パレスチナ自治区ガザを2007年以来実効支配してきたイスラム過激テロ組織「ハマス」が10月7日、イスラエルに侵入して1300人余りのユダヤ人を虐殺して以来、不思議なことだが、ハマスのテロに抗議する反ハマス運動が広がるというより、反ユダヤ主義が拡散している。ハマスのテロの犠牲者のユダヤ人がその後、世界各地で反ユダヤ主義的言動に直面しているのだ。このコラム欄でも加害者と被害者の逆転現象については報告済みだが、被害者のユダヤ人が世界各地でバッシングを受けている。
もちろん、ハマスのテロ奇襲に対してイスラエル軍の報復攻撃で多数のガザのパレスチナ人、特に、女性、子供たちが犠牲となっていることに対する憤りや批判の声が反ユダヤ主義を引き起こしているともいえる。ただ、反ユダヤ主義の拡散状況を見ていると、それだけではないようなのだ。以下、少し説明する。タイトルは「反ユダヤ主義の亡霊の存在証明」だ。
ユダヤ民族への憎悪、恨みなどの感情には、少なくともユダヤ人が眼前にいるか、その環境圏に住んでおり、社会、国家にそれなりの影響を行使するユダヤ人コミュニティの存在が前提条件のように考えられるだろう。その条件からいえば、国別ユダヤ人人口で最も多くのユダヤ人が住んでいる国は1948年に建国されたユダヤ民族の国イスラエルだ。それに次いで米国だ、欧州ではフランスに最も多くのユダヤ人が住んでいるので、その国・地域には反ユダヤ主義が生まれてくる土壌はあるといえるわけだ。実際、イスラエルを除いて、米国やフランスではハマスのテロ以後、親パレスチナのデモや反ユダヤ主義のデモ集会が頻繁に開かれている。
ここまでは理解できる範囲だ。周囲に多くのユダヤ人が住み、生活している。そのコミュニティは他とは異なる伝統や風習から食事・生活様式を堅持している。何らかの不祥事が生じれば、それらが契機となって反ユダヤ主義が爆発しても不思議ではない。米国やフランスの現在の反ユダヤ主義的言動は「起きるべくして起きた」とも言われるほどだ。一部では、ハマスのテロ事件後、「これまで黙ってきた反ユダヤ主義的言動が言いやすくなった」という知識人がいたほどだ。
次は「反ユダヤ主義という亡霊の存在証明」に入る。極端にいえば、ユダヤ人が住んでいない国、地域でも過激な反ユダヤ主義的言動が起きている。
最近ではロシア南部ダゲスタン共和国の首都マハチカラの空港で10月29日、イスラエルのベングリオン空港から飛び立った飛行機がマハチカラに到着、乗客にイスラエル人がいるという情報がソーシャルネットで流れると、過激なイスラム教徒が空港に殺到して、ユダヤ人乗客を探しては、暴行を加えたり、帰れと叫んだという。空港内の暴動を放映した西側のメディアは、「21世紀のポグロム(ユダヤ人迫害)のようだ」と報じたほどだ。
ダゲスタンは北カフカス地方とカスピ海の間にあるロシア連邦を構成する共和国の一つ。首都はマハチカラ。人口約318万人(2021年)の約94%がイスラム教徒だ。パレスチナ自治区ガザでイスラエル軍がガザを空爆し、地上軍を導入してハマスの壊滅に乗り出し、多数のパレスチナ住民も犠牲となっていることが伝わると、ダゲスタンのイスラム教徒の中にイスラエル憎悪、反ユダヤ主義が高まっている。ただ、同国には1500人のユダヤ人しか住んでいない(「タゲスタンの反ユダヤ主義暴動の背景」2023年11月1日参考)。反ユダヤ主義的言動をぶっつけるユダヤ人が少なくとも周囲にはいないのだ。
アウシュビッツ強制収容所のあった東欧のポーランドには戦後、ユダヤ人はほとんどいなくなったが、同国はその後も欧州の中で反ユダヤ主義傾向が強い国だ。タゲスタンやポーランドの例は、反ユダヤ主義が生まれ、拡散するためにはユダヤ人の存在有無は大きな要因ではないことが分かる。極端にいえば、ユダヤ人が住んでいなくても、その地、国に反ユダヤ主義が生まれ、時には暴動や騒動が起きるのだ。当方はその現象を「反ユダヤ主義の亡霊」が存在する証明と考えている。
欧州で見られる反ユダヤ主義の背景には、キリスト(メシア)を殺害した民族というキリスト教的世界観もあるだろう。最近では、中東・北アフリカから欧州に入ってきた難民による「輸入された反ユダヤ主義」も大きい。イスラム教国出身の難民は生まれた時から家や学校で反イスラエル、反ユダヤ主義を学んできているから、欧州に住むようになってもその反ユダヤ主義が消え去ることはない。そのほか、極右派グループにはネオナチ的な反ユダヤ主義が潜んでいる。一方、極左の間には反ユダヤ主義的というより、反イスラエル傾向が見られる、といった具合だ。
そして看過できないのは、反ユダヤ主義の亡霊の働きだ。国際テロ組織アルカイダ元指導者オサマ・ビンラディンがアラブ語で書いた「アメリカ国民への手紙」が現在、イスラエルの対ハマス戦争を批判する多くの若者に熱心に読まれ、一部で称賛されているという。
当方はこのコラム欄で「ビンラディンの亡霊が欧米社会に現れ、10月7日のテロ奇襲を正当化し、反ユダヤ主義を煽っている。生きている人間が自身の政治的信条を拡散するために亡霊を目覚めさせることは危ない。亡霊や悪霊の存在を信じない人々にとっては理解できないかもしれないが、生前の恨み、憎悪を昇華せずに墓場に入った亡霊は地上で同じような心情、思想をもつ人間がいれば、そこに憑依し、暴れ出す危険があるからだ。欧米にビンラディンという亡霊が彷徨し出したのだ」と書いた(「欧米にビンラディンの亡霊が出現した」2023年11月18日参考)。亡霊や悪霊の業を理解できなければ、国際政治の動向を正確に分析できない時代圏に入っているのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年11月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。