年明け早々、ロンドン警視庁は英国最大の冤罪事件と言われる「ホライゾン・スキャンダル」で新たな不正行為がなかったどうかについて調査を行なっていることを明らかにした。
この事件は郵便局の700人を超える管理者がバグがある会計ソフト「ホライゾン」によって「帳尻が合わない」と指摘され、自腹で不足分を埋めざるを得なくなったり、窃盗行為を働いたとして有罪となったりした一連の出来事を指す。
今月から民放ITVが事件をドラマ化した「ミスター・ベイツ対郵便局」(全4話)を放送したが、これをきっかけに新たに50人が被害者を代表する弁護士事務所に連絡を取ってきたという。
今回の警察の捜査は2020年から始まっており、焦点の一つは「郵便局が不足分を受け取った後、その資金はどうなったのか」になる。コンピューターのバグが原因で不足分が計上されていたので、実際には実体の裏付けがない数字だった。
英国の郵便局とは
日本の郵便局と英国の郵便局では、趣がだいぶ違う。英国では新聞・雑誌や文房具、お菓子などが販売されている小売店の奥に郵便局の窓口があるので、「ここが郵便局」と言われて、筆者自身も、当初は「?」と思ったものだ。
英国の郵便サービスは16世紀、イングランド国王ヘンリー8世による「ロイヤル・メール」の創設がきっかけだ。1635年、国民もこのサービスを使えるようになり、60年、郵政省が発足する。
その後郵便業は国営から公社化を経て民営化されていった。
現在は郵便物を配達する「ロイヤル・メール」、小包を配達する「パーセル・フォース」、全国にある約1万1000の郵便局を管理・運営する「ポスト・オフィス・リミテッド」として構成されている。
前者2つは民間企業ロイヤル・メール・グループが運営し、ポスト・オフィスはビジネス・エネルギー・産業戦略省を通じて国が所有する形をとる。
99パーセントの郵便局はフランチャイズ契約を結んだ企業あるいは独立事業主である「サブ・ポストマスター」(副郵便局長)が、ポスト・オフィスから事業委託を受けて運営している。「サブ」というのは、大きな郵便局以外の郵便局を「サブ・ポスト・オフィス」と呼ぶことから来ている。
英国民が利用する、小売店を兼ねたそれぞれの郵便局の責任者がサブ・ポストマスターである。
冤罪事件とは
1990年代末から2015年までの間に、サブ・ポストマスターに対する大規模な冤罪事件が発生していた。窃盗、会計ミス、詐欺などの容疑がかけられ、700人以上が有罪判決を受けた。なかには実刑となって刑務所入りとなった人もいた。
冤罪事件のきっかけは、1999年秋。郵便局の窓口業務の電子化のための会計システム「ホライゾン」の導入だった。使ってみると、会計残高の不一致が生じたのである。数千から万ポンド単位の不足が計上されたため、サブ・ポストマスターの中には自腹を切って不足分を補填し、家を担保にしてお金を工面する人も出た。有罪判決を受けて仕事を失い、家庭崩壊や、健康を害した人もいる。窃盗容疑のために地域社会から疎外される場合もあった。
潔白を証明するための複数の裁判が元サブ・ポストマスターやその家族らによって開始された。その中心となったのが、ドラマの主人公にもなったアラン・ベイツ氏である。
2019年12月、高等法院はホライゾン・システムの不具合が会計の不一致を生じさせたと結論付け、ポスト・オフィス側に賠償金を支払うよう命じた。
最終的な賠償金の金額の決定には時間がかかるので、ポスト・オフィス側は1人10万ポンドの一時金を支払うことを決めている。
これとは別に、何らかの不利益を被った関係者への賠償金制度が設置された。
2020年、政府は郵便局事件を対象にした独立調査委員会を設置している。
現在までに、93人の有罪判決が覆されたが、「完全かつ最終的な和解金」を受け取った人は27人しかいない。
筆者は、BBCの記者ニック・ワレス記者による一連の報道を通じてこの事件を知った。ポスト・オフィス側はコンピューターが示す「証拠」を盾に、不正をした覚えがないサブ・ポストマスターに疑いの目を向けた。しかしホライゾンの不具合が指摘された後は、「情報隠ぺいに力を入れた」。
「60−70人が亡くなった」
1月6日、BBCのラジオ局の番組「TODAY」に出演したベイツ氏は、「一刻も早く、影響を受けたすべての人に支払いが行われるべきだ」と述べた。一連のスキャンダルで「60−70人が公正な結果が出る前に亡くなった」。
民放ドラマがきっかけでこの事件に対する関心が急速に高まったことを受けて、スナク首相や与野党の政治家らは有罪となったサブ・ポストマスターを一括無罪にする方法はないかと議論中だ。
キーワード:Post Office(ポスト・オフィス)
全国的な郵便局のネットワークを管理・運営する組織。2022年3月時点で1万1635局。1980年代前半と比較すると半減した。2012年4月、ロイヤル・メール・グループから分離。99パーセントの国民が最寄りの郵便局から3マイル(約4.8キロ)以内に住んでいることが設置の条件となっている。
(「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラムに補足しました。)
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2024年1月9日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。