資本だけでなく政府からも膨大な資金投入が続けられている。
利息としての利便性
しかし、「社会的共同消費手段」の名称としての「社会資本」(宮本)ないしは「社会的共通資本」(宇沢)では、キャピタルとしての「資本」が経済的豊かさだけを連想させるのではないところに積極的な意味がある。むしろコモン・キャピタルに伴う市民個人に還元されるインタレスト(利益や便益)の存在が大きい。
二人が事例として掲げる公園、道路、都市型社会施設など生活インフラに絞っても、その利用に当たっては無料がほとんどである。電力、私鉄、地下鉄などの公共交通、上下水道、義務教育、医療機関などは有料ではあるが、国家の規制が強く、今日までそれぞれの制度の恩恵として低額の使用料金を払うだけであり続けてきた。
もっとも政府や自治体にとっては、毎年の管理運営補修などの費用はかなりな額に達するが、ほぼすべてが税金の投入によって賄われてきた。
「社会的労働手段」と「社会的消費手段」を区別できない時代
経済過程を「生産・流通・販売・消費」の総過程とみれば、これらと「社会的共同消費手段」と「社会関係資本」や「人間文化資本」は縦横に結びついている。
50年後の今日では、宮本のような「社会的労働手段と社会的消費手段」を区分するのではなく、合わせて使うことが多い。たとえば、配送作業では道路は「労働手段」ではあるが、同じ道路を使って買い物をすれば「消費手段」にもなるのだから。
「パブリック」とは公益の保障
セネットは公的な領域の変化を歴史的素材に求めながら、「パブリック」を社会的な公益と見て、「『パブリック』とは誰が詮索してもよいということであり、『プライヴェイト』とは家族あるいは友人に限定された、生活の保護された領域のことを意味した」(セネット、1977=1991:33)と整理した。
さらにパブリックを、「家族と親しい友人たちの生活の外側で過ごされる生活を意味する」(同上:35)とまとめた。家族の外側で家族生活を支え、「公益」を保障する具体的な装置もしくは施設とは何か。都市経済学の分野ではそれを総称して‘public goods’(公共財)と規定する注5)。
これは市場では供給されないから、「公」としての国や自治体が供給にも管理運営維持にも最大限の責任を果たす義務をもつ。いわば市民すべてが作り上げた都市型社会の「共同生活」を支えるために、「公」的アソシエーションとしての国家や自治体が生産・維持・管理する財のすべてが公共財である。
宇沢の「社会的共通資本」研究は二酸化炭素地球温暖化論を取り込めたか
ただし、二酸化炭素地球温暖化論を取り込んだ経済学の一部には、学問的にも現状分析面でも貴重な役割を果たしてきた社会的共通資本論をめぐっては、大きな欠陥が目立つようになった。
公共財としてもすでに触れたように一般に社会的共通資本とは、道路、港湾、鉄道、水、電力、ガス、通信、学校、病院などのインフラストラクチャーを指している(宇沢、1995:137)。
40年にわたる「社会的共通資本」研究における宇沢の功績は周知の事実であるが、同時に手掛けていた地球温暖化論や災害復旧論などでは、「炭素税」には触れつつも、総体として化石燃料の大量消費にともなう二酸化炭素の膨大な排出を前提として、「社会的共通資本」が建設され維持・管理されるという認識を晩年まで宇沢がどこまで持っていたかどうか不明である(宇沢、2000)。
「社会的共通資本」の建設、維持、改修には膨大な二酸化炭素が排出される
とりわけ「社会的共通資本は、土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境だけでなく、道路、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、金融、司法、行政などいわゆる制度資本をも含む」(同上:22)という後期の定義には疑問が残る。
なぜなら、道路や上下水道に象徴される社会的インフラストラクチャーの建造、補修、維持、管理には膨大な二酸化炭素が排出される日常があるからである。
さらに、土地、土壌、森林、海洋など自然環境という社会的共通資本の保全業務でも、二酸化炭素は排出され続ける。しかもその管理業務の主体が制度資本である行政なのである。
道路自体が「化石燃料の大量消費」物
しかし国土交通省のホームページに掲載された「道路投資等の推移」によれば、2000年当時では実に12兆7686億円が総道路投資額であった注6)。
