友人に教えられてアゴラにて小著『「人口ゼロ」の資本論』(講談社+α新書、2023年9月)への批評がアップされていることを知り、大いに勉強になった。
社会学の立場からの金子勇氏の批評注1)と経済学の立場からの濱田康行氏の批評注2)で、共に批判的なものであるが、アゴラでは主催者池田信夫氏のものも含め、少子化問題では早くから多くの啓発的論文を発表されており、小著がそれらの検討を欠いていたことを率直に反省したい。
そして、その趣旨もこめて小著へのコメントへのリプライをここで行いたいと考えた。
私の考えるところ、最終的には人口減を解決しうるものと見るかどうか、ないし資本主義で解決しうるのかどうかという論点がやはり最重要で、それに関わってマルクスの立場はどうだったのかという問題、そしておふたりに共通した「ホモ・エコノミクス批判」という論点=「数理モデル」への批判についても論じることとなる。
資本主義のままで合計特殊出生率は2.07まで回復できるか
それで早速、焦点の人口減と資本主義の関係であるが、私は「社会化」と「平等化(貧困撲滅)」を定義とした「社会主義」と「資本主義」注3)への移行なしに解決不能としたことに対し、金子勇氏は「社会資本主義」を主張され注4)、濱田氏は「資本主義は人口問題を解決するとマルクスは言っている」注5)とされる。つまり、何らかの「資本主義」での解決が可能とされているのであるが、要するにここが両氏との違いとなる。
私は両氏の批判をうけてもなお、「社会化」も「平等化」もされない社会で合計特殊出生率が2.07に戻るとは思えない。あるいは言い換えて、両氏の私への批判に欲しかったのは、「社会化」も「平等化」もせずに2.07に戻るとされる根拠である。
「解決可能かどうか」は結局のところ合計特殊出生率を2.07に戻せるかどうかによるわけで、この論点への言及が欲しかった、ということになる。これが2.07に戻らない限り、人口減は続いていかざるを得ないからである。
確かに、本フォーラムを含め、今や世にはあまたの「少子化論」、「高齢化論」そして「人口減少論」が満ち溢れることとなったが、その多くはそれらにどう備えるか、といった議論にとどまり、良くても「少子化対策論」に終わっている。
ヨーロッパの「進んだ対策」を見習うことはもちろん大事で、それとの詳細な比較を行い、時には実際の政策に影響を与えておられるような論者には頭が下がる。が、私にとっての問題は、それで本当に合計特殊出生率が2.07まで回復するのかどうかという問題である。私の考えるところ、それで合計特殊出生率を戻せる幅は0.2ないし0.3程度であろう。つまり、よくてヨーロッパ水準にまでの回復である。
言い訳にはならないが、金子氏に小著が「データが最新のものに書き換えられていない」と批判されてしまうのも注6)私がこの手の政策に多くを期待していないからである。人口減の克服には男性の生涯未婚率が25%を超えるようになった状況の完全解消は不可欠で、そのためには非正規労働で自分の生活がやっとの若者をゼロにしなければならない。資本主義のままではそれは不可能であると私は考えるからである。
このことを示す傍証として、イスラエルを除く注7)すべての先進資本主義国の合計特殊出生率が2.0を下回っているとのグラフを示しておきたい。過去の資本主義はともかく、高学歴化した後の「後期資本主義」の時代にはこれは日本に限らない、全先進国に共通する問題であることを示すために、である。
人口減の深刻さを再確認するために
ただし、これら先進諸国すべての将来予測をすることはできなくとも、データのある日本についてだけは各種の資料から将来の人口予測を自力で行うことができる。権威ある国立社会保障・人口問題研究所の予測も実は現在をまったく予想できていなかったから、それ以外の方法での予測方法を開発したいとの趣旨からである。
ちなみに、1997年に国立社会保障・人口問題研究所が「仮定」として想定した2022年の合計特殊出生率は1.60であったが、現実には1.26にまで下がっている。また、出生数は2022年に99万5千人と予測したが、現実には77万人にとどまっている。
これらはそれぞれ「中位推計」として出された数字であるが、「低位推計」として出された数字も合計特殊出生率は1.37、出生数は85万8千人であった。「少なくともこれくらいの人口にはなる」とされていた数字を現実はさらに大幅に下回っている。彼らの予測が如何に甘いかを示している。
