「いじめ最多」に思う

「いじめ最多、自治体も関与を」(23年10月19日)と題された日経新聞の社説は、次のように始められます――全国の小中高校などで2022年度に認知されたいじめの件数が前年度から1割増の68万件余りに上り、過去最多となったことが文部科学省の調査でわかった。13年のいじめ防止対策推進法の施行から10年が経過した。(中略)認知件数が増加したのは、軽微な事案も積極的に把握する努力を重ねてきたからだ。だが、看過できないのは、児童生徒の心身に深刻な影響を及ぼす「重大事態」も923件と最多となったことだ。重大事態の4割弱は、深刻な被害に至るまで学校側が十分に対応できなかった。

私は11年程前、「いじめるな いじめられるな 皆仲間 人に優しく 我に厳しく」という即興の歌を此の「北尾吉孝日記」で詠みました。しかし願い虚しく、いじめというものは年々浸透の度を深めているよう感じられます。何故そうした状況が現出しているかと考えてみるに、やはり教育の問題に深く関わっているのだろうと思います。絶対にいじめを起こしてはいけないといった道徳教育が、学校内あるいは家庭内で躾(しつけ…外見を美しくすることではなく、心とその心が表れた立ち振る舞いを美しくすること)として依然十分なされていないことが、不幸な現実の主因であると考えます。人間学を全く教えようとしてこなかった戦後教育の欠陥が浮き彫りになっていると言っても過言ではなく、また道徳をちゃんと教えられる先生がほぼいないことも大問題でありましょう。其れ許(ばか)りか、女学生の盗撮といった類の多発は最早out of the questionです。強い情熱を有し教えと学びを共に実践して行くような人物が先生となるよう、教師たる者の資格要件改正また教師の待遇改善等々を含め、人物を得て行くということが必要だと思います。

教育の基本は、一言で言えば「致良知…良知を致す」ということです。人間生まれながらに持っている明徳(…良知すなわち善悪の判断を誤らない正しい知恵)を明らかにし、人間の進むべき正しい道を学ぶといった教育を施さない限り、我々の社会は益々酷くなって行くのではないかと危惧しています。4年程前にも当ブログで指摘したことですが、令和の大改革に挙げられるべき筆頭は道徳教育ではないか、という気がしてなりません。場合によっては今一度戦前のような師範学校を作り、日本における道徳教育の教師を養成しなければならないと考えます。

最後に、自分の子供がいじめに関わっているケースの根本につき述べておきます。親としての大問題は、如何なる形で子供がいじめられている・いじめているかが分かっていることです。概して親の関心が向かう先は専ら学校の成績だけですが、そんなことよりも親としてもっと関心を持つべき事柄があります。子供が今どういう状況にあるのか、ある程度把握できるような親子関係を維持すべく、努力を続けることが大事だと思います。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。