最高裁判決とICD-11が握る「性同一性障害」の今後

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最高裁判所大法廷は10月25日、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(「特例法」)3条1項の規定に基づく「性別の取扱いの変更」の申し立て訴訟について、「原決定を破棄」し、「広島高等裁判所に差し戻す」との判決を下した。15人全員一致のその判決文に次のような文言がある。

我が国における疾病の分類は、一般に、統計基準(統計法2条9項、28条)である疾病、傷害及び死因の統計分類(現在は、平成27年2月13日総務省告示第35号)によって行われており、これは、世界保健機関のICDに準拠している。

本論に入る前に「特例法」の条文も見ておくと、こうある。

第三条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。

一 十八歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
三 現に未成年の子がいないこと。
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

今般の最高裁判決が破棄した「原決定」とは、2020年9月30日に広島高等裁判所岡山支部が、「特例法」3条1項1号から3号までは該当する性同一性障害者である原告が、「特例法」3条1項4号及び5号を、憲法13条及び14条1項に違反するとした訴えを却下した審判(「原審」)を指す。

ちなみに、憲法13条及び14条1項の文言は以下のようだ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

「原審」は、「特例法」3条1項4号(以下「4号」)が上記の憲法に違反しないとしたところ(5号(以下「5号」)については判断しなかった)、今般の最高裁判決は、「原審」が「違反しない」とした「特例法」3条1項4号を、「憲法13条、14条1項に違反し、無効である」とした。

つまり「4号」にいう「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」との要件を欠いても、「性別の取扱いの変更」が可能になる。有り体にいうなら、陰茎と睾丸を有する男性であっても、「特例法」3条1〜3号及び5号を充たせば、性別を女性に変更できるということだ。

が、判決を冒頭から読む者はここで、「4号」を充たさずに「5号」を充たすことはあり得ないと気付く。そこで判決は「結論」で、「原審の判断していない5号規定に関する抗告人の主張について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする」としている。また三浦守裁判官は「5号規定も、同条(※憲法13条)に違反して無効である」との意見を述べている。

従って、差し戻し審では「5号」にも「4号」と同様の判断が下されよう。その結果、例えば「特例法」3条1〜3号を充たした「性同一性障害者」である男性は、外観上女性の外性器を有せず、かつ男性の外性器を有したままで「性別の取扱いの変更」ができることに、近い将来なる。

そうなると、本年6月に成立した「LGBT理解増進法」や7月に最高裁判決が出た性同一性障害者である経産省男性職員の女性トイレ訴訟の際に問題が提起された、トランスジェンダー男性による女風呂進入などの件について、今般の最高裁判決がどう述べているかが気になるところだ。

結論からいえば、そこは「極めてまれ」や「可能性が極めて低い」という表現と以下の二つの一文で整理されている。

事業者が営む施設について不特定多数人が裸になって利用するという公衆浴場等の性質に照らし、このような身体的な外観に基づく男女の区分には相当な理由がある。厚生労働大臣の技術的助言やこれを踏まえた条例の基準も同様の意味に解され(令和5年6月23日付け薬生衛発第0623号厚生労働省医薬・生活衛生局生活衛生課長通知参照)、上記男女の区分は、法律に基づく事業者の措置という形で社会生活上の規範を構成しているとみることができる。

性同一性障害者は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づき、身体的及び社会的に他の性別に適合しようとする意思を有すると認められる者であり(特例法2条)、そのような者が、他の性別の人間として受け入れられたいと望みながら、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせると想定すること自体、現実的ではない。

前者にいう6月23日付厚生省課長通知とは、公衆浴場等の男女の区分は「身体的な特徴をもって判断する」というものであり、また後者が強調するのは、「性同一性障害者」である男性が、女性として受け入れられたいと望みながら、あえて女性の利用者を困惑させることは「極めてまれ」ということだ。

筆者はこれまで本欄に、判決文のこの二つの論旨にほぼ同調する拙稿を寄せている。

前者では、筆者は岸田さんのLGBT法の進め方や、行き過ぎた状況に歯止めを掛けるとの安倍元総理の本来の趣旨から外れた内容には賛同しないが、土壇場で萩生田政調会長が維新・国民を丸呑みし、学校でのこの問題の教育には地域と保護者を参画させたことは多とし、歯止めを掛けるための今後の取り組みこそ重要と書いた。

