ロシアの侵攻によりウクライナ戦争が勃発してから2年1カ月、またパレスチナ自治区のガザ地区でイスラエル・ハマス戦争が突発してから6カ月。いずれの戦争も簡単には決着せず長期化の様相を呈していますが、その間にも、多くの一般市民が犠牲になっています。
この悲惨な状況を私たちは日々テレビなどでつぶさに見ながら、戦争が一日も早く終わってほしいと願う以外に具体的に何もできないことに無力感を抱かざるをえません。
機能不全に陥った国連安保理
それにしても、この重大な時期に一体全体、国際連合(国連)は何をしているのか、なぜウクライナ救援や停戦仲介に乗り出さないのか、機能不全に陥っているような国際組織なら不要ではないか、どうすれば国連改革ができるのか、という素朴な疑問が噴出するのは当然でしょう。
そこで今回は、改めて国連とは何か、とくに安全保障理事会の改革はできるのかどうかなどについてじっくり考えてみたいと思います。
そもそも現在の国連という組織は、ナチス・ドイツと日本の降伏により第二次世界大戦が終了するわずか2カ月前の1945年6月、サンフランシスコ会議に出席した連合国50カ国が採択した国連憲章によって創設されたもの(憲章の発効は同年10月)で、正式名称は「連合諸国機関」(United Nations Organization)。
それを日本では、「国際連合」と呼んでいるわけですが、元々日独伊など「枢軸国」と戦った連合国(United Nations)中心の国際機関であることは明らか。その証拠に日独伊などは憲章上は今でも「旧敵国」と明記されています(第53条など。ただし、現在ではこの条項は死文化されているとされます)。
周知のように、国連には六つの主要機関がありますが、最も重要なのは、国際平和と安全の維持に主要な責任を負うとされる「安全保障理事会」で、米、英、ソ連(現在はロシア)、仏、中国(当時は中華民国)の5大国(常任理事国)とその他の10カ国(2年任期の非常任理事国)によって構成されています。
常任理事国の5カ国には「拒否権」が特別に与えられており、一カ国でもこの拒否権を行使すれば、たとえ他のすべての理事国が賛成しても、決議はできない仕組みになっています。
実際に、ウクライナ戦争でロシアを、ガザ紛争でイスラエルやハマスを非難したり、制裁を課そうとしたりした時も、ロシアや米国などが拒否権を行使したので、非難決議は採択できませんでした。これこそが現在の国連が機能不全に陥っている最大の原因です。では、なぜこのような厄介な拒否権制度ができてしまったのでしょうか。
拒否権制度の歴史的背景
それを理解するためには、1世紀以上前の第一次世界大戦までさかのぼって考える必要があります。第一次世界大戦後のベルサイユ平和条約会議(1919年)で、米国のウィルソン大統領の提唱により「国際連盟」(League of Naitons)が創設され、英、仏、日本、イタリアなど当時の一流国が常任理事国になりました(その後ドイツとソ連も理事国に。米国は自国の議会の承認が得られなかったために不参加)。
ところが、その後日本が、満州問題で国際連盟を脱退(1933年)。続いてドイツも脱退したために、国際連盟は弱体化し、重大な国際紛争を解決する権威と能力を失い、ついに第二次世界大戦の勃発を阻止することはできませんでした。
こうした苦い経験にかんがみ、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長の三巨頭は戦時中に何度も会談し、戦後創設されるべき国際組織の仕組みについて話し合った結果、新しい国際連合の安全保障理事会の5大常任理事国には「拒否権」を認めることに合意しました。特にスターリンがそれを強く望んだといわれますが、ルーズベルトとチャーチルも、安保理を真に実効性のある国際紛争処理機関とするために拒否権制度は必要と考えたようです。
特にルーズベルトは、思想的にも、大恐慌(1929年)後のニューディール政策にみられるように容共的なところが多分にあり、戦後は米英とソ連ががっちり一致団結すれば、日独などの再興を抑え国際平和を維持できると信じていたようです。実際には彼は1945年4月に死去しましたが、彼の遺志はトルーマンにそのまま引き継がれたわけです。
似て非なる「国連軍」
こうした経緯からみて、国際連合の安全保障理事会に拒否権制度が取り入れられたのはやむを得なかったし、その時点では合理性もあったと認めざるを得ませんが、そうした当初の期待は、戦後まもなく裏切られます。
ソ連がヨーロッパで東欧諸国を「鉄のカーテン」の内側に抱え込み、それに対抗して米欧が北大西洋条約機構(NATO)を結成したために東西冷戦状態が表面化。またアジアでは北朝鮮が、ソ連と中国の支援を得て韓国に侵攻して朝鮮戦争(1950〜53年)が勃発したからです。