社会的共通資本の筆頭である道路の建設は鉄もコンクリートもコールタールも含むから、道路自体がいわば「化石燃料の大量消費」物であり、膨大な二酸化炭素の発生を自明とする。
この逆説的な理論への配慮が、「社会的共通資本」と二酸化炭素による地球温暖化論を同時進行させた晩年の20年間の宇沢にどこまであったのだろうか。
公共財では完全な市場原理は成立しない
たとえば限りなく自由競争といいながら、民間企業が提供する鉄道は公共財だから、その運賃も営業時間も運行本数も路線延長すらも国土交通省の許可や認可が必要になる注7)。その意味で、公共財では完全な市場原理は成立しない。
航空路線や航空運賃やケータイ電話事業でも自由競争に見えるが、そうではない。たとえば空港利用の頻度や空港付近住民の騒音苦情への対応、それに管制塔による安全性の徹底などの問題は、民間企業単独では適正な対処が難しく、「公」としての国家の出番が増える。
すなわち「社会的共通資本」は、居住者はもとより、移動者としての外国人も含めたすべての人が無償か低額で利用できる。この受益性が「資本」のもつ「利息」と同一化される。費用がかさむその建設、維持、管理の主体は国または自治体が多く、電気、ガス、水道、鉄道、バスのように、民間企業が経営管理していても公共性が強いから、国や自治体の強力な指導や援助がなされることになる。
都市型社会という問いかけ
都市社会の研究史から見ると、コミュニティ概念が一番使われるのは空間的範域をもつ集落を対象とする研究である(金子、2011)。
なぜなら、集落とは人間が居住する地域社会であり、そこには居住地を基盤とする個人や家族や企業による生産活動と市民の生活行動などがすべて集積するからである。都市型社会は「ひと」が集まり、「しごと」や「あそび」や「まなび」を軸として暮らす集落である注8)。
集落は、物財としてのハード面と人間活動や人間関係としてのソフト面の両方により構成される。その理解を前提として、まず集落での人間の活動を支えるハード面のインフラ整備として、「社会的共通資本」の補修、改良、新設、増設の事業を考えてみよう。
都市計画という問いかけ
ハード面での都市計画とは、将来的な物財面での達成目標が掲げられ、予算や社会資源を組みこんだ広範囲な社会設計を指す。
都市計画は、居住地の生活水準を向上させるために都市型社会の装置である「社会的共通資本」の充足を目的として、管理主体としての国や自治体が予算を付けて描いた青写真である。たとえば、人口1万人当たりの「都市公園」面積や「下水道普及率」の現状値を踏まえ、5年後や10年後の面積拡充が目指される。
だから「社会的共通資本」は公共性の塊でもあるが、それは市民が居住空間や生産空間で自由自在に活用することが期待される都市装置でもある。市民は「社会的共通資本」を利用しながら、生産現場でも生活環境でも人間のつながりとして保有する「社会関係資本」を活かして暮らしている。
ただし、「社会関係資本」は必ずしも公共性原理を土台にした「共同化」だけを内包するわけではなく、人との社会関係なのだから、日常的にはむしろ私性に立脚した「私化」を示すことが多い。比較論的にまとめると、以下のようになる注9)。
全体化する公共性
① 公共性・・・「社会的共通資本」の恒常的現状維持と建設
電力、ガス、上下水道、公園、道路、鉄道、空港、河川、堤防、海洋、義務教育、国防、治安など市民や法人を含む社会全体の欲求・ニーズを満たす財とサービスを指す。市場では供給されないから、「公」としての国や自治体が供給にも管理運営維持にも最大限の責任を果たす義務をもつ。
いわば都市型社会としての「共同生活」を支えるために、「公」的アソシエーションとしての国家や自治体が生産・維持・管理する財のすべてであり、ハード面の「社会的共通資本」にソフト面の「社会関係資本」が加わるという関連が強い。
私化する私性
② 私化する私性…「社会関係資本」の現状と機能
小家族化が進む都市型社会での相互の利益のため、ともすれば失いがちな社会関係面の連携や協力を容易にする規範を共有して、信頼できる社会的ネットワークを指す。
ネットワークには仕事、職場、学校同窓、出身地、居住地などが媒介となる場合が多い。この信頼感は、交換、相互性、集合的行動意識などを促進し、過去の共同の成功は集合的行動意識を強化し、さらなる協働への意欲を発達させる。
人を取り巻く五縁
一方で、「ひと」は血縁、住縁(地縁)、職縁、学縁、関心縁など五縁を通して、居住地を軸に多種多様な社会関係を作り上げ、生産や消費の活動を行う注10)。