そのため、私が提案したい予測方法は次のようなものである。これは小著『「人口ゼロ」の資本論』の冒頭でも示したものであるが、年間出生数に100を掛けて100年後の日本人口を計算するというものである。
たとえば、2022年には年間で77万人の出生があったが、
- この赤子が100年後まで生きる
- しかしそこで死ぬ
- その後の年間出生数が77万人で推移する
との仮定をすれば、100年後の日本人口(流入外国人を除く)は7700万人となる。平均寿命は100にはいかないから、これはマックスの予測値である。
したがって、この方法を使ってもう少しありそうな予測をしてみたいと考え、国立社会保障・人口問題研究所が昨年発表した2070年までの出生数予測をグラフにしたのが、次のグラフの左半分の青色の部分である。実を言うと、この部分も過大な予測となっていると私は判断しているが、ここではその論点は省略する注8)。
しかし、この方法による予測は「100年後」のものであるから2120年の総人口の予測のためには2071-2120年の出生数も予測しなければならず、その部分はエクセルが自動計算する外挿予測にしたがった。2070年までのトレンドが続く限りとの仮定では自然な予測と理解されたい。
そして、そううると、このグラフの左端から右端までのすべての出生数を足し合わせた数(=積分値)が2120年の総人口となり、それは果たして4900万人となった。この間に生まれる子どもが全員100歳まで生き、それ以前に生まれた子供は100歳までに死に絶えているとの仮定による予測である。
ただし、もちろん「全員が100歳まで生きる」というのはあまりに非現実的なので、この研究所が予測する2070年時点の平均寿命まで、と仮定を緩めることもできる。そして、むそれは男女平均で89歳とされているから、ここでは簡単に全員が89歳まで生き、そこで死ぬと仮定しよう。そうすると2120年の総人口は3900万人であることになる注9)。
したがって、将来の日本人口は政府機関が発表するものよりずっと深刻なものとなっている。言い換えると、「少子化を前提にして論ずる」ことを許さないほど深刻であり、抜本的な社会変革がどうしても必要だということである。ここでの議論を緊張感あるものとするために書かせていただいた。
なお、これらの計算は大西「政府予測より1000万人減! 100年後の日本人口は今の3分の1になる」でより詳しく示している。ご関心の方は参照されたい。
(その②に続く)
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注1)【社会学の観点】「少子化論」に対する「数理マルクス経済学」の限界①
注2)【経済学の観点】「少子化論」に対する「数理マルクス経済学」の限界②
注3)SocialismとはSocialized Societyのことである、CommunismとはEqualized Societyのことであるとの趣旨からの定義である。人口減との関係で言えば、「子育てのコスト」が個人の負担とならないように内部化(社会化)することと、現在のように貧困な非正規労働者の多くが結婚できないような状況をなくすこと(平等化)を意味している。
注5)【経済学の観点】「少子化論」に対する「数理マルクス経済学」の限界②
注6)【社会学の観点】「少子化論」に対する「数理マルクス経済学」の限界①
注7)イスラエルだけが他と異なる理由には、イスラエルがその内部に合計特殊出生率が6を超える特殊な社会階層を持っているということがある。「超正統派」と言われるいわば「宗教右翼」がそれで、彼らは就職もせず、かつ兵役も免除されている。建国以来一貫して戦争状態を続けてきた特殊な国家が、人口増を担う特殊な社会階層を内部に維持しているのである。このシステムは「資本主義」ではあっても「先進資本主義」とは言えない。
注8)この部分も過大な予測であるとの根拠も大西「政府予測より1000万人減! 100年後の日本人口は今の3分の1になる」現代ビジネス +αオンライン | 講談社(1/5) (gendai.media)で述べている。関心ある読者は参照されたい。
注9)人口が100年でほぼ1/3になるとの予測はすでに鬼頭宏『2100年、人口3分の1の日本』メディアファクトリー新書、2011年でなされている。さすが歴史人口学だけあって長期を見据えた氏の慧眼が示されている。しかし、それほど、「100年で1/3」という予想は現実的であるのである。
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