長州を馬鹿にした『日本国紀』に山口県民は怒るべきだ

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百田尚樹氏は安倍氏元首相の精神を継承しているようなことをいうが、「日本国紀」(初版)を読むと徹底した長州嫌いであることがわかる。

このうち、幕末から大正のあたりまでを読んで考えた。百田氏はどうも長州とは肌合いがあわないのでないかと。安倍首相にも近いと言われるのに不思議なのだが、普通のリベラルな歴史書に比べても長州への前向きの評価が無いのみならず、重要人物についても言及すらしていない。

まず、古代史などでも偶然というには不思議なほど出てこないし、室町・戦国時代の大内氏はまったくその名さえ登場せず、毛利氏もほとんど書いてないに等しい。

薩摩や佐賀などが幕末にどうして勃興してきたかは詳しく紹介されるが、長州は突然に登場するだけだ。

吉田松陰は1行だけだし、尊王攘夷思想もあたかも無謀な保守反動思想のように扱われ、その元祖である村田清風、吉田松陰、高杉晋作らの目がしっかり世界に向けられていたことなど無視だ。

征長戦争の勝利も坂本龍馬と薩摩が武器を横流ししてくれたからといわんばかりの扱いで、防長の四民がこぞって戦った結果などということは無視している。

伊藤博文の名は韓国統監としてしか登場せず、山県有朋は汚職事件のみ。桂太郎は鉄道王ハリマンとの交渉についてしか出てこない。彼らが憲政を生みだしたこと、陸軍を築き上げたこと、地方制度を確立したこと、日清・日露戦争の勝利に彼らが尽くした功績はすべて無視されている。乃木希典や児玉源太郎も全く触れられていない。

岸信介はさすがに東条内閣崩壊のほか安保改定で少しだけ登場するが、特段にその意義は語られていない。そして、佐藤栄作は沖縄返還でもまったく登場しない。

薩摩は島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通、東郷元帥などしっかり語られているのと比べると大違いだ。佐賀にも好意的だが、土佐も長州ほど軽んじられていないが、吉田茂は南原総長を「曲学阿世の徒」と呼んだことだけが書かれている。

明治維新をどう評価しているかもよく分からない。小栗忠順など幕臣たちを非常に持ち上げているので、読んでいるとどうして幕府がダメだったのかさっぱり分からなくなる。

会津については、えらく贔屓で、松平容保をベタ誉めで、長州が悪いといわんばかりだし、戊辰戦争の官軍も正義なしと仰る。だいたい松平容保は藩内からも非難囂々だったのだし、戊辰戦争は仙台藩と米沢藩が仲介して出した常識的な処分案を会津が蹴ったのが原因だと思う。また、靖国神社に賊軍戦死者をまつれと仰るのも腑に落ちない。

明治政府の仕事の中では、維新の直後から小学校を津々浦々に設立して四民平等の近代教育を樹立したという最大級の功績を無視。明治憲法についても、その内容の先進性について、百田さんの思想からいえば評価してもいいと思うが、そうでもないのだ。