後者では、「最高裁判決の要点は『性同一性障害』:経産省トイレ訴訟」と題してこう書いた。

「LGBT」の「LGB:性的指向」と「T:性自認」は別物であり、かつ「T」にも診断を経た「性分化疾患」や「性同一性障害」の患者とそうでない者とがいるが、医学上の「性同一性障害」者に対する不当な差別はあってはならない。

補足すれば、「性同一性障害者」と診断された者は04年の「特例法」成立から20年までで約1万人と確かに「極めて」少数である。今般の判決も「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(「特例法」)の規定に基づく「性別の取扱いの変更」の申し立てであって、原告は「性同一性障害者」だ。

そして「性同一性障害」の診断について、前掲の三浦守裁判官はこう述べている。

「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているもの」と認められる場合に限り、特例法2条の要件(*性同一性障害者)に該当するとの判断をする。

そして、日本精神神経学会は、これまで、性同一性障害に関する医学的知見や臨床経験を踏まえた専門的な検討等を経て、医療者に対する診断及び治療の指針として、詳細なガイドラインを定め、必要に応じこれを改訂している。

そこで、冒頭に引用した「我が国における疾病の分類」が準拠するWHOのICD(国際疾病分類)のことになる。世界の多くの国はICDに準拠しており日本も同様だが、米国では「性同一性障害」は米国精神医学会が発行するDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)に準拠している。

さらに「性同一性障害」との名称も、米国では13年のDSM-5で「性別違和 Gender Dysphoria」と変更された。ICDも19年のICD-11(実施は22年から)では「性別不合(Gender Incongruence)」に変更している。

精神医学会が絡むDSMは措くとして、問題はICD-11だ。何故かというと、かつては精神疾患に分類されていた「同性愛」を87年に脱病理化(村口喜代医師のブログ)して疾病リストから外した様に、ICD-10まで精神疾患とされていた「性同一性障害」を、ICD-11では名前のみならず章立ても「F.精神および行動の障害」へと変更し、精神疾患の分類から外したというのだ。

この変更の背景を、GID学会(性同一性障害学会)理事で、自身も「性同一性障害者」だった精神科医の松永千秋氏は、「ICD-11で新設された『性の健康に関連する状態群』」と題する論文でこう述べている。

「性同一性障害」は人格的な性のあり方の多様性を示すものであって、精神疾患ではないという認識の広がりを背景としており、当事者に対するスティグマ(※)の排除と、医療サービスへのアクセスを容易にすることが意図されている。
(※)他と異なっているがために望ましくないとみなされる障害や特徴や特性のこと。

今般の判決は三浦裁判官が強調するように、「性同一性障害」が歴とした精神科医による診断を受けた精神疾患であることを大前提としている。だが、日本の疾病分類がICD-11に準拠する以上、「性同一性障害」の脱病理化が同性愛並みに進んだ暁に、この前提が崩れはしまいか。「極まれ」な「性同一性障害者」が、「まれ」でない「性別不和」にとって代わることを意味する。

折しも「京アニ放火」裁判では、被告の精神鑑定を行った医師の証人尋問が始まり、犯行当時の刑事責任能力に対する審理が本格化している。この凶悪な犯罪と「性同一性障害者」の問題は、もちろん同日の談ではない。が、精神科の専門医が関わるという点では共通だ。

米国のDSM-5が「性別違和」として精神科領域の疾病に留めたのは、「医療保険の対象」にしておくためという(村口医師)。松永医師も「医療サービスへのアクセスを容易にすることが意図」があると述べるが、これはスティグマ対策としての話だろう。

判決が出た以上、今後「5号」を含めた「特例法」改正は必至だ。その際、判決が拠り所とした精神疾患としての「性同一性障害」の位置付けと、ICD-11が進めた脱病理化の流れとをどう整合させるか、「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」の存否も含め注目される。

最後に、「特例法」がどう改正されようとも、先述した公衆浴場の問題を始めとする女性の人権保護、家族制度の崩壊を防ぐ手立て、さらには皇位の継承など、日本社会に大きな影響を及ぼす事柄については、憲法との整合を図りつつ、その影響をなくすか極小化する個別の方策が、立法府と行政府には求められる