このうちの四つの「縁」は元来高齢者の分析図式として開発された。そのため、図1では「学校」が省略されているので、「学縁」は登場しない。しかし、若者の大半は「学縁」にも属しているから、図1に入れれば「職域」の前になる。
すなわち人間は五縁と五領域を基本とする生き物でもあり、そこでは種々の理由で「社会関係資本」が構築される。
「学縁」を含むこれらの五縁に属す関係も、「社会関係資本」として都市計画のソフト面の対象になる。居住地の人々の地域関係が弱く、活動が停滞していれば、自治体がコミュニティセンターのような集会施設を造り、参集する市民間の社会関係や活動を増やすそうとする。
「社会資本主義」では健康、経済、役割、生きがいなど「生活の質」の向上を念頭にして、「社会的共通資本」と「社会関係資本」の融合を政策的にも重視する。
インプットとアウトプット
いわゆるインプット面を操作することにより、都市型社会でのアウトプット面が期待される。そこでは、議会で都市計画予算が審議・承認され、その施設を経由した地域社会での「社会関係資本」の創出が期待される。
時間はかかるが、このような方式によって、犯罪防止や災害時の協力にも直結する近隣レベルでの市民間の相互的信頼の強化が求められ、空間的に広がった領域における相互性や互恵性の充実も目標になる。
具体的には、人口10万人当たりの「公民館数」や100万人当たりの「青少年施設数」の現状値の先にアウトプットの目標値を設定して、その達成を目指し、その活用による「社会関係資本」の蓄積が期待される。市民による施設の利用回数、市民間での日常的な交流頻度、調査票でもインフォーマル関係やフォーマル関係の質と量が測定される。
インフォーマル関係
「社会関係資本」を構成する人間関係はまた、標準的にはインフォーマル関係とフォーマル関係という代表的な2類型としても整理できる(表1)。
インフォーマル関係は規則に縛られず、非公式のかかわりであり、儀式的でもない関係を意味しており、家族と親族を除けば、近隣、仲間、友人、同僚などが該当する。
フォーマル関係
フォーマル関係は集合体への入会・退会や関係の維持のための規則があり、入学式や入社式などの儀式的な側面をもち、伝統性や公式性に富む。
それらは部分的ながらも規則的な接触を行う日常関係であり、会社の職場や学校のクラスなどでの関係を代表とする。ともに連帯性や凝集性の程度を判断できるし、結合に特化するとして一括できる場合もあり、分離や対立もありえる。
同時に、いかなる人間関係でも結合や分離だけではなく、支配と服従もまたそこに読み取ることができる。だから、人間関係すべてが「社会関係資本」になるのではなく、二人の間の豊かな信頼感がその根底にある。
加えて、都市型社会には、過疎地の限界集落から巨大な政令指定都市までの幅があるから、最小限「過疎地集落」と「大都市型社会」の区別をしたうえで、「社会的共通資本」と「社会関係資本」の計画を考えたほうがより現実的である。
過疎地集落の特徴
特に過疎地域や限界集落一歩直前の地域社会では、「社会的共通資本」の確保を始めとして以下の都市型社会機能要件への配慮が望まれる(金子、2016:3)。
すなわち、都市型社会を支える要件として、
- 街並みの維持:商店街、金融機関、ガソリンスタンド
- 社会的共通資本の確保:道路、交通、公園、義務教育学校、内科小児科診療所、郵便局、交番、ガソリンスタンド
- 親交と経験の交流:居住者による年中行事、行政伝達
- 自治と運動の基盤:居住者による奉仕活動参加、有限責任型運動
- 生活協力と共同防衛:居住者による防犯、防火、防災
などがあるために、全体としての社会システム論的な総合的考察が望まれる。
大都市から過疎地域まで「社会的共通資本」を確保・維持する
大都市から過疎地域まで、とりわけ街並みの維持と「社会的共通資本」の確保は特に重要である。
全国的にみると、過疎地域や地方小都市の商店街はすでにシャッター通りに変貌して、金融機関が去り、内科小児科外科などの開業医院が閉鎖され始めている。さらに地域路線バスなど公共交通機関が廃止され、小学校が統廃合され、交番もこれに続き、ガソリンスタンドが撤退して、最終的に集落には郵便局が残る。
しかし、小泉内閣時代の郵政民営化によって廃止された郵便局は、日本郵便株式会社になっても復活が容易ではない。同時に、過疎地全域で行われていた「ひまわりサービス」なども停止したままである(金子、2006)。
