ひたすらゼロリスクの日本人
西大西洋で沈没したタイタニック号の見学ツアーに向った米オーシャン・ゲート社の潜水艇「タイタン」が深海で水圧につぶされ、5人全員が死亡しました。米当局が「水圧で破壊。主要部分の破片を発見」と発表すると、「なぜ大金をはたいて、危険なツアーに参加するのだろう」と、多くの日本人は息をのんだことでしょう。
このツアーには、潜水艇の運営会社のCEO、英航空業の大物で冒険家の経営者、パキスタンの実業家親子(英国在住)、タイタニック号探査の専門家が参加していたと言います。これまでの成功で巨額の富か資産を築いた人たちです。
知人の会社経営者と話題にしたところ、「安全が保てるかどうか分からないこのような深海ツアーには絶対に参加しない。大きなリスクがあり、一瞬にしてこれまでの蓄積を失うかもしれない。私ならそんな冒険はしない」といいます。これが通常の日本人の感覚です。
タイタニック号が氷山に衝突し、沈没した事故(1912年)は、欧米人にとって、壮大な悲劇の物語ですから、日本人とは比べものにならないドラマ性を感じるのでしょう。ですから多くの日本人にとって「そんなリスクは避けて当然」が普通なのかもしれません。
そこまでは常識的な解説です。私には、そこにとどまっていたら面白くもない。巨大リスクに対する感度の違いが欧米人と日本人の間にあると思えるのです。「巨大なリスクであっても挑戦する精神構造」と「危ない橋は渡らないでおこうとする精神構造」の違いです。
ハイリスクの欧米人、ゼロリスクの日本人という対比です。世界で唯一、ゼロ金利政策を続け、金利がただですから、利益率がゼロでも企業はつぶれない。異次元緩和で株価は上がり、政権も安心至極です。経営者もゼロ金利に安住し、リスクを取ろうとしない。ゼロリスクを象徴する話です。政府、日銀はそれによるリスクに気が付かない。
話は飛びます。タイタニック号関連の報道が盛り上がっていたころ、世界の社会、経済、政治、科学などを革命的に変えるかもしれない「ChatGPT」(生成AI・人工知能)で開発者、アルトマンCEO(米オープンAI)の記事が目につきました。「次の技術革新に布石を打っている」(日経新聞、6月27日)というのです。
AIを駆使して「認証、健康、核融合」に取り組む。この3分野のうち認証、健康まではともかく、核融合について「太陽内部で起きる反応を人工的に再現する核融合発電を28年に始める」というから、度肝を抜かれました。核エネルギーの本家は核融合反応を続けている太陽です。成功したら人類の歴史が塗り替えられます。
日本は福島原発の事故以来、原子力発電への意欲を失し、意気消沈しています。その一方で、ChatGPTのアルトマン氏が次は核融合発電の開発に取り組むというのですから、そのチャレンジ精神、巨大な経営リスクを恐れない精神構造に感嘆してしまいます。
タイタニック号関連の事故に対し、「タイタニック号の亡霊。リスクを考えると、あまりにもはかない終わり方だった」という解説を目にしました。乗船してお亡くなりになった事業創業者(オーシャン・ゲート社)の自己過信の問題は問われることになろう。それにしても、潜水ツアーのリスクはあまりにもはかない終わり方だった」と。
異論はないにしても、それだけのことなのかなあ、というのが私の感想です。新聞社説でも「潜水艇の事故/無責任なツアーが惨事を招いた」(読売新聞、6月29日)という平凡な批判論を主張しています。
「富裕層や冒険家の間でも、危険を冒してでも間近でタイタニック号をみたいという。強い水圧がかかる深海への潜航だから強度試験をきちんとやるべきだった。こうした特殊なツアーについては、規制強化が必要になる」と。この社説にも異論はありません。そこから先に何を感じ取るのかです。
「はかない終わり方」、「無責任なツアー」、「規制強化を」など、そこで終わっていたら、通常の大事故に対する指摘と変わりがありません。
世界を変えるかもしれない新たな旗手はアルトマン氏ばかりでなく、イーロン・マスク氏(南ア出身)も驚くべき経営者です。電気自動車(テスラ)、宇宙開発(スペースX)、太陽光発電、ChatGPT支援など、壮大な構想をもって、次世代に向っています。
日本の経営者とは比較にならないスケールで構想し、大きなリスクを負うこともいとわない中核的な人材がごろごろしている。そういう精神構造、社会構造が生んだ失敗策が今回のタイタニック号を目指した潜水艇の悲劇ということになるのでしょう。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年7月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。