特に朝鮮戦争の場合、国連安保理が憲章に従って「国連軍」を組織し派遣しようとしましたが、ソ連が反対したため、動きが取れませんでした。そこで、安保理に代わって、国連総会(全加盟国が1票を持つ)が緊急会議を開き「平和のための結集」という題名の決議を採択。それに基づいて、西側の有志諸国が自発的に軍隊を派遣することになりました。
これは国連憲章に基づく正式の「国連軍」ではありませんでしたが、その最高司令官には、当時日本を占領していた連合国最高司令官のマッカーサーが就任し、仁川上陸作戦などで活躍したことはご存じの通り。
安保理改革は行き詰まり
その後も、国際紛争が起こるたびに、国連安保理の積極的な対応が求められましたが、常任理事国のいずれかが拒否権を発動したため、正式の「国連軍」が編成されることはありませんでした。
また、このような安保理自体を改革するために常任理事国の数を増やしたり(現在15カ国の理事国を25カ国に増やし、常任理事国も6カ国追加するなど)、拒否権の発動に一定の制限を設けるなどの改革案が提案されましたが、いずれも実現していません。日本も、ドイツ、インド、ブラジルと組んで「G4」として独自の改革案を提出し、各国に働きかけましたが、残念ながら不首尾に終わっています。
安保理を改革するためには、当然国連憲章を改正しなければならず、そのためには常任理事国すべての同意が必要ですが、現在の常任理事国が既得権を手放すことはもちろん、同じ特権を持った国を増やすことにも反対して拒否権を行使するので、憲章の改正が成立するわけがありません。例えば日本国憲法も改正が極めて難しい仕組みになっていますが、それ以上に国連憲章の改正手続きは難しくなっており、事実上不可能といえます。
全く新しい国際組織を創る?
ということであれば、この際、大変な荒療治になりますが、現行の国連(特に安保理)を潰してしまって、新しい国際組織を創るということも考えてみるべきではないか。具体的な方法としては、安保理改革に反対する常任理事国だけを残して、他の一般の加盟国は一斉に国連を脱退し、全く新しい国際組織を創設する(現行の憲章にはそのような集団的脱退を禁止する規定はありません)。
新国際組織では、すべての加盟国が対等で、原則的に1国1票。あるいは、人口やGDPにある程度比例した票数を割り当てる。そうすれば、日本の国会や他の民主主義国の議会のように多数決で議決ができるようになるはずですし、本来の意味での国際軍隊も持つことができるはずです。
さてそうなった場合に、実際に国際紛争が発生したとき迅速に対応できるでしょうが、その紛争の当事国が現在の5大国の一つであると、どういうことになるか。相手は核兵器を持っているので、最悪の場合はそれを使う恐れがあります。
それに対応するためには新国際組織も核兵器を持たざるを得なくなるでしょう。当然現行の「核兵器不拡散条約」(NPT)は完全に有名無実化するので、核兵器を持つ国が続々と出てくる可能性があります。そうなると世界平和どころの話ではなくなります。それで良いと考えるわけにもいきません。
国連は人類を天国に導くものではない
ここまで考えてくると、結局、不満足ながら現行の国連制度の方がまだましということになるのではないでしょうか。そもそも現実の国際社会は、弱肉強食とまではいわずとも、それに近い状況であり、ある程度の不合理は容認せざるをえません。ならば、多大な困難を伴うだろう抜本的な荒療治よりも、現在の国連制度の下で地道に辛抱強く改善の努力をしていく以外にないと思います。
現に国連には、政治・軍事担当の安全保障理事会のほかに、経済・社会・衛生・労働・文化問題などを扱ういろいろな機関があり、それなりに真面目に活動しています。私自身も若い頃、外務省から新設の「国連環境計画」(UNEP)事務局に4年間出向して地球環境問題に取り組んだ経験があります。
こうしたことは国連がなければできない仕事です。安保理のような派手さはありませんが、こうした仕事が一歩一歩積み重なって世界平和が保たれていくのだと思います。
国連は決して理想的な、完全な組織ではないということを喝破した有名な言葉があります。第2代の国連事務総長を務め、在任中に飛行機事故(爆破されたとの説もある)で殉職したダグ・ハマーショルド(1953〜61年在任)の言葉です。
「国連は人類を天国に連れて行くために作られたものではない。地獄に落ちるのを防ぐために作られたものだ」
ウクライナ戦争の教訓
最後にもう一点。今回のウクライナ戦争から分かるように、国連の安保理は頼りにならず、NATOという地域安全保障条約にも加盟していないウクライナは、外国からの軍事物資の支援は受けられても、地上戦は自国軍隊だけでやらねばならず、苦戦を強いられています。
結局国を守るのは自力と、条約ではっきり同盟関係にある国からの加勢(共同防衛)に頼る以外にないということ。国連による集団安全保障は少なくとも現状では画餅にすぎません。日米安保条約の重要性もそこにあります。ウクライナ戦争の教訓の一つとして、そのことを日本人は肝に銘じておかねばなりません。
(2024年3月21日付東愛知新聞 令和つれづれ草より転載)