人口減少が続く今日の過疎地集落は、① 単身高齢者の増加、② 商店街の空洞化、③ 産み育てる医療の消滅と高齢者を支える地域医療の崩壊、④ バス路線など公共交通機能の縮小、⑤ 小・中学校の統廃合、⑥ 交番の廃止、⑦ 郵便局の廃止、⑧ エネルギー供給源のガソリンスタンドの廃止などで特徴づけられる。
過疎地域では、社会的共通資本の維持を行政が心がけていかないと、限界集落になった際にはそこでの暮らしが成り立たなくなる注11)。
大都市型社会の特徴
東京への一極集中や福岡市のように人口増加する大都市もあるが、ほとんどの大都市でも中小都市でも人口減少に直面している。
そこでは、① 粉末化した個人の集合、② 中心部における高齢単身者の増加、③ 若年単身者の脱地域性、④ 町内会加入率の減少、⑤ 生活協力や共同防衛機能の劣化、⑥ 地域支えあい機能の弱化、⑦ 居住環境水準の質(アメニティ)の低下などが顕著である。ここでの都市計画でも、粉末化した市民の「社会関係資本」を増やして、いかに社会統合するかに目標が置かれる。
さらに都市型社会は多機能の集合体であるから、その社会機能を経済面(生産一分配一消費)、教育面(社会化)、政治行政面(社会統制)、自治面(社会参加)、福祉面(相互援助)に分けて、それぞれの強化を図る計画も社会システム論的には可能である。たとえば地方創生では経済機能を軸とするが、児童虐待防止では子どもの社会化や子育て面での相互援助に力点が置かれることになり、ハード面もソフト面も同時に含む注12)。
都市計画の「3Eと1S」
どのような都市計画であっても、特定の判断基準により、現状から見て望ましいと判断される未来を目指す。
判断基準にふさわしいとされてきた共通理念の一つに「持続可能性」(sustainability)がある。これはさらに4指標に分類され、3Eと1Sに分けられる。
3Eとは「環境」(environment)、「経済」(economy)、「公平性」(equity)であり、1Sは「精神」(spirituality)とされる(Wheeler,2013:34)。
「環境」と「経済」
「環境」とは、生態的危機の脅威にさらされないように、人間活動を制御する生態中心的態度(eco-centric attitudes)を特徴とする。これに対して「経済」は、金銭的価値と効率性を強調して、環境破壊さえも内包する市場的メカニズムの探求に努める。多くの場合、諸事情でこの環境志向と経済志向との合意が困難なことが発生する。
「公平性」では、開発に伴う機会の不平等性、分配の不公平性、市民による過剰消費などに焦点が置かれる。計画の目的が、都市全体の底上げか、特定対象の改善か、現状の劣化防止かなどに応じて、「公平性」の視点は上下左右に揺れ動きやすい。「精神」は、サステナビリティの前提条件として、「価値の変容と精神面でのニーズ充足が強調」されるが、これもまた当初の目的の影響を受ける。
ただし、都市計画の汎用性を高めるためにも、ハード面の「社会的共通資本」とソフト面の「社会関係資本」を使いたい。両者の指標として、過疎地域でも大都市でも、サステナビリティに伴う判断基準を代表する3E(環境重視、経済性強調、公平性原則)を測定することになる。
社会資本主義の「計画」重視
計画とは、未来に向けて理念を構想し、目標を定め、投入できる社会資源を選択し、事業を実行する主体について詳細なところまで事前に決定し、それを達成する一連の過程である(金子、2017:24)。
ここでいう未来とは1年後、10年後、30年後を問わない。実行する主体に特定の目標を達成しようという意図があれば、そこには個人レベルでも社会レベルでもそれを方向づける価値軸が必ず存在する。
「資本」概念の延伸化を社会学で受け止める時代
価値には特定の主義(イデオロギー)や信念や思想や理想として一括できる内容、さらには望ましさ、快適性、有用性、有効性など操作可能な諸概念が含まれ、テーマに応じてこれらが判断基準に使われる。
たとえば社会関係資本では「相互性」や「互恵性」が判断基準として機能し、「社会的共通資本」になると「利便性」や「快適性」が用いられる。
いずれにしても、「資本」概念の延伸化を社会学で受け止める時代の表現として、「社会資本主義」を使ってみたい。
(次回につづく)
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注1)他には「農山漁村振興交付金」や「シルバー人材センター事業」などがある。詳しくは各年度の『少子化社会対策白書』や金子(2023)を参照してほしい。
