22年目となる9.11に思う

2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロから22年。当時現場の一つだったペンタゴン横のペンタゴンシティに住んでいた自分にとっても、忘れられない衝撃的な記憶です。改めて犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたします。

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当時籍を置いていたジョージタウン大学でテロの後しばらくしてから出席した、卒業生のクリントン前大統領(当時)のスピーチ。詳細な記憶は薄れつつありますが、その時の「我々は9月10日を忘れるべきではない」との趣旨の言葉に強い印象を受けたことも覚えています。

アメリカ本土が狙われ約3000人の何の罪もない方々の生命を一瞬にして奪ったテロの衝撃がアメリカ社会において極めて強烈で、その後の愛国的な動きやアフガン攻撃など、様々な意味でその後のアメリカの政治も社会も政策も9.11テロのショックの影響を長く受けていた気がします。

しかし、経済をはじめとしたグローバル化、共有の価値といったものは、それ以前もそれ以降も底流として流れ続けていたわけですし、また、当時の国際政治的な意味合いで言えば、9月10日に外交関係者の間で認識されていたのは海南島での中国軍機によるアメリカの電子偵察機との衝突、いわゆる海南島事件以降の米中の緊張の高まりと米国や自由主義社会への最大の脅威は中国との認識だったという状況も記憶しておくことが必要です。

その後、テロリズムなどの、国家を基本とした伝統的脅威でない非伝統的な脅威が安全保障の大きな柱となり、むしろ国家以上の大きな脅威と認識されるようになったのが当時の状況でした。翌年の一般教書演説で当時のブッシュ大統領は「悪の枢軸」として北朝鮮、イラン、イラクを名指ししましたが、非イスラム国の北朝鮮については、実際のところでは核関連技術や大量破壊兵器も含めてテロリスト等の第三者への移転の方が最大の脅威とされ、北朝鮮への臨検においても、日本以外の国の認識としては、北朝鮮に向かう船舶よりも北朝鮮から出向する船舶がターゲットの中心となっていたことも記憶に残るところです。

しかしながら、現実の世界では、起こり続けるテロに加えて、伝統的な脅威とされる国家が世界の平和秩序の最大の脅威であり続けたことは、今から振り返れば明らかです。決して脅威の転換が起こったわけではなかった。軍事的な挑発行動を続け、ウクライナを侵略し、自由な台湾に対し侵略を行うことを公言するなど、自由に平和に暮らす人々の生命の安全を今もなお脅かしているのは、テロリストだけではなく、やはり北朝鮮、ロシア、中国といった国家。まさに2001年9月10日に我々が認識していたその底流は依然として変わっていません。

9.11テロから22年の日を迎え、改めて平和を、国民の安全を守ることの重要性と、その具体的施策の実行の重要性を認識し、引き続き全力で取り組む必要性を改めて肝に銘じて、政治家としての職責を果たしていきたいと思います。


編集部より:この記事は、衆議院議員の鈴木馨祐氏(神奈川7区、自由民主党)のブログ2023年9月12日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「政治家  鈴木けいすけの国政日々雑感」をご覧ください。