「ペリリュー」を物差しに「ガザ」の今を考える

歴史は「鏡」にすべきものであって、歴史(過去の出来事)に「今の物差しを当ててはいけない」という戒めがある。「物差し」を法令と喩えれば、「新しく法令が制定された際、制定前の事実にまで遡って適用されることがない」という「不遡及の原則」などもこの戒めの一例だ。

が、「物差し」は法令に限らないし、「当てる」対象も「過去の出来事」だけではないとつくづく思わされるのが、目下世界で起きている事態だ。つまり、法令以外の物差しには、各社会の来し方や現況や慣習などあるし、当てる対象にも、地域や民族や宗教など様々あるということ。

この話の行きつく先は、おそらく近代における「国民国家」の議論になろう。目下のパレスチナ問題の淵源も、それこそ旧約聖書に出てくるペリシテ人(パレスチナ人)とダビデ(古代イスラエルの王)の出来事にまで遡るが、今更それを持ち出して何の解決になろうか。

筆者は、台湾で自らを台湾人と考える者がここ30年で、20%から60%台後半にまで増加したことの理由を、歴史教科書の改訂と共に、世代交代による本省人と外省人の融合に求め、恩讐を越え得る期間を30年と考えた。その年月をパレスチナ問題に当てはめると「オスロ合意」になる。

30年前の93年、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)は、

  1. イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として、相互に承認する
  2. イスラエルは占領地域から暫定的に撤退し、自治政府による自治を5年間認める。その5年の間に今後の詳細を協議する

ことを合意した。

ノルウェーが尽力したので「オスロ合意」と呼ばれる。ラビン首相とPLOのアラファトPLO議長が米国でクリントン大統領を挟んで握手する映像を、今も印象深く憶えている。その後の30年は残念なことに憎悪の増幅に費やされが、いま再び「オスロ合意」に戻ることこそ、この問題のゴールだ。

クリントン米大統領の仲介でイスラエル・ラビン首相とPLOアラファト議長の間で結ばれた「オスロ合意」 Wikipediaより

その米国では目下、イスラエルへの対応でも亀裂が生じつつある。超党派で一致している台湾への支援は別として、ウクライナへの支援でも共和党の一部が距離を置き始め、イスラエル支援では国民の間でも、また議会ではとりわけ民主党内で、意見が激しく分かれ始めている。

6日の米メディア「AXIOS」の記事は、その様子をこう書いている。

多くのリベラルなユダヤ人は、(ハマスによる)イスラエルでの家族や友人の虐殺に対して、これほど多くの進歩的な民主党員が激怒していないことに激怒している。党を離れる(支持をやめる)と脅している人もいる。親パレスチナの民主党員は、バイデンの姿勢がガザ地区での死者数を増加させていることに激怒している。

記事は、10月7日のテロ攻撃の残虐行為を非難しなかったのは民主党の一部だけだったが、多くの子供たちを含むガザのパレスチナ住民がイスラエルによるハマス爆撃で殺されるという映像と現実が、日を追うごとにバイデン氏の仕事を難しくしている、と続いている。

この現象は、米国の民主党支持者に限ったことではなく、日本を含む国際社会でも増加しつつあるのではなかろうか。同記事は、バイデン政権高官による、ハマス過激派がガザ住民を人間の盾にしていると主張するイスラエルの立場は親イスラエル民主党の共感を呼んでいる、との釈明にも触れている。

この関連では今や米右派メディアを代表する「Newsmax」が5日、オバマ元大統領のイスラエルの対ハマス戦争に関する最近の発言が、ハマスのテロ攻撃をイスラエルによるパレスチナの土地占領と結び付けて道徳的同等性を与えているとして、厳しい批判に晒されていると報じた

オバマはこう発言した。

私たちが何かをするために建設的に行動できるチャンスがあるとすれば、複雑さを認め、表面的には矛盾しているように見える考えを維持する必要があるだろう。本当にこの状況を変えたいのなら、相手の話を聞き、彼らが何を言っているのかを理解し、それを無視しないようにする方法を見つけなければならない。なぜなら、この状況では彼らの助けなしに子供たちを救えないからです。

オバマが「彼らの助けなしに子供たちを救えない」という「彼ら」とはハマスだ。ハマスと話し合えというのだ。が、ネタニヤフ首相は「停戦はイスラエルがハマスのテロリストに降伏することを意味する」と述べた。イスラエルはテロリストには妥協しない。テロが連鎖することを知っているからだ。

ガザでの惨劇は続いている PRCS(パレスチナ赤三日月社) HPより

筆者には、ガザの現状を見て思い出す先の大戦の出来事がある。それは44年9月からの「ペリリューの戦い」だ。といっても、4日で攻略するつもりの米軍の予想を裏切って、島中に巡らせた塹壕を使った籠城ゲリラ戦で2カ月半も抵抗した日本軍の「戦いぶり」ではなく、その前年の出来事だ。

当時、ペリリュー島には899人の島民が暮らしていた。1万余の兵と共に島を守備する中川州男隊長は、それまで塹壕掘りなどに駆り出していたこれら島民全員を、43年9月から44年8月までの間にパラオ本島とコロール島に疎開させたのだ。

「一緒に戦いたい」と申し出る島民を、中川は「貴様らと一緒にわれわれ帝国陸軍が戦えると思うか」と一喝したという。中川の真意が、足手まといになると考えたか、はたまた米軍との戦いの巻き添えにすることを避けようと考えたか、どこにあるかは判らない。が、島民はみな無事だった。

今般イスラエルは、ハマスがトンネルを掘り巡らせて軍事拠点化しているガザ北部の住民に対して、南部への避難を呼び掛け、侵攻まで間を開けた。これに対し、ハマスが住民の避難を阻止しているとの情報もあるし、約7割に当たる70万人が南部に移ったとの情報もある。

病院や学校の地下に軍事施設を構築し、南部に避難しようとする住民を阻み、拉致した2百数十名の人質と共に人間の盾にするといったハマスの行為が事実とすれば、これもテロに他ならない。ペリリューの島民に対して、日本軍が玉砕を覚悟する中で行ったこととは、余りに隔たりが大きい。

こうした今と過去の出来事を知ってか知らずか、「彼ら(ハマス)の助けなしに子供たちを救えない」としつつ、ハマスとイスラエルに「道徳的同等性」を与えるオバマ発言に、筆者はとうてい同調できない。非は、イスラエルにテロを行い、ガザ住民と人質を盾にしているハマスにある。

が、打開策がない訳ではない。先月16日、NHKの取材に応じネタニヤフ首相の上級顧問マーク・レゲブ氏がハマスとの停戦の可能性について、最終的にはハマス解体が不可欠だという認識を示しつつ、こう述べた

彼らが武器を捨てて降伏するのであれば、停戦はできる。ただ残忍な攻撃を仕掛けたハマスが隣人になることには同意できない。

テロ集団ハマスの降伏か、あるいは「ペリリュー」を「鏡」にして人間の盾を解くか、どちらかが「オスロ合意」に戻る第一歩だ。イスラエルへの非難は、それ以降を見てすれば良い。

付言すれば、ロシアとウクライナが「戻るべき時点」と筆者が考えるのは、ウクライナ(とベラルーシ・カザフスタン)が領土保全や政治的独立などと引き換えに、ロシアに核を移転した「ブダペスト合意」だ。その30周年は来年である。

バイデン氏の仕事はますます難しいものに 10月のネタニヤフ首相との会談 同大統領SNSより