極論をなぜ信じてしまうのだろうか?

書店に並んでいる平積み本を眺めているとあることに気がつくと思います。過激なタイトルを散見するのです。経済や経営から歴史や科学に至るまで「本当かい?」と思うようなタイトルに踊らされて手に取ってみたことがある方も多いでしょう。

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私も20年ぐらい前までは興味をもって立ち読みまではしましたが、今では完全スルーです。書籍を乱読する私の選び方は基本的に「読んでよかった」という読後感を持たせるものです。一冊の本を読むのに2時間から十数時間かかります。基本的に途中放棄しないので全部読むようにしていますが、読んだ中で数割の本は「俺の時間を返してくれ」と言いたくなる書籍があります。良書と悪書が混在している、そんな感じでしょう。

不動産の本でも「ゼッタイに上がる〇〇」とか「日本の不動産は大暴落が始まる」といった極端な例から為替もかつて「1ドル50円時代が来る」と叫んでいた大学のセンセーもいらっしゃいましたね。株の予想本や日本経済の行方など本当に好き勝手なことを書いていると思います。基本的にそれらは極論をネタにする一種の新興宗教のようなものだと思ってよいでしょう。そもそも「ゼッタイ」などという言葉はまず使うことはない単語ですが、日本人は好きだよなぁと思います。

「つばさの党」に家宅捜索が入ったと思いきや幹部が逮捕されてしまいましたが、この団体も創造力豊かなポリシーを持っています。中央銀行制度の抜本的改革(日本銀行の通貨発行権独占廃止)、消費税ゼロ化、金融資産課税の導入、対米自立・反グローバリズム、歴史伝統文化の継承、ネット投票導入とそれによる直接民主制も目指すデジタルデモクラシー推進、ベーシックインカム導入、官民格差是正、再生可能エネルギー推進による脱原発の実現(以上、ウィキより)となっており、ひとつ一つははそうだよな、と思う方もいると思いますが、どうやるの?と聞くと説明できず、論破される内容がずらり並びます。ただ、人は耳障りのよいこと、まさかと思うことには興味を持つ習性があるのです。

高橋洋一サンも癖の強い方です。このブログの読者には氏のユーチューブ番組を見ている方も多いでしょう。私も時折見るのですが、何が煙たいかといえばあの人を小馬鹿にしたような笑いと口の悪さ、自分が数学者で政界などの裏情報もゲットしている優越感と上から目線でしょうか?着想が学者/役人肌ですから実業界の経験話がない訳で、机上の主張の押し付け型になりやすいと思います。氏のユーチューブは登録者こそ100万人越えですが、再生回数は伸びを欠くようにみえます。メジャーのマスコミにもまず出ません。高橋氏以外にもヤフーニュースなどで名前が出てくる数々のコメンテーターの多くも持論以上の何物でもなく、極論が多くなるのは自分を売り込みたいところがあるからでしょう。

ところで私の友人が突然こういうのです。「2025年7月5日に日本の2/3が水没し自分の資産も人生も全てなくなるとしたら今から1年、何をしますか?」と。「はぁ、話の前後関係がわからない」と返すと「えっ、知らないんですか?隕石がフィリピン海プレートにぶつかって日本に大津波が来て標高800メートル以下は水没するんですよ」と。そんな話は私は知らないのでちょっとググると確かにたくさん出てくるわけです。ところがどれも信憑性のある話はないのです。ある程度の隕石ならNASAが追っておりぶつかる可能性も推測できるし、大きさと大気圏突入時の状態からシュミレーションができます。私の知る限り、NASAは100年以上先にぶつかるかもしれない隕石の予想はしていますが、来年の話はでていないと理解してます。

日本人は多神教で信心深いため、このようなほとんど根拠がない話に尾ひれがつき、想像力たくましくストーリーラインが生まれていくのです。それともう一つはこの隕石の話に限らず、噂の聞き手が奇妙な確信論を勝手きままに育む方が多い気がします。それが糸電話状態で伝播するのです。東日本大震災の際の原発事故は風評がいかにすさまじいかを物語ったと思います。多くの人が西に移動し、カナダに逃げてきた方も何人か知っています。

日本人がこのような極論に弱いのは社会やマスコミを含め、論戦のベースがなく、有名人や大学教授が語ったことを素直に信じる癖が強いのが理由でしょう。先日のブログでも書きましたが「〇〇大学教授も進める〇〇メソッドで英語がペラペラになる」「〇〇大学教授監修、これで10キロ瘦せる」といった類は肩書を鵜呑みにする日本人の良くない癖ともいえるでしょう。

成田悠輔サンがメディアに引っ張りだこなのもイェール大学に籍を置いていることで秀才/天才肌と持ち上げるからです。学会としては成田サンはほぼ認識されていないのに日本人だけが大騒ぎして「おもろい兄ちゃんやな」と茶の間のペットになるのです。彼がイェールでなければ「ただの兄ちゃん」で終わっているわけです。

極論を信じるのは日本人だけではなく、トランプ教もあるし、イスラムでは原理主義という堅苦しい世界もあります。原理主義とは戒律や教義に対してフレキシビリティを持たない純度の高さを誇る思想というのが平たい言い方です。しかし、世の中、複雑になる一方であり、様々な他領域との関係性も問われる中、試験管の中の純度だけ高めてもほとんど意味がなく、実社会の実態を無視してよいわけではありません。

私はひとり一人が賢くなる、考える、討議する、そして大局を見ることが大事だと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年5月17日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。