SNSでバトルする「専門家」を、なぜ信用してはいけないのか

ご報告が遅れましたが、6月26~28日に3回に分けて、経営学者の舟津昌平さんとの対談が「東洋経済オンライン」に掲載になりました!(リンク先は1回目)

こちらのnoteをご覧になった、舟津さんと編集者さんが企画して下さったもので、ありがたい限りです。

御礼: 舟津昌平『Z世代化する社会』での拙論言及|Yonaha Jun
献本いただいたのに御礼が遅れて申し訳ありません。今年4月刊の舟津昌平『Z世代化する社会 お客様になっていく若者たち』が、拙論に言及して下さっています。温かいお手紙も添えてご恵投くださり、ありがとうございました。 著者の舟津さんとは面識がないのですが、京都大学で組織やマネジメントの研究をされた後、現在は東京大学大学院経...

例によってPRの記事をと思ったのですが、困ったことにいま、国境で軍事的な緊張が高まっているんですよね(比喩)。なので今回は、そちらの事情にも照らし合わせつつ、読みどころをチラ見せしていきましょう。

社会科学も「オープンレター」の後を追うのだろうか|Yonaha Jun
「オープンレター」が再来する気配がある。 このnoteの記事は、おおむね論壇サイトの「アゴラ」にも載せてもらっており、後者で読む人の方がおそらく多い。ところが、国際政治学者の東野篤子氏をめぐる先日の記事について、アゴラへの転載版が「Facebookでシェアできない」事態が生じているそうだ。 アゴラとしても、Fac...

3回もあると「全部読むのは疲れそう…」と思われがちですが、最終回の冒頭にある以下の部分だけは、ぜひ目を通してくだされば幸いです。

與那覇:私も以前は学者だったので、「専門性」が持つ価値を否定する気はまったくないんです。ただ、近年の日本では「専門家」という存在が、悪い意味でのアウトソーシングの道具になっている。ずっとそれを批判しているんですよ。
多くの読者や視聴者はいま、専門家に「考えること」をアウトソースしています。「専門家がこう言っているから、自分では調べなくていい。疑問を持たずに信じればいい」と。
一方で彼らを起用するメディアにとっては、責任のアウトソーシングになっている。「専門家に出てもらった以上は、仮に中身がまちがっていてもその人のせいで、私たちは責任ないでしょ」というわけです。
(中 略)
そうした状況こそを問題視しないといけないのに、コロナで感染症の専門家がコケても「いやいや、ウクライナ戦争の専門家は優秀だ」「統一教会問題の専門家は」「パレスチナ紛争の」……と居直り続け、同じ構図を繰り返している。

対談の3回目(6月28日掲載)
強調は今回附しました

特によくないのが、そうした思考のアウトソーシングとSNSの結びつきです。要は「ボクの主張はTVに出てる専門家の○○先生と同じ、だから間違ってるはずはないぞ! うぉううぉう」な人たちを惹きつけてしまう。

與那覇: 注意すべきは、TVの視聴者が「専門家に逆らうやつは許さないぞ、叩け!」となるトピックには共通点があって、恐怖や不安を掻き立てるものなんですよ。
たとえばウイルスの流行であり、ウクライナで起きた現実の戦争です。いま自分が感じている「怖さ」を、専門家の権威を使って祓い除けたいとする、まさにアウトソーシングなんですね。
(中 略)
だから専門家の側も「自分は不安に憑りつかれた人たちの、一時的なアウトソース需要を集めているだけだよな」と、わかった上で付き合わないといけない。

同記事、4頁目

そうなのです。「…この専門家さん、信用していいのかな?」と思ったとき、その人の履歴とか、今のポスト(どこ大学の教授か)とか、話に出てくる知識の量とかを見てはいけない。判定ポイントはそこじゃなくて、その人が自分の置かれた現状を「正しくわきまえているか」なんですね。

専門家の側が、いま、不安に駆られて「あなたの言うことなら何でも信じる!」という人が寄ってきてるな、ヤバいな、これは社会が健全じゃないなと自覚して、抑制的に振る舞うのか。

それとも「よっしゃ。こいつらは私の言うこと何でも聞くから、気に入らないやつが居たら、そいつに向かって突撃させれば私無双。もはやネ申!」モードに入ってしまうのか。ここで、専門家の真価が問われるわけです。

まさに同じ理由で、SNSのレスバで「論破」してるかどうかも、専門家の信頼度を測る指標にはなりません(笑)。対談の2回目にいわく――

舟津:Z世代化されたコミュ力、つまり現代社会のコミュ力は、第三者に見せつけるものだということです。たとえば、私たち2人がしゃべっているときに私がコミュ力の高さを見せつけようと思ったら、與那覇先生ではなくて外の人に向けて話すようになる。

與那覇:その手法の帝王がひろゆき氏で(苦笑)、実は彼は、自分で本にそう書いているんですよね。目の前の相手を納得させるのではなく、外から見ている観客が「こっちの勝ちだ」と思ってくれるように喋るのが、最強の論破術なんだと。

対談2回目(6月27日、3頁目

ここで言及したひろゆきさんの本は、平成末の2018年に出た『論破力』なんですけど、驚いたことに令和のコロナとウクライナを経てみたら、2024年にはまったく同じハウツーを大学教授がドヤ顔で誇り、論壇誌がチヤホヤして掲載するようになっていたんですねぇ……(苦笑)。

私がこのテーマで本を書くなら、『ひろゆき化する学者たち』みたくなるんでしょうが、さて、そこまで行きますかね。個人的にはそろそろホンモノを起用して、この間の「専門家依存」を反省してゆく誌面作りが望ましいと思うのですが、どうしてもイヤならしかたありませんな。

……そんな余韻も踏まえつつ、今の社会のさまざまな問題を切りとる対談になっていると思っています。興味を惹いた箇所のリンクからでOKですので、多くの方にお目通しいただければ幸甚です!

(ヘッダーは、実在する商品より。要は、これの学者版が出たら誰か嬉しいんですか? って話ですよね。まぁ積極的に作ってほしがる「専門家」も、稀には居るのかもしれませんが……)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。