欧米メディアはロシア民間軍事組織「ワグネル」の指導者、エフゲニー・プリゴジン氏の行方を捜している。モスクワに進軍中のワグネルに突然、撤退命令を出し、プリゴジン氏自身はプーチン大統領とベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介で交渉し、国家反乱罪を問わないとの確約を受けると共に、ベラルーシへの亡命を勝ち取り、ロストフナドヌーに戻り、同市民の一部の歓迎を受けたまでは報じられてきたが、その後の便りがないのだ。
ロシアで反体制派政治家、活動家の運命ははっきりとしている。①情報機関の工作員による暗殺、②自宅監禁による監視、③別件で政治収容所送り、ぐらいの選択肢しかない。ロシア軍指導部を批判し、今回はこれまで支援してくれたプーチン大統領のウクライナ戦争も「正当な理由のない戦争」とこき下ろしたのだから、プリゴジン氏のその後はどうみてもベラルーシで悠々自適な亡命生活を送ることは期待できないだろう。プリゴジン氏自身もそれを知っているはずだ。
プリゴジン氏の行方を追う前に、どうしてモスクワ進軍を突然停止し、撤退したかをもう一度考えたい。最も考えられるシナリオは以下の通りだろう。
ワグネル軍がモスクワに向かっていた時、プリゴジン氏に電話が入った。相手は「軍の支援が十分得られないから、今回は撤退しろ」というのだ。計画では、モスクワ進軍中にロシア正規軍からワグネルに合流する兵士や軍指導者が出てきて、ワイグル軍とロシア正規軍の一部が合流した部隊を背景にプリゴジン氏がモスクワ入りするというものだった。しかし、肝心のロシア軍からの合流が予想外に少ない。これではクレムリンに圧力をかけ、城の明け渡しを要求できないという判断だ(「ワグネル傭兵隊とロシア軍の関係」2023年1月19日参考)。
冒険好きで無鉄砲なプリゴジン氏もこれでは勝算はないと判断し、プーチン氏とディールしたわけだ。もちろん、プーチン大統領が処罰をしないと約束したとしてもプリゴジン氏はそんな口約束など信じないから、クレムリンの刺客が来る前に姿を隠す必要があった。
もう一つのシナリオは、プーチン氏から電話が入った。「許すから反乱は即中止しろ」という。それだけではない。プリゴジン氏の家族が拘束、ないしは監視下に置かれている。プリゴジン氏が反乱を止めないならば、処罰するという強迫だ。家族思いで知られるプリゴジン氏はプーチン大統領がそこまでやるとは考えていなかったので驚くと共に、もはや撤退する以外の選択肢がないと悟った。
ロストフナドヌーに戻ったプリゴジン氏は車窓から中途半端な笑顔を見せて市民の歓迎を受けていたが、その時、勝利者の将軍ではなく、敗者の将軍だったのだろう。プーチン氏から国家の裏切り者と罵倒された時、「私こそ愛国者だ」と強く反発した時のような気力はプリゴジン氏には消え失せていた。
“腐敗と汚職に汚れている”とクレムリンを罵倒したプリゴジン氏は、その汚れた世界を巧みに泳ぎ、プーチン氏の料理人とまで言われ、そこで稼いだ資金とプーチン氏からの支援金を受け、民間軍事組織を創設し、世界各地でロシア軍の正規軍が出来ない蛮行を繰り返してきた。そのワグネルの指導者にはもはや数日前の自信に満ちた表情はない。プーチン氏から派遣された刺客の足音に怯えながら、逃げ回る以外の他の選択肢がなくなったのではないか。
それでは、プリゴジン氏とのディールで勝利したプーチン大統領の「その後」はどうか。考えられるシナリオは、①ロシア正規軍幹部内でプリゴジン氏を支援した幹部を探しだし、粛清する一方、軍を抜本的に刷新する。②プリゴジン氏の反乱を許したことで、これまで君臨してきたプーチン氏の強い指導者というイメージが崩れてしまった。そこでイメージ修正のために早急に強い指導力を発揮しなければならなくなった。具体的には、人事、ウクライナ戦争では強硬に出てくることが予想される。プーチン大統領は2月28日、モスクワで開かれたロシア連邦保安局(FSB)幹部会拡大会議で、「ロシアの社会を分裂、破壊しようとする違法行為を摘発すべきだ」と訓示し、国内の諜報機関FSBに対し、西側のスパイ活動への対策強化を求めた。プリゴジン反乱後はこれまで以上に監視体制を強化するはずだ。
ウクライナのゼレンスキー大統領はプリゴジン氏の反乱を「ロシア指導部内の不統一」と指摘し、プーチン大統領の支配体制にほころびが出てきていると分析、ウクライナ軍の反転攻勢のチャンスと受け取っている。その見方は間違いではないが、プーチン大統領はプリゴジン氏の反乱後はこれまで以上にウクライナ攻勢を強めるだろう。ロシア軍が窮地に陥るならば、最後の手段として大量破壊兵器(核兵器)の使用も辞さなくなるはずだ。欧米諸国のウクライナ同盟国にとって、プリゴジン反乱後のロシアはその前より危険だ。
「プリゴジン反乱」は、ウクライナ戦争がロシアにとってもはや「特別軍事作戦」ではなく、紛れもなく「戦争」であり、戦場がウクライナ領土からロシア国内にまで広がる危険性が高まってきたことをロシア国民に告げる出来事となった。それゆえに、プリゴジン反乱後はその前とは明らかに異なってくるわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年6月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。