注2)本書は三部構成で、第Ⅰ部が社会資本主義、第Ⅱ部が人口変容、第Ⅲ部が脱炭素をテーマにしていて、題名は『社会資本主義』であるが、実際にはこの3論点の融合を試みたものである。
注3)社会システムの「水準上昇」(成長)が優位な時期と「構造変動」(発展)が目立つ時期とが交互に到来すると想定しておきたい。
注4)ただし、宇沢のフランス語訳では‘capital collectif social’とされている(宇沢、1989:253;2000:238)。そうすると「社会的共同(共通)資本」すなわち「集合財」の意味になってくる。
注5)ここでは、公共財、集合財、社会的共通資本は互換性に富むと理解する。
注6)ちなみに同じホームページでは、2019年の道路投資額は6兆8196億円であった。
注7)路線バスの停留所の変更すら国土交通大臣の許可が要る。
注8)いわゆる地方創生も、まち、ひと、しごとの三位一体として論じられてきた。
注9)「全体化する公共性」と「私化する私性」は、鈴木広の分類を借用した(鈴木、1986:542-547)。
注10)この5つの「縁」は金子(1993:41-42)から使ってきた。
注11)これらの諸施設は、過疎化が進むコミュニティの生活要件として、北海道後志地方における数回の地域調査の経験を基にして抽出したものである。なお、政府の「新しい資本主義」にはこのような論点はないが、「社会資本主義」では「人口変容」への対応が重要なために、「地方創生」はその一翼を担う。
注12)コミュニティの機能については金子(2011)を参照。
【参照文献】
- 金子勇,1993,『都市高齢社会と地域福祉』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2006,『少子化する高齢社会』日本放送出版協会.
- 金子勇,2011,『コミュニティの創造的探求』新曜社.
- 金子勇,2013,『「時代診断」の社会学』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2016,『「地方創生と消滅」の社会学』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2017,「計画原理としての持続可能性とユニバーサル基準」金子勇編『計画化と公共性』ミネルヴァ書房:1-28.
- 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房.
- 宮本憲一,1967,『社会資本論』有斐閣.
- 大塚信一,2015,『宇沢弘文のメッセージ』集英社.
- Sennett,R,1977,The Fail of Public Man, Cambridge University Press(=1991 北山勝彦・高階悟訳『公共性の喪失』晶文社).
- 鈴木広,1986,『都市化の研究』恒星社厚生閣.
- 富永健一,1986,『社会学原理』岩波書店.
- 宇沢弘文,1973,「都市装置の理論」伊東光晴ほか編『現代都市政策Ⅷ 都市の装置』岩波書店:51-70.
- 宇沢弘文,1977,『近代経済学の再検討』岩波書店.
- 宇沢弘文,1989,『経済学の考え方』岩波書店.
- 宇沢弘文,1995,『地球温暖化を考える』岩波書店.
- 宇沢弘文,2000,『社会的共通資本』岩波書店.
- 宇沢弘文,2002,「地球温暖化と倫理」佐々木毅・金泰昌編『公共哲学9 地球環境と公共性』東京大学出版会:33-46.
- 宇沢弘文,2008,「地球温暖化と持続可能な経済発展」『環境経済・政策研究』Vol.1,No.1岩波書店:3-14.
- 宇沢弘文・鴨下重彦編,2010,『社会的共通資本としての医療』東京大学出版会.
- Wheeler,S.M.,2013,Planning for Sustainability(2nd)-Creating ,livable, equitable, and ecological communities, Routledge.
- 栁沼壽,2014,「地球環境問題と自省的組織の役割」間宮陽介ほか編『社会的共通資本と持続的発展』東京大学出版会:203-234.
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